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高松地方裁判所 昭和37年(ワ)84号 判決

原告 全国電気通信労働組合 外二名

被告 日本電信電話公社

訴訟代理人 横山茂晴 外一一名

主文

原告全国電気通信労働組合の本件訴を却下する。

原告斉藤照和と被告との間に雇傭関係の存在することを確認する。

原告多田已年の請求を棄却する。

訴訟費用中、原告全国電気通信労働組合と被告との間に生じた部分は原告全国電気通信労働組合の、原告多田已年と被告との間に生じた部分は原告多田已年の各負担とし、原告斉藤照和と被告との間に生じた部分は被告の負担とする。

事実

第一、当事者双方の求める裁判

一、原告ら訴訟代理人は「原告多田已年、同斉藤照和と被告との間に、それぞれ雇傭関係が存在することを確認する。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決を求めた。

二、被告指定代理人は、

本案前の申立として「原告全国電気通信労働組合の訴を却下する。訴訟費用は、同原告の負担とする。」との判決を求め、本案につき「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は、原告らの負担とする。」との判決を求めた。

第二、原告らの請求原因

一、被告日本電信電話公社(以下「被告公社」と略称する)は、日本電信電話公社法に基いて設立せられた公衆電気通信事業を営む公共企業体であり、原告全国電気通信労働組合(以下「原告組合」と略称する)は被告公社に勤務する職員をもつて組織する法人格を有する労働組合であつて、原告多田已年、同斉藤照和は、いずれも被告公社に雇傭された職員にして、原告組合の組合員である。

二、しかるところ被告公社は、原告多田已年、同斉藤照和との雇傭関係の存在を争うので、請求の趣旨記載の判決を求めるものである。

第三、被告公社の答弁並びに抗弁

一、本案前の答弁

本訴の趣旨は、被告公社と原告多田已年、同斉藤照和との間に、雇傭に基く法律関係がなお存続することの確認を求めるものであるから、右法律関係の当事者の外に、その法律関係について何らの処分権限をも有しない原告組合は、本訴を追行する法律上の権能を有しないものである。

よつて原告組合の本訴請求は、当事者適格を欠く不適法なものとして却下さるべきである。

二、本案の答弁

原告ら主張の請求原因事実中、被告公社が日本電信電話公社法に基いて設立せられた公衆電気通信事業を営む公共企業体であり、原告組合が被告公社の職員をもつて組織する法人格を有する労働組合であること、原告多田已年、同斉藤照和がもと被告公社の職員であつて且つ原告組合の組合員であつたことは認める。

三、抗弁

(一)  被告公社は、昭和三十六年三月二十五日当時被告公社高松電報局監査課所属の職員であつた原告多田已年、丸亀電報電話局施設課勤務の職員であつた原告斉藤照和に対し、被告公社四国電気通信局長水谷七代名義をもつて公共企業体等労働関係法(以下「公労法」と略称する)第十七条第一項に違反したことを理由に同法第十八条に基いて解雇の意思表示をしたから、同原告らと被告公社との各雇傭関係はいずれも右同日をもつて終了したものである。

(二)  而して被告公社が原告多田已年、同斉藤照和の両名を解雇したのは、原告組合の実施した昭和三十六年度春季斗争(以下昭和三十六年度「春斗」と略称する)の一環として、丸亀電報電話局(以下電報電話局を「報話局」と略称する)において同年三月十六日行われた勤務時間内職場大会の開催等の所謂拠点斗争(以下便宜「三・一六斗争」と称することがある)の実施に関して、同原告らのとつた行動が公労法第十七条第一項に違反するものであつたからで、その事情は以下に明らかにするところである。

1 原告組合の昭和三十六年度春斗の概要

(1) 原告組合は、昭和三十六年二月十四日から同月十七日までの四日間にわたり(以下単に月日のみ記載してあるのは、すべて昭和三十六年中の日付である。)、第二十六回中央委員会を開催し、同年度春斗における被告公社に対する要求目標として、津電報局における不当解雇等一切の不当処分の撤回、基本給に一定額金五千円を積上げる等による賃金引き上げの実施、職員の勤務時間はすべて一週拘束四十二時間三十分とし、週休二日制を実施する等の労働時間の大幅短縮、要員の算出基準および配置に関する協約(所謂要員協定)の締結を主たる内容とする十五項目に及ぶ要求を行うこと並びに右諸要求を貫徹するためには、拠点局所に於ける勤務時間内職場大会の開催等の所謂「拠点斗争」方式(後記第三、三、(二)1(6)参照)を採用する等強力な実力斗争を実施すること等を決定し、同月二十日文書をもつて右諸要求を被告公社に提出すると共に、翌同月二十一日原告組合中央斗争委員長片平久雄名による全電通指令(以下単に「指令」と称する)第七号を発出し、原告組合各級機関(各地方本部、支部及び分会)に対し、同月二十三日を期して各機関執行委員会を、斗争委員会へ切り換える等春斗体制を強化することを命じた。

(2) ところで原告組合の右諸要求のうち、基本給に一律一定額金五千円をつみあげるという方式による賃金引き上げ要求は、被告公社職員の給与につきその職務内容と責任に応じ、職員の発揮した能率を考慮して決定しなければならないとする日本電信電話公社法(以下「公社法」と略称する)第三十条第一項を無視するものであるのみならず、その要求額も甚だ過大であつて、同法第四十三条第五号、第七十二条等により被告公社職員の給与については所謂給与総額制がとられ、毎年あらかじめ国会の議決を受けた予算の範囲内で支出すべきものとされ、予算上の重大な制約があるために到底是認し得るものではなかつた。また所謂要員協定の締結についても、原告組合の提案内容は、被告公社の管理運営事項(公労法第八条但書)である要員の算出、その配置等について事前に被告公社と原告組合との間で協議決定すること等を求めるものであつて、かかる協約は右公労法第八条但書の規定や前記給与総額制をとつていることによる予算上の制約から到底締結することを許されないものであつて、従来原告組合からもかかる要求が提出されたことはなかつた。さらにまた職員の勤務時間の短縮要求についてみても、被告公社における職員の実労働時間は民間の大企業その他諸外国の標準と比較してみても決して遜色のないものであつて、原告組合の右要求は我国の現状からかけはなれた不当なものであつたというほかはない。

(3) そこで被告公社は右諸要求について同月二十八日文書をもつて原告組合に対し、労働時間の短縮、要員協定の締結等の要求には応ずることはできないが、賃金引き上げの点については概ね一千円程度の引き上げが妥当である等法令と予算の許す範囲内での誠実なる回答をなしたのであるが、原告組合は右回答を不満とし、同日指令第八号を発出して三月二日から三日間にわたり、全国一斉時間外労働拒否斗争を行うこと、同月四日にはさらに全国一斉時間外職場大会を開催すること等を各級機関に命じた。

(4) 被告公社が右回答書を発した翌日である三月一日から原告組合の前記諸要求、ことに賃金要求をめぐつて中央団体交渉が始められ、以後殆ど連日にわたつて労使双方の話合いが重ねられたのであるが、さらに原告組合はなお中央団体交渉の続行中であるにも拘らず、同月十日に至り原告組合各級機関に対し、「一、三月十三日から三月十九日まで全国一斉時間外労働拒否斗争をおこなうこと。二、別途指定する機関は三月十三日以降、いかなる実力行使も実施できる態勢をすみやかに確立すること。三、三月十三日以降各支部は、支部交渉を徹底的に行なうこと。」等を主内容とする指令第九号を発出して要求貫徹のためにはさらに実力行使を構えることを明らかにした。而して同月十三日には、遂に賃金引き上げ要求に関する団体交渉が先ず決裂するに至り、やむなく被告公社は同日、公共企業体等労働委員会(以下「公労委」と略称する)に対し調停申請を行い、さらに同月十五日には政府は労働大臣の職権をもつて被告公社を含む公共企業体労働組合協議会(以下「公労協」と略称する)傘下の九労働組合の賃上げ要求について、公労委に対して一括して仲裁の申請をなし、ために賃金引き上げ問題の解決は公労委に一応委ねられることとなつた。

(5) 而して賃金問題を除くその余の春斗諸要求については、なお中央団体交渉が継続されたのであるが、原告組合は賃金引き上げ要求をめぐる団体交渉の決裂した日の翌日である三月十四日に至り、その余の諸要求についての団体交渉が十分煮えつまらぬままに、遂に指令第十号をもつて、前記指令第九条第二項に指示された実力行使の具体化として、「一、別途指定する機関は、三月十六日始業時より午前十時まで、全組合員の参加する職場大会を開催すること。二、関東地方本部は、三月十六日早朝本社に対し最大限の動員をおこなうこと。」を命じ、同時に右指令第十号発出に伴う斗争連絡第七十八号をもつて、前記指令第九号及び第十号に所謂「別途指定する機関」(以下「拠点局所」と略称する)の予備候補局として各県支部毎に先ず三局所を指定して正式に発表した(香川支部関係については、丸亀報話局、観音寺報話局及び高松電報局の三局が指定された)。

(6) 被告公社としては、右のような全組合員の参加する勤務時間内職場大会の開催は、明らかに公労法第十七条第一項、公社法第三十三条、公衆電気通信法第百十条等に違反するものであり、もしかかる斗争が実施せられて拠点局所において一名の職員も配置することができないという事態が生じた場合には、被告公社の業務である公衆電気通信に著しい障害をもたらすことになるのは勿論、加入者からの呼出(コール)に全く応答できないことから、通信施設自体に火災が発生する等の事故の起る虞れもあつたので、前同日(三月十四日)直ちに被告公社総裁名をもつて原告組合中央斗争委員長片平久雄に対し、三・一六斗争を中止するよう申入れ、もし右斗争が強行せられるようなときは、これに参加したものは戒告以上、これを指導した者は解雇を含む厳重な処分を行う旨の警告を発し、他方被告公社各電気通信局長、各電気通信部長及び各報話局長らからもそれぞれその対応する原告組合各級機関(地方本部、支部及び分会)の責任者に対し右と同趣旨の警告書を手交して、原告組合側の自粛を要望し三・一六斗争の中止を求めた。しかしながら原告組合は右警告を無視し、三月十五日午後四時三十分頃三・一六斗争の最終的な拠点局所五十九ケ所を公表した。

而して同日午後に行われた要員協定の締結問題を中心とする中央団体交渉の席上において、当時原告組合中央本部調査交渉部長であつた訴外及川一夫が、被告公社副総裁で公社側首席交渉委員でもあつた訴外横田信夫をいんちきであると面罵したことに端を発して中央団体交渉は決裂状態に陥り、同月十六日早朝に至つても妥結に至らず、結局同日午前八時二十八分頃労使双方の意見対立のまま交渉は一旦打切られることとなり、原告組合は予定どおり全国五十九の拠点局所において三・一六斗争を強行し、ことに丸亀報話局をはじめとする一部の拠点局所においては業務応援のために動員された被告公社側管理者と、その入局あるいは通信業務を妨害阻止しようとする原告組合員らとの間に深刻な紛争と混乱を生ずるに至つたのである。ことに三・一六斗争の実施指令である前記指令第十号の内容が極めて簡潔であつたため、その具体的実施方法については原告組合の各支部あるいは分会の役員の裁量の余地が甚だ大であり、従つて支部、分会の組合役員の指導統制力、三・一六斗争への積極的な参加の姿勢の如何等によつて各拠点局所における実力行使の態様、程度に著しい差異を生じ、組合役員の指導力が強大で三・一六斗争参加の熱意の旺盛であつた局所(例えば丸亀報話局)では、中央斗争委員会の指令の範囲をも逸脱する過激な行動がとられた。

(7) ところで原告組合中央斗争委員会が、指令第十号をもつて傘下各級機関に実施を命じた勤務時間内職場大会は、第一に全組合員の参加の方針を採用した点において、第二に所謂拠点斗争方式を採用した点において従来原告組合が屡々実施してきた勤務時間内職場大会と自称する実力行使の方式とは著しく異なる特色を有するものであつた。すなわち昭和三十六年度春斗以前においても、原告組合は勤務時間内職場大会を開催したことはあるが、その際には常に組合員の一部を所謂保安要員として残留させ、被告公社はこれらの職員を施設の絶対に必要な最少限度の保守要員や重要通信の確保のための要員として、管理者や臨時雇傭者と共に勤務に服せしめるのを通例としていたのに対し、本件三・一六斗争においては全組合員を参加させ、一名の保守要員をも残さないという点で著しい特異性を有し、その実態は明らかに同盟罷業に外ならないものであつた。また三・一六斗争においては一支部一局所(全国五十九局七十一機関)のみに限定して重点的に同盟罷業を実施せしめ、しかも指定された拠点局がいずれも所謂手動局、すなわち電話交換が自動交換機によつてではなく電話交換手によつて行われる局所であつて、そのため職員が欠けることにより自動局とは比較にならない程の甚だしい業務上の支障を生ずるものであつたこと、しかもその拠点局所の指定については、所謂陽動作戦と称して前記(5)のように、先ず予備拠点局を各支部毎に三局指定し、三月十六日直前になつて最終的に一拠点局所を公表し、徹底的に被告公社の業務の攪乱をはかつたという点において、従来にみられない悪質な実力行使であつたのである。

2 丸亀報話局における三・一六斗争体制の確立

(1) 被告公社香川電気通信部(以下単に「通信部」とあるは、同通信部を指称する)管内においては、三・一六斗争の拠点局所として丸亀報話局が指定せられたのであるが、当時原告組合香川支部(以下単に「支部」とあるのは、同支部を指称する)の執行委員長であつた原告多田已年、同支部丸亀分会(以下単に「分会」とあるは同分会を指称する)の分会長であつた原告斉藤照和ら組合幹部の極めて積極的な教唆、煽動と強力な指導指揮の下に、被告公社の警告を無視し、前記指令第十号には全然指示されていないような深夜における局舎内への坐り込みによる局舎の不法占拠、応援管理者らの電話交換室への入室阻止による業務妨害、分会斗争連絡の発出、青竹を使用したピケツテイングの設定、丸亀報話局構内において指令第十号に指定する時間を越えて三月十六日当日午前十時十五分頃まで勤務時間内職場大会を開催する等他の拠点局所には見られないような過激な行動が展開せられた。而して原告多田、同斉藤らがかかる激烈なる斗争体制を確立するため、以下に述べるような行動をとつたのである。

(2) 原告組合は、昭和三十六年度春斗の要求事項や斗争方式を決定するについて、先ず分会、支部、地方本部という各級機関の討議を経たものを、前記のとおり、第二十六回中央委員会において集約したのであるが、丸亀分会においては拠点斗争方式を採用するか否かについては必ずしも意見が一致せず、これに反対する者も半ばを占める状態であり、そのため当初から拠点斗争方式に賛成していた原告斉藤らは、積極的に拠点斗争方式を受け入れるよう分会組合員を教唆煽動した。すなわち、同分会は右中央委員会に臨む同分会としての意識統一を行うために、二月七日職場委員会を開催し、要求事項や拠点斗争方式の採否等同年度の春斗について上部機関から諮問された事項について討議したのであるが、分会としての意見を統一することができず、電話運用課(電話交換を主業務とする課)や庶務課所属の分会組合員らは拠点斗争方式の採用に反対し、他方施設課(原告斎藤の所属課)や電話営業課(加入電話の新規申込みの受理、電話料金の計算、収納を主業務とする課)に所属する組合員らは、これに賛成するなど賛否両論にわかれ、結局支部委員会に出席した場合には、分会としては賛否相半ばし、意識統一のできないままである旨の発言をするということで、右職場委員会を閉会するというような事情にあつたのである。

しかるところ、前記(第三の三、(二)1(1))のとおり、原告組合第二十六回中央委員会においては、昭和三十六年度春斗の斗争方式の一環として拠点斗争方式が採用せられることとなり、かかる客観情勢の推移に伴い、当初から積極的に拠点斗争の受入れに賛成し、その主導者であつた原告斎藤は、丸亀分会長として、二月二十日婦人対策部会、同月二十一日職場委員会、同月二十三日勤務時間外職場大会、三月四日再び勤務時間外職場大会、同月十日婦人部総会というように数多くの集会、委員会を招集開催し、自ら若しくは他の同分会役員らをして春斗情勢の説明、春斗に対する組合員としての気構えの強調等春斗体制の確立と斗争意慾の盛り上げに努力し、さらに同月十日前記のとおり指令第九号(三・一六斗争への予備指令)が発せられるや、香川支部斗争委員長であつた原告多田已年らと協力して、益々強力に拠点斗争への準備を押し進めたのである。而して原告組合の組織内部においては、三月十四日の指令第十号発出に伴う斗争連絡第七十八号をもつて、各県毎に所謂予備拠点局所三局の指定が公表される以前の、すでに右指令第九号の発出された三月十日の段階において、予備拠点局所(香川支部関係では丸亀報話局、観音寺報話局、高松電報局)が決定せられており、ただ陽動作戦の一環としてこれが秘匿されていたにすぎず、そこで三月十日以降原告斎藤、同多田らは、香川支部や丸亀分会等において、一段と激しい教唆煽動を始めるに至つたわけである。

なお原告多田らは、右のように、すでに三月十日には予備拠点局所三局が決定されていたにも拘らず、これら偽装の予備局所すらも、三月十四日に至つて始めて公表し、また同日指令第十号発出の段階においては既に最終拠点局所として丸亀報話局が決定されていたにも拘らず、これを組織外には秘匿し、自ら独りで若しくは原告組合四国地方本部(以下単に「地方本部」とあるは、同本部を指称する)から派遣されてきていた訴外中担忠四国地方斗争委員(以下中派遣地斗と略称する)らと共に右予備拠点局所に赴き所謂オルグ活動をしたり、最高責任者は中派遣地斗であると通告する等して被告公社側をして、最終拠点局所の把握を著しく困難ならしめ、徹底した陽動作戦を実施し、もつて公衆電気通信業務に著しい障碍を生ぜしめた。

以下三月十一日以降三月十六日まで、原告多田、同斉藤の行動を中心として、日時を追つて順次その活動状況を明らかにする。

(3) 三月十一日の行動について

イ、原告組合中央本部より、前記のとおり三・一六斗争への準備指令であつた指令第九号が発出されるや、原告多田を斗争委員長とする香川支部斗争委員会は、丸亀分会に対して三月十一日分会斗争委員会を開催するよう要請し、原告斉藤はこれに応じて同日丸亀報話局構内線路詰所において丸亀分会斗争委員会を招集開催した。而して原告多田は右委員会に訴外猪谷敏昭支部書記長、同大成繁支部斗争委員の両名を派遣、丸亀分会三役(分会長であつた原告斉藤、副分会長であつた訴外須藤宏三、分会書記長であつた訴外浜本繁二、以下同じである)及びその他の分会斗争委員らに対し、中央団体交渉の推移その他春斗の中央情勢や拠点斗争における実力行使の方法等についてその大綱を説明させると共に、丸亀報話局が最終的に拠点局所として指定される場合に備えて、直ちに実力行使に突入し得るよう十分な体制を確立しておくよう指導させ、原告斉藤らはこれに応じて丸亀分会の斗争体制確立のために、来る三月十四日午後五時半頃から丸亀報話局に隣接する海徳寺において同分会としての春斗総決起大会を開催することを決定した。

ロ、なお原告斉藤は右分会斗争委員会の開催にあたり、被告公社と原告組合中央本部との間に締結された「組合活動に伴う局舎および設備の利用ならびに組合専従休暇中の職員の身分給与等の取り扱いに関する覚書」に定めた「組合活動に伴う局舎および設備の利用願」を提出せず、無許可で右線路詰所を使用した。

(4) 三月十三日の行動について

イ、ところで原告組合中央本部は三・一六斗争の実施に際しては、各地方本部へそれぞれ一名ずつの中央斗争委員を、また各県支部(各拠点局所)へは各地方本部からそれぞれ一名ずつの地方本部斗争委員を、最高責任者という名目で派遣したが、香川支部については松山市所在の原告組合四国地方本部から、当時同本部斗争委員であつた前記中担忠が右趣旨に従つて三月十三日派遣された。そして右中担忠の派遣に応じて同日午後一時頃から同三時半頃まで高松市所在の全電通会館(香川支部事務局)において、原告多田主催の下に三・一六斗争に対処するための香川支部斗争委員会(通称「第一回戦術会議」と呼称されている)が開かれ、中派遣地斗も右会議に出席し、その席上においては指令第九号が確認されるとともに、その内容についての意識統一が行われ、予備拠点三局へのオルグ責任者の決定(観音寺報話局は香川支部副委員長であつた訴外高井弘二、丸亀報話局は原告多田已年、高松電報局は香川支部書記長であつた訴外猪谷敏昭)、所謂陽動作戦の実施方法、三・一六斗争における原告組合員らの動員計画の大綱(各分会への動員割当数、動員された組合員の集結場所及び輸送のためのバスの手配等)、ことに香川支部傘下の各分会に対する拠点局所への動員割当数については、三・一六斗争の実施指令の発出をまつて、支部斗争連絡を発出してこれを行うこと等が協議決定された。

ロ、他方丸亀分会においては、同日午後五時過ぎ頃から丸亀報話局内女子第一宿直室において職場委員会(丸亀報話局内の各課単位で選出された職場委員と同分会執行部とで構成される分会議決機関)が開催され、原告多田は早速オルグ責任者としてこれに出席し、春斗の一般情勢、指令第九号発出についての中央本部の事情、拠点局所に指定された場合における斗争に突入する組合員の心構え等を話し、組合員として一致団結するよう要望する等、丸亀分会職場委員、役員らを指導激励し、原告斉藤らは、これら説明事項を確認して一般組合員らに周知徹底させることを申合わせた。

(5) 三月十四日の行動について

イ、同日午後四時頃原告組合中央本部より指令第十号が発出されるや、原告多田は直ちに右第一回戦術会議の決定に基き、同原告名義をもつて支部斗争連絡第十六号を発出して香川支部傘下の各分会に対し拠点局所への動員割当数を明示し、これを猪谷敏昭支部書記長らをして各分会へ連絡せしめた。

ロ、而して丸亀分会においては、同日午後五時頃から午後七時過ぎまで丸亀報話局に隣接する海徳寺において、原告多田、中派遣地斗、訴外猪谷敏昭ら出席の下に、約百名に達する丸亀分会組合員らを集めて三・一六斗争への突入を目指す丸亀分会総決起大会が予定どおり開催せられ、原告斉藤の開会挨拶と司会の下に大会の運営がなされ、訴外浜本繁二分会書記長の一般経過報告、訴外須藤宏三副分会長の春斗要求事項並びに合理化関係についての説明と報告の後、原告多田や中派遣地斗らが中央団体交渉の状況等春斗の一般情勢について説明し、分会組合員らを鼓舞激励して斗争意欲の高揚につとめ、三・一六斗争への突入を確認せしめた。

ハ、原告多田已年は右総決起大会の終了後同日七時過ぎ頃から丸亀市内在住の訴外大成繁支部斗争委員の私宅において再び支部斗争委員会(通称「第二回戦術会議」)を招集開催し、同日午後九時頃まで三・一六斗争における組合員の動員計画(原告組合員百四十六名、部外の応援労働組合員二百十名、計三百五十六名)、動員された組合員らの集結、分宿の問題、拠点局所における監視班の編成等について協議し、さらに一般市民への斗争についての周知方法等を決定した。

ニ、他方原告斉藤は、前記総決起大会の終了後同日午後九時頃から「組合活動に伴う局舎および設備の利用願」を被告公社に提出することなく、無断で丸亀報話局構内線路詰所を使用して分会斗争委員会を招集開催し、三・一六斗争の具体的実施方法について謀議するとともに、これらを同分会組合員らに周知徹底させるために、分会斗争委員らの討議と確認を得て、同分会の斗争指令ともいうべき分会斗争連絡第二十一号を発出することを決定し、直ちに文案を作成した上、同日午後十時頃右分会斗争委員会の終了後丸亀報話局構内二ケ所の掲示板に、丸亀分会長斉藤照和名義をもつてこれを掲示した。

ホ、右分会斗争連絡第二十一号は、「一、三月十六日全組合員は時間内職場大会に出席せよ。時間は午前八時三十分から十時までとし、保留要員は零でその他は従来通りとする。二、各組合員は要求事項を記入したビラを最低一枚以上作成し三月十七日午後五時までに職場委員を通じて斗争委員に提出すること。なお要求事項は何でも公社側に要求するものなれば結構です。三、街頭ビラ配布のため各職場委員単位より各一名ずつ動員に応ずること。集合は三月十六日午前八時三十分とし斗争委員の指揮に従つて下さい。四、その他動員に応じられるよう体制を整えること。」という内容のものであつて、指令第十号においても指示されていないような具体的な三・一六斗争の実施方法を明らかにした周到な斗争指令であつて、三・一六斗争の拠点局所に指定された全国五十九箇所七十一機関のうち、かかる斗争連絡を発出して積極的に組合員に対し三・一六斗争への参加、職場放棄を指令したのは丸亀分会のみであつた。しかも、右分会斗争連絡の内容、発出時点、観音寺報話局及び高松電報局各分会においては何ら右の如き斗争連絡を発していないこと等より、すでに原告組合内部においては、三月十四日指令第十号発出に際して最終拠点局所は決定されていたことが明らかである。

(6) 三月十五日の行動について

イ、同日午前八時四十分頃、中派遣地斗、原告斉藤、訴外大成繁支部斗争委員、同須藤宏三副分会長、同浜本繁二分会書記長ら五名の組合幹部は、訴外堀内善一丸亀報話局長に対し三・一六斗争の実施について非公式の話合いを求め、同局長に対し丸亀報話局が拠点局所として指定されたが、同局において実施される勤務時間内職場大会に関しては中派遣地斗が一切の権限と責任を持つていること、三月十六日には宿明勤務者を必ず定時(午前八時三十分)には退庁させること、臨時者を雇傭しないこと、斗争実施にあたつては紛争を起さないようにすること等を申入れ、同日午前九時十分頃まで話合いを行つた。右堀内局長は組合側の申入れに対し、被告公社としては三・一六斗争の実施は明らかに違法であると考えこれを認めないのであるから、その斗争責任者が誰であろうとこれを了承する筋合のものではないこと、宿明勤務者を定時退庁させるかどうかは被告公社の管理運営事項であるから回答の限りではないこと等を答え、若干のやりとりがあつたが、結局宿明勤務者の定時退庁、臨時者を雇わないこと、紛争はできるだけ避けるとの点についてはこれを了承した。

しかしその際原告斉藤に対しては、三・一六斗争の中止を求める厳重な警告書を手交し、また原告多田に対しても同日訴外黒岩太郎通信部長から同趣旨の警告書が手交された(前記第三、三、(二)1(6))。

ロ、他方原告斉藤は、同日午後三時頃と同四時半頃の二回に亘り、訴外須藤宏三副分会長ら分会役員をして丸亀報話局二階女子休憩室において職場集会を開催させて三・一六斗争に関するオルグ活動を実施させる一方、自らも同日午後四時半頃から約一時間に亘り、同局構内中庭において、勤務を終えて退庁する約二十名の職員に対し、「明日ピケが張られておれば、組合役員の指揮下に入つて下さい」等という趣旨のことを強く呼びかけて、勤務時間内職場大会への参加、職場放棄を教唆煽動する等の努力を続けた。

ハ、而して前記のように同日午後五時頃最終的に丸亀報話局が拠点局所に指定されたことが公表されるや、原告多田をはじめとする中派遣地斗、訴外高井弘二支部副委員長、同猪谷敏昭支部書記長、原告斉藤その他の丸亀分会役員らは、丸亀報話局前の七福旅館に参集し、同日午後七時頃から同九時頃まで支部斗争委員会(通称「第三回拡大戦術会議」)を開催し陽動作戦の一環として高松電報局へ集結していた動員組合員を直ちに丸亀報話局へ移動させること、ピケツトの配置及びその責任体制の確立(局舎公衆入口前のピケツトの責任者は原告多田、補助者は原告斉藤、通用門前のピケツトの責任者は訴外高井弘二支部副委員長、補助者は同浜本繁二分会書記長、局構内中庭出入口前のピケツトの責任者は訴外福田道広支部斗争委員、補助者は同武藤分会斗争委員)、被告公社の動静を適確に把握し情勢に応じて適切なスキヤツブ(スト破り)の阻止対策を樹てること、動員した組合員の宿泊準備、各斗争委員の責任分担の細分化等の具体策を協議決定した。

ニ、原告多田、同斉藤らは右第三回拡大戦術会議の決定に基き、被告公社側の動静や局舎内の状況の監視探索、ことに応援管理者数の把握あるいは勤務中の分会組合員らの鼓舞激励のために、同日午後九時過ぎ頃丸亀報話局内へ侵入した。すなわち、

(a) 原告多田、同斉藤は同日午後九時過ぎ頃訴外浜本繁二分会書記長とともに局舎内に入り、一階機械室、営業課窓口、電信室等の状況を探索した後に二階女子休憩室へ入り、折柄同室にいた訴外横田一男(当時善通寺報話局業務課副課長)ら三、四名の応援管理者らに対し「公社側の指揮系統はどうなつているか、応援管理者らは何人位いるのか、七、八十名はいるのではないか」等と問いかけて被告公社側の動静を探り、その後同日午後十時前頃原告多田は三階共通事務室へ入り、応援の管理者らの在室の状況を探索した。その際同原告の姿を見かけた訴外鎌倉則繁通信部労務厚生課長が同原告に対し「非常に情勢は厳しいので、総裁の警告にもあるとおり、場合によつては分会の段階でも解雇者のでるおそれもあるから、自重してほしい」旨を注意したところ、同原告は「課長、おどす気か」等といつて退室した。

(b) 他方原告斉藤は午後十一時頃勤務者以外の立入を禁止されている二階電話交換室へ侵入し、その後少し遅れて原告多田も同室へ入つたが、同原告は室内を一巡して様子を探り、勤務中の電話交換手らを激励して程なく退室したのであるが、原告斉藤は訴外須藤宏三副分会長らと暫く同室内に滞留し、午後十一時過ぎ頃、折柄業務視察のために同室へ入つてきた訴外岡内唯志通信部次長に対し「次長、お前は沢山の管理者を早うから入れて笑が止まらんだろう」等という趣旨のことを申し向けて応援管理者らの導入を牽制した。

ホ、その後午後十一時四十分頃訴外高井弘二支部副委員長から「ときよし」旅館において協議中であつた訴外堀内善一局長に対し、当時局長室において待機していた前記横田一男副課長を介して、電話をもつて会見の申入れがなされ、また午後十二時頃にも原告多田、同斉藤、中派遣地斗らから再び同様の申入れがあつたが、右の各申入れはいずれも会見の目的と用件を何ら明らかにせず、交渉事項や話合い事項については必ず事前に通知をするという通常の団体交渉や話合いの方式を決めた「昭和三十五年度における団体交渉方式に関する協定」の第十条に違反するものであつたし、また被告公社側としても目前に控えた三・一六斗争の対策打合せに忙殺され、深夜のことでもあつたので、これを拒絶した。

3 丸亀報話局における三・一六斗争の実態

(1) 当日午前二時頃、堀内善一局長ら局側幹部は「ときよし」旅館における対策会議を一応打ち切つて丸亀報話局局長室に帰り、さらに同室において確保すべき重要通信回線数、応援管理者の作業別配置の決定、当日の勤務予定者に対する職場復帰命令の文案作成及び掲示用垂幕の準備、勤務希望者の集合場所の選定及び呼びかけのための放送原稿の作成、警察当局への待機要請文案の作成等の諸準備に忙殺されていた。

(2) 他方組合側は同日午前二時頃から丸亀報話局構内の線路詰所を被告公社の許可なく使用して所謂緊急戦術会議を開催し、同日午前三時頃まで、原告多田、同斉藤のほか中派遣地斗、訴外高井弘二支部副委員長、同猪谷敏昭支部書記長、同須藤宏三副分会長、同浜本繁二分会書記長らが出席して原告斉藤ら分会役員の作成した丸亀報話局の局内見取図を参考にしつつ、局側の応援管理者らの導入に対する対策を協議し、多数の応援管理者らが所謂スキヤツブ(スト破り)として電話交換室へ入室し交換業務を取扱うことにより、三・一六斗争の効果が無に帰することをふせぐために、同日午前四時半を期して、分会組合員らを動員して、交換室前廊下及び交換室へ通ずる非常階段の二ケ所へ坐り込むことを謀議決定した。

(3) 而して右決定に基き、直ちに当時丸亀市内の津の森旅館等に分宿待機していた原告組合土庄分会、内海分会等の他分会からの応援組合員が動員せられ、同日午前四時半頃先ず原告斉藤が、須藤宏三副分会長、猪谷敏昭支部書記長らと共に約十五名の組合員らを指揮誘導して丸亀報話局中庭出入口より局舎内に侵入して二階電話交換室前に坐り込み、つづいて原告多田も約二十名の組合員らを指揮して中庭出入口より局舎内に侵入して同じく二階交換室前廊下に坐り込ませ、また一方訴外高井弘二、中派遣地斗らも約十名の組合員を指揮して公衆出入口から局舎内に侵入し、折柄同所営業窓口附近で待機していた訴外香川浅太郎丸亀報話局電話営業課長や、訴外黒川英一同局電報課長らの入つてはいけないとの制止を無視して、電話交換室前の廊下へ殺到し同所に坐り込み、さらに他方訴外浜本繁二分会書記長指揮の下に約十五名の組合員らが交換室へ通ずる非常階段に坐り込んだ。当時交換室で執務していた訴外十河歳勝丸亀報話局電話運用課長は、激しい騒音におどろいて交換室入口の扉を開けてみると、交換室前廊下に多数の原告組合員らが坐り込んでいるのを見て「ここへ来てはいけない、交換室の出入りが妨げられるので皆さん向うへ寄つて下さい。」と注意し、さらに交換室非常階段側出入口にもまわり、そこへ坐り込んでいた多数の組合員らに対しても「ここに坐つては通行の妨げになるので、ただちに外へ出てくれ」等と退去を命じたが、組合員らは坐り込みを解かないばかりか、坐り込み人員は刻々増加するばかりであつた。

局長室で準備していた局側管理者らは、坐り込みの知らせを受けるとともに、直ちにその対策を協議し、同日午前五時十五分頃堀内局長、原岡次長、山内庶務課長や鎌倉通信部労務厚生課長らが二階交換室前廊下の坐り込み現場へ向い、原告多田、同斉藤ら組合員に対し、堀内局長、鎌倉課長、山内課長らが口頭をもつて「業務上支障があるから直ちに退去して下さい」等と繰り返し退去を求め、さらに山内庶務課長において坐り込み現場前にある公社掲示板に「庁舎の使用は無許可であり、業務上支障があるからただちに退去して下さい局長」と記載した退去命令を掲示し、強く局外退去を命じた。これに対し、原告多田已年は坐り込みを敢行している組合員らの前面に位置して堀内局長に対し「何回も話し合いを申し入れておるのに応じないのは誠意がないじやないか、今から話し合いをもつてくれ」等と執拗にくいさがり、鎌倉課長が「話し合いは退去が前提条件だ」と発言すると激しくこれに喰つてかかり、又中派遣地斗、高井弘二、原告斉藤らも口々に話し合いを強要し、これに応じて坐り込んでいる多数の組合員の中からやじや罵詈雑言が飛び、騒然として混乱した状態に陥つた。局側としては宿直勤務中の電話交換要員が局外へ連れ出されるおそれがあり、又重要通信確保のための応援管理者らを交換室へ導入することが著しく困難となる等業務運営に多大の支障を生ずることを憂慮し、説得に努めたが組合側は全く之に応ぜず、執拗に話し合いを要求し、結局堀内局長らは、組合員ら多数の勢威に押され、これにとり囲まれるようにして最寄の二階修繕室の方へ引き下つていき、同室で事実上の話し合いを強要されるに至つた。

(4) 右修繕室における話し合いは、同日午前五時半頃から始まり、原告多田ら組合側幹部は、(イ)堀内局長に対し何回も面会を申し入れているのに今に至るまで之に応じないのは誠意がない、(ロ)応援の管理者らが局舎内で飲酒酩酊して土足で交換室に上がり、交換手らをからかつたのは不都合である、(ハ)大勢の管理者らを入局させていることは組合員らを刺戟するから数を減らせ等と声高に抗議し、これに対し堀内局長は組合からの会見の申入れに対しては、時間的な余裕があればこれに応ずる積りであつたが、斗争対策の打合せや準備に忙殺されて午前四時半の時点まで、会見の時間がとれなかつたまでであること、管理者らが飲酒酩酊したりあるいは電話交換要員に対し不穏当な行為に及んだ事実は全くないし、又聞いていないこと、管理者の導入については、組合側において保安要員を零とする斗争を計画している以上、公社としては重要通信確保のためにたとえ不慣れながらも管理者を導入することが当然の責務であること等を説明したが、組合側は納得せず、その間(午前六時半頃)鎌倉課長が原告多田已年らに対し、「とにかくすわり込みを解いて退去してから話し合うべきではないか」という趣旨の発言をすると、同原告が激しい口調で「お前だまつとれ、局長とわしが話をしておるんだ」と喰つてかかる一幕もあつて、労使双方の間に同じ主張が繰り返され、同日午前七時前頃まで押問答が続き、話し合いは一向に進展しなかつた。

(5) 局側としてはかかる状態が継続し、堀内局長ら局側幹部が話し合いのため拘束させられて、三・一六斗争に対処するための諸準備や必要な指示の発出がなされないまま勤務時間内職場大会(要勤務者全員の職場放棄)の始まる始業時にまで立至つたときは、重要通信の確保等に重大な支障の発生することが予測せられたので、訴外黒岩太郎通信部長の指示で同日午前六時半頃から右話し合いに参加していた岡内同通信部次長は、原告多田已年ら組合側の主張の要点は、電話交換業務にあたる応援管理者数を減員させることにあるものと判断し、坐り込み組合員を局外へ退出させるための手段として、止むなく入局中の応援管理者四十三名中、三分の一程度を減員することを条件に坐り込みを解くことを求める提案(以下「岡内提案」と略称する)を行い、組合側から右提案なら考える余地があるので、午前七時まで一旦休憩し、それ以後回答を行うこととしたい旨の発言があり、局側はこれを諒承して同日午前七時まで休憩し、組合側の回答を待つこととなつたのである。

(6) 同日午前七時十五分頃再び右修繕室において話し合いが始められ、局側から前記岡内提案についての回答を求めたところ、原告多田已年らはこれに対し再び飲酒問題とか、会見申入拒否の問題をむしかえし、黒岩部長が入室して来ると、局側の顔触れが一名変つたことを理由に組合側は休憩前の押問答と同様のことを繰り返し、話し合いは進展しないまま経過するうち、突然大勢の組合員や訴外西種義数香川県議会議員、訴外阿河準一弁護士らが「警察官が来ているではないか、公社が呼んだのだろう」「労働問題で警官を導入するとは何か」等と叫びながら修繕室へなだれ込んできたため、話し合いは中断し、収拾のつかない混乱状態におちいつた。そこで在室していた黒岩太郎通信部長は右混乱状態を収拾するために、原告多田已年ら組合側に対し、(イ)警官隊は引きあげさせる、(ロ)重要な電話加入者約四百回線の通信を確保するために必要な要員数を労使双方の専門家によつて計算することとする、(ハ)応援管理者の交換能率は、一般電話交換手の二割として計算するとの提案を行い、組合側もこれを了承して同日午前七時四十分頃一応混乱した事態は収拾せられた。そこで岡内通信部次長は、原岡丸亀報話局次長をして警官隊引揚げの措置をとらせると共に、右提案に基づく要員算出のための局側代表として十河電話運用課長を指名し、他方原告多田已年は訴外須藤宏三副分会長を組合側の代表に指名し、直ちに三階共通事務室において同日午前七時五十分頃から算出作業を始め、局側は岡内唯志次長、堀内局長、原岡次長、黒岩通信部長、山内庶務課長らが立会し、また組合側は訴外猪谷支部書記長が立会し、後に原告多田、同斉藤並びに中派遣地斗らが加わつた。

而して右計算の結果、約四百回線の通話を取り扱うために要する基礎人員、すなわち専門の女子交換手が取扱うとした場合の要員を局側は八名、組合側は六名と算出し、従つて管理者の交換能率を専門の交換手の二割程度とみて、右約四百回線の通話をさばくために要する応援管理者数は局側は四十名、組合側は三十名という人数になつた。原告多田已年ら組合側幹部は、右の要員数四十名とする局側の主張を「甘い」と称して容れず、そこで事態の収拾を急いでいた局側としてはやむなく組合側の算出数まで譲歩することとし、岡内唯志次長から「三十名でいいからその人数を交換室へ入れてくれ」と申出たのであるが、組合側はなおそれでも多すぎるとして譲らず、労使双方にやりとりが続いて妥協のつかないまま、同日午前八時二十分頃まで押問答が行われ、遂に岡内次長は「二十五名まで譲歩するから、入室を認めて貰いたい」旨を提案し、事態を収拾しようとはかつた。しかるところ、突然居合わせた原告斉藤が、「管理者の能率二割というのはおかしいではないか。公社の欠員補充はいつも一対一でやつているのだから、この際も組合の算出した六名で十分だ。五倍にしてくれなんてそんなことでは話にならん」等という趣旨のことを強硬に発言し始めたため、かえつて事態は悪化し、岡内次長が原告斉藤を説得したが頑として譲らないため、偶々その頃席をはずしていた原告多田を呼び寄せて経緯を説明して了解を求めたところ、原告多田も俄かに原告斉藤の発言を支持し始め、「斉藤分会長のいうとおりだ。能率二割などということはない。六名で十分だ。」等と云つてそのまま二階の方へ降りて行つた。その頃すでに時刻は午前八時二十五、六分頃になつており、困窮し切つた黒岩通信部長、岡内次長、堀内局長らは直ちに原告多田已年らの跡を追い、二階の坐り込み現場前附近で原告多田已年に追いすがつて、二十五名の管理者を入室させるよう要求したが、同原告は全く譲歩の様子をみせず、そのため立腹した黒岩通信部長が切羽つまつて「六名程度の人間ではサービスは無に等しいから、電源を切断します。」と最後的な発言をしてその場から立ち去ろうとする姿勢をみせたところ、原告多田已年も漸く話し合いに応ずる態度をみせ、「それでは九名にします。九名が最大限だ」と発言した。局側としては既に時刻も午前八時半に近く、宿直勤務の女子交換手九名が退庁する時点になつており、これ以上折衝が長びいては一名の管理者をも入室せしめ得ない事態に至ることを憂慮し、仕方なく岡内次長から、さらにもう一名追加して十名認めて欲しい旨を申し述べて原告多田已年もこれを了承し、ここに同日午前五時十五分頃から延々三時間余にわたつて続けられた話し合いも漸く成立し、直ちに、すでに交換室で業務をとつていた二名の管理者を除く、八名の応援管理者が電話交換室に入つたのである。

(7) ところで局側幹部と組合側幹部との間に右の如き激しい折衝が行われていた間も、坐り込みの組合員らの数は刻々と増加し、同日午前七時頃には二階交換室前廊下に坐り込んだ組合員らのみでも約七十名の多きに達し、局側管理者らが自由に交換室へ出入することは全く不可能な状態にあつた。

(a) 同日午前四時半頃、組合側が坐り込みを始めた際丸亀報話局労務厚生主任であつた訴外小島繁雄が、非常階段を通つて交換室へ入ろうとして同階段に赴き、坐り込んでいる組合員らに対し、「そこを通してくれ」と云つて通ろうとしたが、「いかん、いかん通さんぞ」等と云われて交換室への入室を阻止された。

(b) 同日午前六時半過ぎ頃、電話交換室内で勤務していた訴外渡辺カツ丸亀報話局電話運用課副課長が、用便のため交換室出入口の扉を開けて外へ出ようとしたところ、交換室前廊下に坐り込んでいた組合員らが、口々に「こんな所を通れると思つとんか、何しとるんだ」「すつこんどれ」等と罵詈雑言を浴びせたため外へ出ることが出来ず、見かねた訴外十河歳勝電話運用課長が、坐り込んでいる組合員らに「分会か組合の幹部らはおりませんか」と声をかけ、出てきた須藤宏三副分会長と折衝して、漸く渡辺副課長は用便を足すことができた。

(c) 同日午前七時頃、堀内局長、岡内次長が電話交換室内での交換業務の状況を視察しようとして、交換室へ赴こうとした際、すでに二階階段附近までせり出して来ていた坐り込みの組合員の前面に鉄かぶととマスクを着用して陣取つていた二名の組合員が、「入つてはいけない」と制止し、岡内次長が「仕事をするのではない、中を見るだけであるから通してくれ」と要求したが、組合員らが立上つて両手で同次長らの通行を強硬に阻止したため、遂に交換室内へ入ることはできなかつた。また同時刻頃訴外山内昌孝庶務課長も、交換室へ入ろうとして右鉄かぶと着用の組合員らに通行を阻止されたのである。

(8) 而して右の状態は、局側と組合側との応援管理者の交換室入室についての話し合いが終了し、宿直勤務の女子交換手と交替に応援の管理者らが交換室に入つた後も依然として続き、同日午前八時三十分過ぎ頃黒岩太郎通信部長、堀内局長が交換室へ入つた応援管理者らの執務状況をみるため、坐り込み現場に行つたところ、組合員らに「あんた方は入つちやいけない」と阻止されたので、堀内局長が「いや自分らは監督者として交換室の状況を視察するのだから、一寸入らしてくれ」と云つて通ろうとしたが、前同様鉄かぶとを着用した組合員が、両手を拡げて「いかん、いかん」と入室をはばみ、またその場で組合員らを指揮していた原告多田已年も、「部長、いまは組合員も興奮しているから止めたほうがいいんじやないですか」等と発言して牽制し、遂に入室できなかつた。局側は、同日午前五時十五分頃から後も引きつづいて、前記のように二階女子休憩室前の掲示板に退去命令を掲示して継続して退去を求めていたのであるが、結局組合側の坐り込みは、同日午前九時五十分頃、原告多田已年、同斉藤照和ら組合側役員の笛(当日組合側は三・一六斗争の指揮をとる組合員に笛を所持させていた)を合図に、「解散大会」と称する勤務時間内職場大会が始められるまで続行せられ、その間局側は、組合側との話し合いにより入室した前記十名の管理者をのぞいては、一名も交換室へ入ることはできなかつた。

(9) 一方丸亀報話局庁舎外においては、原告多田ら組合側の幹部の計画したとおり三・一六斗争から脱落した職員らの出勤を阻止する目的をもつて、当日午前六時四十分頃には、丸亀分会所属の組合員らや応援のため動員された他分会の組合員の外に、部外の労働組合員らが集結して、局通用門附近には約四十名、公衆入口前附近には約六十名が前後数列にわたつてスクラムを組んでピケを張つており、その後益々人員は増加してピケが強化され、遂に約百七、八十名に達して盛んに労働歌を高唱し、最前列のピケ隊員らは直径七、八糎、全長四米を越える青竹を横に構えて強力なスクラムを組み、あるいは局舎公衆室内に侵入して気勢をあげる等して一般市民の利用者が丸亀報話局へ入ることは殆ど不可能な状態になつていた。而して原告多田已年は自ら公衆入口前ピケの責任者として、同日午前八時八分頃、局外のピケ隊員の前に姿を表わし、通用門前附近の共斗ピケ隊に対し携帯用マイクを使用して挨拶と三・一六斗争の経過報告を行い、さらに同八時十二分頃折柄公衆入口前道路上において当日の丸亀報話局勤務予定者に対し就労方を呼びかけていた鎌倉則繁課長を「御紹介します。こちらは香川電気通信部の労務厚生課長で平常われわれと最も関係の深い立場におられる方であります」等と揶揄するような口調でピケ隊に紹介し局舎内に入り、さらに同日午前九時四十五分頃、再び通用門前道路上に於てピケツトに入つていた訴外西川博通(丸亀分会組合員、丸亀地区労働組合協議会副議長)と打合わせを行う等、ピケツトを張つている組合員らを激励し、原告斉藤も局舎公衆入口前ピケツトの補助責任者として時折これを見廻る等し、これらピケツトは同日午前九時五十分頃まで続けられ、その間同日午前八時四十分頃丸亀報話局宛に配送されてきた荷物を受領するため右公衆入口まで出て来た訴外宮下義朝通信部計画課長がピケツトを張つていた労働組合員らに取り囲まれて「こんな管理者は出してしまえ」とばかりに路上に押し出された上、入局を阻止され、その後同日午前九時十分頃宮下義朝が公衆入口前のピケ隊員から「お前は中にいたのであるから入れてやる、入れ」等と声をかけられ、ピケツトに近づいたところ、いきなりピケ隊員らが同課長の腕を掴んで取り囲み、スクラムの中にまきこんで数分間所謂洗濯デモを行う等の暴行に及び、同課長は路上に出ていた訴外鎌倉課長に手をとられて漸く脱出する仕末であつた。

(10) ところで三・一六斗争の主目的である勤務時間内職場大会は、先ず当日午前七時二十分頃から、折柄の小雨を避けて丸亀報話局舎一階中廊下において、女子組合員らを中心とする約三、四十名の丸亀分会組合員らが集つて始められ、二、三列横隊のスクラムを組んで労働歌等を高唱し、原告多田らの情勢報告を聞きながら同日午前九時五十分頃まで続けられた。而して右中廊下に於ける職場大会は、他面においては組合側が第三回拡大戦術会議において計画したところの応援管理者ら所謂スキヤツブの入局阻止及び三・一六斗争から脱落した組合員らの出勤阻止を目的とするピケツトの役割をも兼ねるものであつた。

次いで原告多田、同斉藤ら組合側幹部の吹き鳴らす笛を合図に局舎内の坐り込み、局舎出入口のピケツトが一斉に解かれ、同日午前九時五十七分頃から会場を丸亀報話局構内中庭に移して、丸亀分会組合員の外に他分会から応援のため動員された原告組合員や部外の応援の労働組合員ら約四百名に達する多数の者が集つて解散大会と称する勤務時間内職場大会が開催せられ原告多田は司会者として右大会参加者らに対し「我々全電通は始めて保安要員零の時間内職場大会を行うことができたが、これは皆さんの暖い支援のおかげであつて深く感謝する」等という趣旨の挨拶を行い、当日勤務の丸亀分会組合員らが午前十時を期して勤務のため入局するに際しては、「十時から勤務につく丸亀の組合員らが入りますから、拍手をもつてお迎え下さい。」と大会参加者に呼びかけてこれを実行させる等し、終始指導的立場を占めて同大会を主宰し、原告斉藤も分会長として同大会に参加した分会組合員らの先頭に立ち、集合場所や整列について指示を与え、前夜来からの情勢等についての説明等を行い、同分会員らの指揮をとつて、自らも右大会に終始参加していたものである。この間堀内局長は、職場復帰命令を出し、職場大会の中止を求めたが、これに応ずる者なく、また同日午前十時頃局舎外にいた鎌倉労務厚生課長ら管理者らが、ピケの解散に伴つて構内中庭に入り、右大会の様子を見ていたところ、司会をしていた原告多田已年から携帯マイクを利用して「大会を妨害するものとして管理者の方の退場を命じます」等と放送されて中庭を出るよう要求され、これに応じないでいたところ、組合員の一部から旗竿のようなものをふりあげて、「早く失せんか」と云つて追い出されたのである。かくして同日午前十時十五分頃右大会は終了し、三・一六斗争は一応終了することになつた。

なお原告斉藤は当日午前八時三十分から勤務すべきものであつたにも拘らず、職場放棄をなし、同日午前十時十五分頃まで右解散大会に参加しこれを指揮指導したものである。

(11) その後同日午前十一時頃から約三十分間にわたり、原告多田、訴外高井支部副委員長、同猪谷支部書記長、中派遣地斗、原告斉藤ら組合側幹部は、警官導入問題について堀内局長に対し抗議を行い、陳謝を要求した。なお原告斉藤は勤務時間中に右抗議行動に加わり、重ねて職務を放棄したものである。

4 三・一六斗争と丸亀報話局における業務阻害等の状況

以上のような三・一六斗争の実施のために、丸亀報話局における電話交換等の公衆電気通信業務は著しく阻害され、殆ど麻痺状態に陥つたものである。すなわち、その状況は次のとおりであつた。

(1) 当日出勤予定者の職場放棄と応援管理者らの作業能率

三・一六斗争当日、所謂始業時から午前十時までの時間帯に於ける丸亀報話局の出勤時間別勤務予定人員は、午前七時出が一名、同七時半出が七名、同八時出が六名、同八時半出が五十九名、同八時四十五分出が二名、同九時出が一名、同九時十五分出が三名、同九時半出が一名、同九時四十五分出が二名、同十時出が一名と宿明け勤務者十二名、以上合計九十五名(内訳電話交換手五十一名、電話営業八名、電報五名、施設二十名、庶務十一名)であつたところ、三・一六斗争実施のために、右時間帯においては、宿明け勤務者十二名と午前十時出の者一名を除いたその余の八十二名の職員全員が出勤しなかつたために、午前七時から午前十時までは殆ど管理者のみによつて業務の執行をする状態に追い込まれた(但し、午前八時三十分までは宿明け勤務者在勤)。

而して、丸亀報話局における主たる業務である電話交換の点についてみれば、管理者らは殆ど大部分は電話交換業務の未経験者であり、極めて少数の経験者とても長年交換作業から離れていたのみならず、三月十六日午前零時三十分頃から同日午前二時三十分頃までの僅か二時間の間に交代で実地練習を受けた程度に過ぎず、一般の電話交換手でもその養成に約三ケ年を要することよりすれば、管理者らの電話交換に関する作業能率は一般電話交換手の一割ないし三割程度(一時間当りの交換取扱量が一般電話交換手約二百八十に対して管理者は二十八乃至八十程度)であつたにすぎず、また電報業務についても当時の丸亀報話局においては、電報通信方式は、電話を利用するものは別として、KP通信という方式であつて、電報の送受信作業を複雑な符号を組合せて機械により自動的に行うものであり、その操作は最も高度の知識と訓練を要し、一般職員でもこれに従事するものは通例東京都所在の被告公社中央電気通信学園において八十日間の専門的訓練を要するものであり、三・一六斗争当時の応援の管理者中かかる経験を有するものは全くなく、また土地不案内のため電報配達も殆どできない状態にあつた。

(2) 電話交換業務の阻害状況

当時丸亀報話局の一般加入電話回線数は二千百八十七、公衆電話回線数八、専用電話回線数三、以上合計二千百九十八回線であつたが、三月十六日午前四時半頃前記のとおり組合側が交換室前廊下等に坐り込んだために、応援の管理者らを電話交換要員として交換室へ導入すること自体が不可能となり、そのため同日午前八時半に宿直勤務の一般の電話交換手(いずれも殆ど経験五年以上の熟練者)が退庁した場合局側としては交換室内で勤務していた十河歳勝課長、渡辺カツ副課長ら僅か三名の管理者で同日午前十時まで電話交換業務を遂行しなければならないという最悪の事態の発生も十分予測され、かかる事態に立至るときは、同局における電話交換業務は殆ど完全に麻痺状態となり、重要通信の確保すらも出来ないばかりか、交換機器自体の保全、ことに火災発生の危険等が考えられたので、堀内局長は止むなく重要通信確保等のために同日午前七時頃、公衆電気通信法第六条および電信電話営業規則第二百四十条の二、同規則別表(通話の優先確保順位)に基いて、取敢えず右二千百九十八回線中重要通信回線約四百を残したその余の約千八百回線を規制することを決定し、同日午前七時四十五分頃から同八時二十五分頃まで規制作業を行わせ、結局千八百三回線を規制し、三百九十五回線(十七・七パーセート)のみを残す破目に追いこまれた。そして右規制加入電話については、発信通話は勿論、着信通話も全く不可能となり一切の通話が停止したのである。また市外回線についても、丸亀報話局における直通待時回線四十八回線のうち二十九回線(約六十パーセント)及び即時回線八十三回線のうち三十三回線(約四十パーセント)をそれぞれ規制せざるを得なくなつた。

しかも組合側との話合いにより当日午前八時三十分過ぎ頃に電話交換室へ入室することのできた管理者数は僅かに十名であつたために、実際に当日午前八時三十分頃から同十時までに接続することのできた通話数は、市内通話については三百二十度であつて、三・一六斗争実施直前の三月十四日に於ける右と同じ時間帯における接続通話数四千八百二十六度に対し、実に僅か六・六パーセントという激減ぶりであり、また市外通話については二百十五度で、三月十四日の同じ時間帯における接続数千二百七十三度に対し、十七パーセントにすぎず、電話番号案内サービス(三月十四日の同じ時間帯における取扱数三百五十度)に至つては全く停止してしまう状態であつた。なお窓口における通話受付もピケツトに阻れて、右時間帯において僅か三件(通常は七件位ある)に止まり、そのうちにはピケ隊員自らがかけた通話も含まれていた。

(3) 電報業務の阻害状況

丸亀報話局における三月十六日午前零時から同十時までの電報取扱数と平常日の取扱数(三月十六日を中心として前後約一ケ月間の調査資料に基く平均取扱数をいう)とを比較してみると、窓口受付電報六通(平常日九通)、電話託送電報二通(平常日十通)、通信送信数八通(平常日二十通)、通信受信数十二通(平常日三十五通)、電報配達四通(平常日二十五通)という状況であつて、電報受付数は平常日の四十二パーセント、通信四十四パーセント、配達に至つては僅かに十六パーセントという割合であつた。ことに電報配達については、丸亀郵便局に配達すべき為替電報三通をも含めて僅か四通を配達し得たにすぎず、これは電話回線の規制のために電話による配達のできなかつたことと応援の管理者らが土地不案内で不慣れなことによるものというべく、そのため当日午前十時の三・一六斗争終了時における電報停滞通数は十二通でその遅延時間は最高一時間四十二分に及び、局内停滞時間として許された標準十七分をはるかに超えるものであつた。

(4) その他の業務の阻害状況

電話交換、電報受付、配達等の外に、電信電話機械の保守(電圧調整、電池測定、障害受付とその修理、障害電話の試験等)、電話線路の保守(障害電話機の修理、電話機の移転、架設、線路の修理等)、電話営業(加入電話の新規申込の受付、電話設置場所の移転、名義変更、電話料金の計算事務、支払請求書の発行、料金収納等)、庶務、会計、給与等の各業務はいずれも三・一六斗争による職員の職場放棄のため、当日始業時から午前十時まで完全に停止した。また丸亀報話局に対する業務応援のために管理者多数を派遣した各報話局、通信部等も少なからざる支障を生じた。

(5) 一般市民からの苦情申告

三・一六斗争の実施による加入者からの苦情の申出は、電話回線規制以前の当日午前七時四十分頃からすでに多数あり、電話をもつて苦情の申出がなされたのみでなく、丸亀報話局に来局して、電話がかからないことについての苦情申告があつたのである。すなわち、当日午前七時四十分頃からすでに千番という苦情申出用の電話や、〇番という管理者席の電話がかかりきりの状態で「交換手の出方がおそい」とか「電話が通じないではないか」等という苦情の申告が相つぎ、午前八時半以後においても、電話回線の規制のため通話不能となつた加入者から、数十件に及ぶ苦情の申出があり、これを苦情申告処理簿に記載する余裕がないほどであつた(同処理簿に記載されてあるのは特に強い苦情申出のあつた四件であるが、ことに訴外松田寿雄からは、ストの責任者に話がしたいと申込まれ、原告斉藤にこの旨を連絡して回答をなさしめた事実すらあつた。)。さらに訴外丸亀証券株式会社からは、三・一六斗争終了直後に責任者が公衆窓口に来局して強硬な苦情申出があり、十河電話運用課長らが応待に努め、漸く了解を得るという一幕もあつたのである。

5 丸亀報話局における三・一六斗争の特色

本件三・一六斗争は前記二1(7)のとおり、各拠点局所において千差万別の形をとつて行われたものであるが、以上に明らかにした丸亀報話局における三・一六斗争の実態は、

(1) 原告多田、同斉藤らの指導により、多数の組合員らが管理権者の許可なくして深夜局舎内へ侵入し、丸亀報話局長の退去命令を無視して電話交換室前廊下等に坐り込み、管理者らの電話交換室への出入を完全に阻止したこと、

(2) 右坐り込みの勢威を背景として局側に対し話合いを強要し、被告公社にとつて最も重要な電話交換業務のために局側管理者が電話交換室へ入る人員数を極度に制限して、著しく被告公社の業務を阻害したこと、

(3) 分会長である原告斉藤自ら争議行為の指令である分会斗争連絡第二十一号を発出して、分会組合員に積極的に職務の放棄を教唆煽動したこと、

(4) 管理権者の許可なく局舎内(一階中廊下)あるいは局構内中庭を使用して勤務時間内職場大会を開催し、しかも午前七時二十分頃から午前十時十五分頃までの長時間に及んだこと、

(5) 外部支援団体による強固なピケツテイングを行い、青竹を使用したり、局側管理者をピケツトに巻き込んで所謂洗濯デモを行う等の暴行に及び、あるいは職場大会を傍聴しようとした管理者を旗竿をふるつて追い出す等の行為をしたこと

等の諸点において、他の拠点局所にはみられない激しいものであつたのであり、三・一六斗争において他の拠点局所においては一般に局舎外の、しかも構内ではない他の特定の場所で職場大会を開いていること、拠点局所に指定されたのにこれを拒絶して指定を「返上」する局所もあつたこと等に比較して丸亀報話局におけるそれは、指令第十号の範囲をも逸脱する過激悪質なものであつたというほかはないのである。

(三)  原告多田已年、同斉藤照和の責任について

1 以上のように原告組合中央斗争委員会の指令に基いて丸亀報話局において敢行された所謂勤務時間内職場大会は、賃金引上げ等の原告組合の要求を貫徹するために、被告公社の中止の警告、堀内局長の職場復帰命令を拒否して出勤予定の丸亀分会組合員全員参加の下に行われたものであり、換言すれば出勤予定の分会組合員全員が始業時から午前十時まで一斉に職務を放棄し、その結果前記のように被告公社の業務の正常な運営を阻害したものであるから、明らかに同盟罷業(所謂時限ストライキ)であり、また丸亀分会組合員をはじめとする原告組合員が丸亀報話局二階電話交換室前廊下及び非常階段に坐り込み、堀内局長の退去命令を拒否してこれを継続し、局側管理者らの右交換室への出入を阻止、あるいは電話交換業務のために入室する管理者数を制限してその職務の執行を妨げ、さらに局舎外にピケツテイングを張る等して職員が局舎内の所定の勤務場所へ入局して執務しようとしても、事実上著しくそれを困難ならしめて出勤を阻止したことも、まさに被告公社の業務の正常な運営を阻害する行為であり、しかも賃上げ等の原告組合の春斗要求を貫徹するための手段としてなされたものであるから所謂争議行為に該当するものといわなければならない。従つて以上の行為はいずれも公労法第十七条第一項前段の規定により、被告公社をはじめとする公共企業体等の職員および職員の組合がこれを実行することを禁止された行為であることが明らかである。

2 しかるところ、原告多田已年、同斉藤照和は、被告公社職員として、自ら右勤務時間内職場大会、局舎内への坐り込み、ピケツテイング等の争議行為の実行に参加するとともに、右争議行為の実施にあたり、その具体的施策を一部の組合員らと協議、企画し、あるいは中央斗争委員会の斗争指令の実行を鼓舞要求する意図をもつて指揮下の原告組合員に伝達し、自ら斗争指令を発出し、度重なる職場集会、春斗総決起大会等を開いて組合員らに右の如き争議行為を行うことを鼓舞煽動し、活溌なオルグ活動を行つたことは前記のとおりであつて、かゝる行為が公労法第十七条第一項後段の規定に禁止するところの争議行為を共謀し、そそのかし、あおる行為に該当するものであることは明白である。原告多田已年、同斉藤照和の右公労法第十七条第一項違反の各所為を要約すると次の如くである。

(1) 原告多田已年が、前記のとおり、(1)三月十五日午後九時過ぎ頃から丸亀報話局庁舎内に侵入し、被告公社側の動静を探索し、あるいは同日午後十一時頃電話交換室へ侵入し室内を見廻つたこと、(2)三月十六日午前二時頃から丸亀報話局構内線路詰所を無断で使用して被告公社の庁舎管理権を侵害したこと、(3)同日午前四時半頃原告組合員ら多数を指揮して坐り込みを敢行し自らもこれに加つたこと、坐り込み現場において原告組合員らを指導したこと、(4)右坐り込みの勢威を背景として局側管理者らに話合いを強要し、電話交換室への管理者の入室を阻止し、あるいはその数を制限したこと、また局側幹部との間に電話交換室へ入室する応援管理者数についての話合いが成立した後も、坐り込みを続行し、一般職員らの入室をも阻止したこと、(5)丸亀報話局一階中廊下附近及び中庭において二回に亘つて行われた勤務時間内職場大会に自ら司会者等として参加し、傍観している管理者を中庭から追い出したりしたこと等は、自ら公労法第十七条第一項前段の規定の禁止している所謂争議行為に参加し実行したことに該当し、

さらに同原告が、(1)三月十一日丸亀分会に対し分会斗争委員会の開催を要請し、これを自己の腹心である訴外猪谷敏昭支部書記長、同大成繁支部斗争委員を派遣して、拠点斗争に関する実力行使の大綱を説明させると共に、分会の斗争体制の確立について指導を行わせる等分会役員を教唆煽動したこと、(2)三月十三日にイ、支部斗争委員会(第一回戦術会議)を開催して指令第九号を確認し、拠点斗争の実施に伴う組合員の動員計画を樹立する等具体的実施方法を謀議したこと、ロ、さらにオルグとして自ら丸亀分会職場委員会に出席し、拠点斗争における実力行使の内容等について説明指導し、争議行為を煽動したこと、(3)三月十四日には、イ、自己名義をもつて支部斗争連絡第十六号を発出して傘下の各分会別に拠点局所への動員割当人数を指示すると共に、訴外猪谷敏昭支部書記長をして各分会宛にこれを連絡させたこと、ロ、丸亀分会春斗総決起大会に出席して激励演説を行い、分会組合員らを鼓舞して斗争意欲の高揚につとめる等の煽動行為を行つたこと、ハ、さらに支部斗争委員会(第二回戦術会議)を招集し、三・一六斗争に伴う動員組合員の移動、集結、分宿等の問題、丸亀市民に対する広報活動、監視班の編成等の具体的実施方法について謀議したこと、(4)三月十五日支部斗争委員会(第三回拡大戦術会議)を招集し、局側の動静把握、ピケツトの配置、応援管理者(スキヤツブ)対策等について謀議決定したこと、(5)三月十六日にイ、午前二時頃から緊急戦術会議を開催して局舎内への坐り込み等を謀議決定したこと、ロ、午前四時三十分頃多数の原告組合員らを煽動して局側幹部の制止を無視して、局内に不法に侵入せしめ、二階交換室前廊下等に坐り込みを敢行させ、さらには坐り込み現場において組合員らを指揮指導し、遂に同日午前九時五十分過ぎ頃まで延々五時間余にわたつてこれを続行させ、その間局側管理者らの電話交換室への通行を阻止せしめ、且つ坐り込んだ組合員らをして職場放棄をなさしめたこと、ハ、午前七時二十分頃から同九時五十分頃まで局舎内一階中廊下において丸亀分会組合員らをして勤務時間内職場大会を開催せしめたこと、ニ、午前八時過ぎ頃丸亀報話局通用門前のピケツトに対し挨拶と経過報告を行いこれを鼓舞激励し指導したこと、ホ、午前九時五十七分頃から丸亀報話局構内中庭を不法に占拠して約四百名に達する原告組合員及び部外の支援労働組合員を集めて勤務時間内職場大会を開催し、自ら演説を行つてこれを鼓舞激励したことは、公労法第十七条第一項により禁止された争議行為を共謀し、そそのかし、あおる行為に該当するものである。

(2) また原告斉藤照和が、前記のとおり、(1)三月十四日午後九時頃から無断で丸亀報話局構内線路詰所を使用して分会斗争委員会を開催して、被告公社の庁舎管理権を侵害したこと、(2)三月十五日午後九時過ぎ頃から丸亀報話局庁舎内へ侵入し、局側管理者らの動静を探索し、また同日午後十一時頃電話交換室内において訴外岡内唯志通信部次長に対し牽制的発言を行つていること、(3)三月十五日午後八時半頃から三月十六日午前四時半頃まで無断で右線路詰所を、組合側の三・一六斗争の本拠として使用し、被告公社側の庁舎管理権を侵害したこと、(4)三月十六日午前四時半頃から、自らも原告組合員らの先頭に立つて丸亀報話局庁舎内への坐り込みを敢行し、局側幹部の退去命令に応ぜず、かえつて局側幹部に抗議する等し、局側管理者らの電話交換室への入室を阻止したこと、(5)電話交換室へ入室させる応援管理者数について労使双方の間に一応の話合いが成立したのちも、坐り込みを続けたこと、(6)専門家会議の席上において、所謂一対一発言を行い、応援管理者らの電話交換室への入室数を著しく制限させるに至つた重大な契機を与え、被告公社の業務の運営に著しい障害を与えたこと、(7)丸亀報話局一階中廊下において丸亀分会組合員らをして勤務時間内職場大会を実施させて職場放棄を行わせ、あるいは自ら局舎前のピケツトの見廻りをしたこと、(8)構内中庭において行われた勤務時間内職場大会に自ら参加し、被告公社の職場復帰命令を無視して職場を放棄したこと、(9)三月十六日午前十一時頃から約三十分にわたり、訴外堀内善一丸亀報話局長らに対し、警官導入問題について抗議を行い、その間自己の職場を放棄したことは、自ら公労法第十七条第一項前段の規定の禁止する争議行為に参加、実行したことに該当し、

さらに同原告が、(1)三月十一日丸亀分会斗争委員会を招集開催して、拠点斗争の実施に関連して三月十四日の春斗総決起大会の開催を決定する等の分会としての斗争体制の確立をはかつたこと、(2)三月十三日原告多田を招いて分会職場委員会を開催し、拠点斗争の内容、春斗の諸情勢等についてオルグ活動を行わせ、分会としての春斗体制の確立に努めたこと、(3)三月十四日には、イ、午後五時頃から、丸亀分会春斗総決起大会を開催し、司会者としてこれを運営し、出席した組合員らをして拠点斗争への突入を確認せしめる等斗争意欲の高揚に努めたこと、ロ、同日午後九時頃から分会斗争委員会を招集し、拠点斗争の具体的な実施策について協議決定すると共に、斗争指令である分会斗争連絡第二十一号の発出を決定し、直ちにこれを組合掲示板に掲示して分会組合員に対し三・一六斗争への参加を命じ、これを教唆煽動したこと、(4)三月十五日イ、午後四時半頃から同五時半までの間丸亀報話局中庭において分会組合員らに対し三・一六斗争への参加、職務放棄を呼びかけてこれを煽動したこと、ロ、午後三時頃と同四時半の二回にわたり、その指揮下にある訴外須藤副分会長をして丸亀報話局女子休憩室において職場集会を開催させ、分会組合員らに対し三・一六斗争への参加を教唆煽動させたこと、ハ、午後七時頃から開催された支部斗争委員会(第三回拡大戦術会議)に参加し、ピケツトの配置、応援管理者(スキヤツブ)対策等三・一六斗争の実施についての具体的施策につき支部役員らと謀議決定したこと、(5)三月十六日にイ、緊急戦術会議に出席し、局舎内への坐り込みを謀議決定したこと、ロ、午前四時頃多数の原告組合員を煽動指揮して坐り込みを敢行させ、終始その現場において原告組合員らを指揮し、局側管理者の交換室への入室を阻止せしめたこと、ハ、右坐り込みを午前九時五十分頃まで続けさせ坐り込みに参加した丸亀分会組合員をして職務を放棄させたこと、ニ、午前七時二十分頃から同九時五十分頃までの間局舎一階中廊下において分会組合員をして勤務時間内職場大会を行わせ、また局舎前道路上にも二重、三重のピケツトを張らせ、これを時々見廻る等してあおつたこと、ホ、さらに午前九時五十七分頃から同十時十五分頃まで分会組合員らを指揮して勤務時間内職場大会へ参加せしめたことは、公労法第十七条第一項後段の規定に違反する。

3 もつとも本件三・一六斗争は、原告組合の全国的な統一的組織的団体行動として行われたものであり、より具体的には原告組合中央斗争委員会の指令第十号に基いて実施せられたことは前記のとおりであり、丸亀報話局における拠点斗争もまたその一環としてなされたものではあるが、かかる争議行為を企画立案しあるいは下部機関乃至平組合員らを指揮指導してこれを実行せしめた組合幹部は、上級機関の役員たると中、下級機関の役員たるとを問わず、共謀し、そそのかし、若しくはあおる行為をしたものとしての責任を負担すべきであつて、単に中央本部等最高機関の指令によつて行われたものであることの故をもつて、中、下級機関の組合幹部がかかる責任を免れるとすべき理由はない。けだし、上級機関の決定し指令した事項であつても下級機関の承認と平組合員に対する指示とがなければこれを実行に移すことはできないし、また多くの場合上級機関の指示指令は抽象的概括的であるから、下級機関において、さらに具体的な企画立案と指導を行うことによつて、はじめて争議行為を現実に遂行し得るものだからである。ことに原告組合においては、その支部、分会は、支分組織であるとともに、法人格の有無に関係なく、一個独立の組織体(労働組合)としての性格を併有しているのであつて、かかる支部、分会の性格はこれら機関の幹部の争議行為責任を論ずるにあたつて十分考慮されなければならない。のみならず、原告組合中央斗争委員会の発した指令第十号は前記のとおり明らかに公労法第十七条第一項に違反する争議行為の指令であり、従つて下級機関の組合役員としてはかかる違法な指令に従うべき義務はなく、むしろかかる争議行為を阻止すべき義務があるといわなければならないのである。

而して本件三・一六斗争当時原告多田は原告組合香川県支部斗争委員長として、また原告斉藤は丸亀分会長として、前記のとおり自ら争議行為を実行するとともに、三・一六斗争の実質上の指揮者として(訴外日置容正、中派遣地斗はいずれも丸亀報話局の実情について全く無知であり、名目上形式上の責任者として派遣されていたものにすぎない。)、傘下の原告組合員らを積極的に教唆煽動して、局舎内への坐り込み、局側管理者の電話交換室への入室阻止、管理権者の許可なくして構内中庭あるいは局舎内で職場大会を開催する等、他の拠点局所にみられない且つ指令第十号の指図の範囲をも逸脱した悪質過激な争議行為(前記5参照)を断行したものであつて、最も重い責任を免れない。

4 よつて被告公社は、公労法第十八条により、同原告らを解雇したものである。

第四、抗弁事実に対する原告らの認否及び主張並びに再抗弁

一、被告公社の本案前の申立に対する原告組合の主張

原告組合は、その組合員である原告多田已年、同斉藤照和と被告公社との間に雇傭に基づく法律関係のなお存在することの確認の訴を提起するについて「確認の利益」を有するから、従つてまた原告適格をも有するものである。

そもそも確認訴訟において原告適格を有する者は、確認判決を求めるについて確認の利益を有する者である。換言すれば確認訴訟においては、原告と被告との間で確認判決をすることにつき確認の利益があるかどうかの判断が、当事者適格を有する者を規定してくる関係にあるのであつて、確認の利益の有無の判断と当事者適格の判断とは、ここでは表裏一体の関係にある。そして右の意味において確認の利益があるかぎりは、たとえ当事者において管理権を有しない他人間の権利又は法律関係をも確認訴訟の訴訟物とすることができるのである。而してここにいう「確認の利益」とは、原告たらんとする者の権利又は法律上の地位について不安又は危険が現存し、これを除くために一定の権利関係の存否を反対の利害関係人である被告との間で判決によつて確定することが有効適切である場合に認められるものである。

これを本件についてみるに、原告組合は、原告多田已年、同斉藤照和と被告公社との間の雇傭に基づく法律関係について、直接処分権を有するものではないが、次の意味において「確認の利益」を有するから、原告適格を有する者である。

すなわち、

(1)  原告組合は、公労法第四条の規定によつて律しられる法人たる労働組合である。そして原告組合の組合員たる資格の得喪は、組合員の意思による加入脱退のほか、同法条第三項の規定により、被告公社の職員たる地位を失うことにより、法律的に剥奪されることになるのである。而して原告多田已年、同斉藤照和は、従来被告公社の職員であると同時に原告組合の組合員であつたが、被告公社のなした同原告らに対する解雇が有効であるとすれば、被告公社の職員たる地位を失うのみではなく、同法条第三項により、原告組合の組合員たる資格を失うことになり、このことは原告組合に対し、

イ、原告多田已年、同斉藤照和が本件解雇通告後は、原告組合の役員としての地位をも失わせることになるという点において、重大な法律上の不利益をもたらすものである。

ロ、右の場合において、原告組合が原告多田已年、同斉藤照和らを依然として原告組合の組合員及び役員としてとどめる場合には、原告組合は公労法に適合しない法外組合とされ、公労法に規定する手続に参与する資格を否認され、かつ公労法に規定する救済を拒否されるおそれがある点において重大な法律上の不利益をもたらすものである。

(2)  原告組合は犠牲者扶助規程(昭和三十六年三月一日施行)により、組合機関の決定に基づく組合活動に起因し、死亡、負傷又は疾病、解雇又は免職、解雇又は免職以外の業務上の処分、刑事又は民事事件、その他とくに必要と認められる事態が発生した場合は、扶助を行うことを定め(同規程第二条)、解雇又は免職に該当する場合の扶助について同規程第十四条ないし第十七条に具体的に規定している。そこでこれを本件についてみれば、原告多田已年、同斉藤照和は、原告組合の組合機関の決定に基づく組合活動に起因して解雇されたのであるから、原告組合は右扶助規程によつてこれを扶助する義務を有するのである。而して原告組合が原告多田已年、同斉藤照和の扶助のため莫大な資金を使用するか否かは、本件の判決の結果如何にかかつており、且つ同原告らの復職が認められた場合には右扶助金の一部返済を受けられる等の重大な利害関係を有するものである。以上の理由により原告組合は、本件訴訟につき当事者適格を有するものである。

二、抗弁事実に対する原告らの認否並びに主張

(一)  被告公社主張の抗弁事実中、原告組合が昭和三十六年度春斗の一環として、昭和三十六年三月十六日全国五十九個所七十一機関の所謂拠点局所において三・一六斗争、すなわち始業時から午前十時まで組合員全員参加の勤務時間内職場大会を開催したこと、被告公社がその主張の日に、四国電気通信局長水谷七代名義をもつて、当時被告公社主張の各局に所属していた原告多田、同斉藤に対し、同原告らが右三・一六斗争の実施に関連して、その拠点局所の一つである丸亀報話局においてとつた行動が、公労法第十七条第一項に違反するとの理由で同法第十八条により解雇する旨の意思表示をなしたことは認める。しかしながら原告組合の指令した所謂三・一六斗争及び丸亀報話局におけるその実行が、解雇という制裁をもつて禁止された公労法第十七条第一項に所謂争議行為に該ること並びに原告多田、同斉藤が丸亀報話局における三・一六斗争の事実上の指導者あるいは指揮者として、右争議行為を共謀し、そそのかし、若しくはあおつたとの被告公社の主張は否認する。

そこで以下右三・一六斗争の実態及びそれが実施されるに至つた経過並びに丸亀報話局において発生した具体的諸情況を明らかにし、被告公社の主張に反論する。

1 原告組合の構成とその運営

原告組合は被告公社の従業員をもつて組織せられ、組合員の労働条件の維持改善、電気通信事業の民主化等を主たる目的とする全国単一組織の労働組合であつて法人格を有するものであり、昭和三十六年三月十六日当時約十八万五千名の組合員を擁し、被告公社従業員のほぼ全員が加入しているものである。

而して、その組織としては、中央本部(東京都に置き、中央執行委員会並びに事務機関としての書記局及び財政局をもつて構成)、地方本部(各電気通信局所在地に置かれ、中央本部と直結して地方的統制をはかる)、支部(原則として一府県の組合員をもつて構成し、分会を指導統制する)及び分会(支部に直結する職場組織であつて、職場活動を推進するもの)をもつて構成されているものである。原告組合は、最高議決機関として「全国大会」(代議員、役員、地方本部代表及び全国戦術委員をもつて構成し、運動方針、規約、予算決算、役員の選出等規約で定められた議決事項を出席代議員の議決によつて決定する)、全国大会に次ぐ議決機関として「中央委員会」(その議決は全国大会に責任を負い、中央委員、役員、地方本部代表及び全国戦術委員をもつて構成し、運動方針、役員補選、労働協約の締結、追加予算等の規約に定められた議決事項を出席中央委員によつて決定する)を設け、また最高執行機関として「中央執行委員会」(斗争時には必要に応じて中央執行委員会の決定により同委員会はそのまま「中央斗争委員会」にきりかえられる)が設けられ、議決機関の決議を執行し緊急事項を処理しその執行した一切の業務につき議決機関に責任を負うこととされ、右中央執行委員会の常設的諮問機関として「全国戦術会議」がある。各級機関(地方本部、支部、分会)には、それぞれの議決機関(大会及び委員会)及び執行機関がおかれている。

而して原告組合の最高意思決定は全国大会において、大会開催期日の一ケ月前までに組合員に告知された議案について代議員の多数決により民主的に決定されるのであるが、組合運営の基本的権能として中央執行委員会に与えられたものに指令指示権があり、中央執行委員会は、全国大会あるいは中央委員会の決定に基く業務執行のために、指令もしくは指示を発出する権能を有し、各級機関及び組合員はこれに従う義務を負うものである。なお「指令」は実力斗争戦術をする場合に発出せられ、「指示」は指令の実施にあたつての具体的行動及び指令に定める行動以外の行動を行うについて発せられるものであつて、中央執行委員会はその権限の一部を地方執行委員会および支部執行委員会に委譲することができるのである。

原告組合員は、規約第三十七条に規定する諸権利を有するとともに、反面、綱領、規約、決議には従うべき義務を負い、義務に違反すると警告から除名に至るまでの制裁を課せられる。

2 三・一六斗争の背景(原告組合の反合理化斗争)

本件三・一六斗争は、被告公社が昭和二十八年度から開始した長期合理化計画に対決する、原告組合の長期にわたる合理化反対斗争の歴史的発展の一段階において起るべくして起つたものであり、原告多田、同斉藤に対する本件解雇は右反合理化斗争に対する被告公社の報復としての、はじめての解雇処分であつた。すなわち、被告公社は第一次合理化五ケ年計画が昭和三十二年にその目標を越えて達成せられた後、直ちに昭和三十三年度から第二次五ケ年計画を樹立、これを実施に移したのであるが、本件三・一六斗争は、右第二次合理化五ケ年計画がすでにその終局段階に入り、しかも引続いて実施されるべき第三次合理化五ケ年計画の大綱がほぼ明らかにされていた時点において、将来に予想される、より一層の労働不安、より一層の労働条件の劣悪化をこの時期において喰い止め、被告公社の合理化計画に対抗する原告組合の諸要求を積極的に実現するためにやむなく行つたものであり、被告公社が原告多田、同斉藤ら十六名に及ぶ原告組合員らを解雇したのは、原告組合の執拗な反合理化斗争を封殺し、弾圧する意図をもつてなされたものであることが明らかである。そこで昭和三十六年度春斗において原告組合が何故三・一六斗争を実施せざるを得なかつたかを明かにし、原告多田、同斉藤に対する解雇処分が不当なものであることを基礎づけるためには、先ず三・一六斗争の起る背景となつた被告公社の長期合理化計画とそれが労働者に与えた影響並びにこれに対する原告組合の反対斗争の過程を理解する必要がある。

(1) もと電気通信事業は、郵便事業とともに、旧逓信省の所管に属していたものであるが、第二次世界大戦中における設備の酷使と連合軍の空爆による荒廃が甚だしく、同大戦後の電気通信事業は戦火による荒廃と軍事機関からの転換を中心とした復興から始まつた。しかしながら関係者の不撓の努力にも拘らず、復旧は遅々として進まず、そのために昭和二十三年七月、当時の日本占領軍総司令官から内閣総理大臣に宛てた書簡(所謂マツカーサー書簡)により、能率増進のための機構改革に関する勧告が出され(その真意は全逓信従業員組合の分断にあつた)、これに基いて昭和二十四年六月一日逓信省から独立して電気通信省が設置せられ、同省は電信電話の復旧のみならず更にはその拡充、自動化、機械化等に着手したが、さらにこれを促進し電気通信サービスの能率化、改善向上をはかるという名目の下に、昭和二十七年七月三十一日公社法が成立し、翌八月一日から被告公社が発足した。

(2) 被告公社は発足と同時に、電気通信事業の長期にわたる合理化計画を準備し、早くも第一次合理化計画が翌昭和二十八年度から昭和三十二年度にかけて、予算総額二千七百七十二億円をもつて実施されることになつた。而して昭和二十八年三月には水戸電報局の電報中継機械化の商用試験を発端とする電報部内の合理化が始まり、さらに相次ぐ電話の自動改式や技術革新、加入電話増設などが進められる一方、機構の改革、定員総改訂、高年令者に対する退職勧告、小局における共通服務(規模の比較的小さい報話局において、電話交換手として採用した者を、深夜電話交換業務の外に電報関係の業務や庶務関係の業務にも従事させること)、パートタイマーの導入、女子職員の十時帰り、新規採用の停止等要員の合理化、労務費の削減をはかる一連の施策が打ち出され、直接労働面に影響する合理化も厳しくおしすすめられようとした。ことに定員総改訂の名の下における定員削減は、昭和二十八年当初における定員十六万六千名を一挙に八千名を減らして十五万八千名とする計画であつて、被告公社の合理化計画が必然的に馘首、配置転換等を伴うものであることが明らかとなり、前記の一連の諸施策と共に各職場において合理化に対する漠然とした労働不安を増大することになり、企業合理化が労働者に対して何をもたらすかが、徐々に理解されるようになつた。

(3) かかる状勢の中にあつて、先ず原告組合は昭和二十八年六月福井市において開催された第六回全国大会において、要員削減反対、組合側による定員算出要求、休息、休憩、年休等の完全取得をもつて合理化計画の推進に伴う労働不安と斗うことを決定し、職場斗争に基調をおいて斗争をすすめた。さらに昭和二十九年に入ると新技術の導入が目立ち、電報中継機械化、都市部における電話の自動化、市外局設置による市外回線の都市集中化等の合理化計画が押し進められ、これに伴つて高年令者に対する退職勧告、強制配置転換(以下単に「配転」と略称する)等が増大した。原告組合は、同年度の春斗の一環として被告公社の退職勧告反対斗争を行い、同年三月には二割年休斗争等の実力行使を実施すると共に、他方公労委に対して退職勧告の即時中止の調停申請を行い、公労委から、被告公社の個人勧告は遺憾であるから、早急に事態を解決するようとの勧告が出され、これを契機に同年四月被告公社に退職勧告中止を確認せしめた。

さらに同年六月北海道虻田町で開催された原告組合第七回全国大会においては、首切り反対、要員獲得、強制配転反対等をかかげ、配置転換についての協定を結ぶことにより被告公社の施策と斗うことを決定した。

(4) 昭和三十年になると被告公社の合理化はいよいよ多角化し、それに伴う配転、臨時雇傭者の解雇等が増え、原告組合員の労働強化、労働不安の増大は甚しく、労働者の犠牲の上に推進される合理化計画に対し、原告組合としても更に強い対策を構えなければならない事態に立至つた。そこで原告組合は、昭和三十年一月山形県村山において第八回中央委員会を開催し、被告公社の合理化に対決する斗いは、労働条件の低下を阻止し、労働強化に反対し、労働不安の発生を除くことであり、それは究極においては労働協約の締結を斗いとることであることを確認し、組織的・系統的に合理化に反対して斗争をすすめ、綜合労働契約締結斗争を行う方針を確立した。ここにおいて原告組合の合理化反対斗争の基本路線が敷かれ、さらに同年六月鳥取市において開催された第八回全国大会において合理化反対綜合労働協約締結斗争を行うことが決定確認された。

右のような方針の下に、同年秋季年末斗争において、二割年休斗争(十月実施)を背景にして激しい中央団体交渉を行つた結果、漸く同年十二月一日、勤務時間各種休暇等に関する所謂五大労働協約の締結、職員の配置転換に関する協約の締結に成功し、配転については本人の希望を尊重し、住宅事情等を考慮し、原則として同一職能間で行い、不利益な取扱いをしないことが約束された。

(5) しかしながら合理化計画が益々急速に進展するにつれて、労働条件の劣悪化、労働不安の増大は、例えば昭和三十一年十二月の門司、八幡、折尾各局の三百名の配転、百二十名の臨時作業員の解雇処分の提示のように前記の五大労働協約の完全実施を求めるのみでは防ぎ切れず、合理化計画について事前協議が必要であることが痛感されるに至つた。この事態に対し、原告組合は、昭和三十二年七月新潟市で開催された第十回全国大会において、合理化計画の急激な進行に伴う労働不安は、五大労働協約の完全実施のみでは防ぎきれない状態にあることを確認した上で、労働時間短縮を統一目標として統一斗争を組み、要員斗争はそれを支える斗いとすること、計画についての事前協議制を獲得すること、臨時作業員の労働不安を守ることを三つの柱とする合理化に対決する原告組合の基本的態度を確立した。

(6) 而して昭和三十二年度は、原告組合は、右大会後は各地方各職場毎の時間内職場大会等の斗争を背景にして、被告公社に対し前記諸要求を承諾することを迫り、その結果同年十一月三十日、企業合理化の進展に伴い、労働条件は向上させる、企業合理化の進展に伴い、諸般の措置を行なうことによつて、職員の「首切り」のごとき事態を到来させない、労働条件特に要員に関係ある設備計画等については、計画を変更できる段階で組合に提示し、協議する等を決めた「合理化の進展に伴う労働条件等に関する基本的了解事項」及び「計画の協議に関する覚書」「準職員制度に関する覚書」を締結することに成功した。

原告組合は、右のような合理化計画に対する斗争と併行して賃上げ要求も行つてきた。昭和三十二年度の賃金引上げについては、被告公社の零回答から、調停を経て結局労働大臣の職権仲裁に移行し、公労委は同年四月仲裁裁定(基準内予算単価について千二百円を増額する)を提示したが、政府と被告公社はすでに賃金引き上げを実施した分(昭和三十一年十二月調停案実施分六百円)と予算単価と実行単価の差額の三分の一(金百九十円)の合計金七百九十円を差引き、金四百十円に削減した。これは過去の労使の団体交渉の結果を根本的に否定するものであり、政府や被告公社に対する原告組合の不信感をもたらすものであつた。

(7) 第一次五ケ年計画が目標を越えて達成されたあと、被告公社は、引き続き第二次五ケ年計画を樹立し、昭和三十三年度から昭和三十七年度にかけて資金総額金四千百億円で加入電話、公衆電話、市外回線等の増設、電報中継機械化の完了、テレビ中継網の整備等を目標として実施されることになり、右計画はその後昭和三十四年に改訂拡大されて、その資金総額は約金七千百億円に達するものと推定された。この第二次五ケ年計画はすでに電信電話事業の復旧の段階を通り越して拡張の段階に入つたものであり、即時通話区域の増大、加入電信の開発、新式機械の導入等は労働量のみならず労働の質をも変革するものであり、首切りの不安、大規模な配転や職種転換(以下「職転」と略称する)、労働密度の増加をはじめ、労働条件の低下、訓練等の深刻な問題をもたらすことが予想せられ、また現実化した。(別紙第一、「被告公社の合理化が原告組合労働者に与えた影響」参照)

原告組合は、前記のとおり第十回全国大会(昭和三十二年七月)において勤務時間短縮を統一目標として統一斗争を組み、要員斗争をもつてこれを支える斗いとすることを明らかにしていたが、昭和三十三年に開催された第十一回全国大会(別府市、名古屋市)において、労働時間短縮に集約される合理化との斗いと賃金引上げの斗いとは密接な関連をもつものであることを理解し、労働時間の短縮の要求については、これを要員斗争に集約することを確認すると共に、あわせて被告公社に対し「標準作業量」「定員算出基準」の協議を要求することを決定した。けだし、被告公社の合理化計画に伴う労働不安と労働密度の強化は、究極的には要員問題に集約されるというべく、要員不足は一面において時間外労働、休日労働の増加、生理休暇、年次休暇等の制限による労働強化をもたらすと共に、他面必然的に労働密度を増大させることになるのであつて、労働時間短縮を要求することは、すなわち要員の増大を求めることになり(両者は表裏の関係にある)それはまた首切りを阻止し雇用を拡大し、労働不安を除去する外技術革新の進展に伴う複雑高度な作業による疲労から労働者を守る等の意味を有するものであつた。そして要員確保によつて労働密度の増大を防ぐためには先ず「標準作業量」「定員算出基準」を明確にすることが必要であつたのである。さらにまた原告組合は右大会において、職場における多くの意識の断層、職場活動の断層、労働条件の格差をなくする運動を全組織をあげての大衆運動として発展させるために女子の九時帰り等九項目の到達目標をかかげての職場斗争(所謂到達斗争)を徹底的に行うことを決定し、同年十二月中央執行委員会は指示第三号を発出して到達斗争を指導した。

これら原告組合の要求に対して被告公社は、要員問題は公労法第八条にいう管理運営事項であると称して、この点に関する団体交渉を固くなに拒否し続け、あまつさえ到達斗争に対する徹底的な圧迫を加え、同年度における津電報局の改式斗争に関しては、三名の組合員が免職処分に付される事態が生じた。

(8) 昭和三十四年七月原告組合は富山市において第十二回全国大会を開催し、従来の反合理化斗争の基調を長期的に確立すると共に、具体的な目標として雇傭の増大を伴う大幅な労働時間の短縮を中心とし、その斗争の基盤として再び職場における到達斗争をとりあげた。

この年広島電報局の中継機械化反対斗争をはじめ、常磐、磐城の各局、松山電話局の自動改式に反対する斗争が激しく行われたが、被告公社は、これら反対斗争を合理化計画の遂行に対する大きな障害となるものとして、徹底した圧迫を行い、大量の懲戒処分を発令した。

(9) 三・一六斗争の前年にあたる昭和三十五年度の春斗において、原告組合は第二次五ケ年計画の拡大修正に対決し、労働時間短縮要求を中心として、全国一斉早朝(一時間)時間内職場大会の開催等を背景に被告公社に迫り、結局同年四月十三日「第二次五ケ年計画の実施にあたつての基本的了解事項」の締結によつて春斗は終了した。ただ妥結にあたつて被告公社から、〈1〉右基本的了解事項の前文に「労働組合は、第二次五ケ年計画の公共性を理解し、」の字句を入れること、〈2〉「団体交渉の方式に関する協定」第八条第二項に「各交渉委員会における団体交渉において解決しない事項については、……逐次、上位の交渉委員会に移して解決に努めなければならない。」、〈3〉同条第三項に「職場交渉委員会においては、権限外事項および管理運営事項について現場機関における団体交渉が混乱することを防ぐものとする。」をそれぞれ挿入すること、〈4〉「特別休暇に関する協約」第四条として「生理休暇等この協約で認められた特別休暇は濫用しないものとする。」を挿入することが提案され、それぞれ協約化されたのであるが、これが被告公社の合理化計画へ協力し、あるいは職場における団体交渉、職場斗争を否定することになるのではないか等の厳しい批判が原告組合内部に強く、所謂四条件問題として論議の的となつた。

(10) さて同年七月に原告組合は大津市において第十三回全国大会を開催し、同年七月から昭和三十六年六月まで向う一年間の運動方針を討議検討し、「一九六〇年度運動方針」を採択したのであるが、ここにおいて原告組合はさらに今後とも強化されていくであろう被告公社の合理化政策に対する反対斗争を一層強化し、そのために被告公社の長期合理化計画の内容とその狙い(労働者の搾取強化の実態)を明らかにし、組合員一人一人の斗う力を強め、職場の断層をなくし、職場においての労働条件を守り且つ向上させるための抵抗の底辺としてそのエネルギーを労働時間短縮、要員獲得を中心とする労働条件の積極的引き上げ、およびこれと併行する大幅な賃金引き上げの斗いに集約することを確認した上で、その斗争方法については被告公社の合理化攻勢に対決する場合は全国斗争にあることを明らかにし、労働者に犠牲を強いる合理化に対しては原告組合の全組織をあげて反対し、労働条件の引上げを中心とした積極的な統一斗争を基本として斗うこと、そして全国斗争のもとに結合されるべき地方における合理化反対斗争は、中央の指導の下に、地方的にもまた全国的にもできるだけ個々の斗いの時期と態勢を統一して斗うこと、さらにまた前記四条件問題については、原告組合の合理化反対斗争を骨抜きにするための思想攻撃の楔として打出したものであることを確認しこれを破棄する方向をとること等を決定した。

そして全国統一斗争については、過去の経験から、団結の力による圧力がなければ、賃上げも、要員確保も、強制配転の排除も職場環境の改善等の合理化に対する斗いの諸目標も達成されるような機構も客観的情勢もないとの判断に達し、来るべき昭和三十六年春斗において、同年二月から五月頃にかけて設定する全国統一斗争は、従来の春斗方式の欠陥を十分に反省して、原告組合の諸要求を被告公社に認めさせるための打撃の与え方として、波状的な短時間の実力行使(時間内職場大会、年休斗争等)を行つて被告公社を追いこむという方式のみに頼らず、幅の広い大衆行動に十分の工夫をこらし、なお実力行使については「画一斗争」のみでなく、「拠点斗争」をも含め戦術会議で十分検討することを決定したのである。

(11) しかも、被告公社は前記のとおり、昭和三十五年中に、昭和三十八年度から実施されるべき第三次五ケ年計画の大綱を徐々に明らかにしていつたのであるが、右計画は資金総額金一兆七千五百億円に達する膨大なものであつて、例えば電話部門においては即時通話完成時期を昭和四十七年度末と明示し、これによれば原告組合労働者十八万五千人のうち、三名に一名の割合で配転、職転を強要されるし、局舎の建設は三十時間に一局ずつの割合で進んでいく等というものであり、原告組合員らの労働不安は一層高まり、従来の被告公社の施策からすれば、当然労働強化をはじめとする労働条件の劣悪化が予想される状況にあつたのであり、かかる局面を迎えた原告組合としては合理化に対する諸要求を積極的に実現し、第三次五ケ年計画による労働不安をこの時期においてくいとめることが重大且つ差し迫つた課題となつていたのである。

かかる情勢の下に原告組合は、昭和三十六年度春斗を迎えた。

3 原告組合の実施した昭和三十六年度春斗と中央団体交渉の経過

(1) 原告組合が昭和三十六年二月十四日から同月十七日までの四日間東京都千代田区所在の全電通労働会館において、第二十六回中央委員会を開催し、同年度春斗の具体的要求として、津電報局における三名の組合員の不当解雇をはじめとする一切の不当処分の撤回、基本給に一定額金五千円を積み上げる等の方式による大幅な賃上げの実施、勤務時間の短縮と週休二日制の実施及び要員協定の締結を中心とする十五項目の要求事項を集約し、且つ春斗の進め方として所謂拠点斗争方式を採用する等実力行使を行うことを決定し、同月二十日右諸要求を文書をもつて被告公社に提出したこと、翌同月二十一日中央執行委員会は中央斗争委員会に切り替えられたことは被告公社主張のとおりである。

(2) 而して原告組合の中心的要求事項の一つである不当処分撤回の問題は、津電報局における解雇等の被告公社の処分は、個々の組合員にとつて不利益な実害処分であることは云うに及ばず、原告組合にとつても被告公社の合理化政策に対決する原告組合の組織と運動に対する被告公社の攻撃として、その撤回は重要な課題であつた。また大幅賃上げの点についても、時の政府(池田勇人内閣)の所謂物価倍増政策の下で、ますます窮迫する家庭経済に苦しんでいた原告組合員らとしては生活の不安を除くためにも必要な最低限度の要求であり、昭和三十四年の労働省調査により年令階級別に比較した全産業(一千人以上)の賃金と同額にした公労協の賃金を、その後の家計費指数の増大に対応させるためには金六千七百円の賃上げが必要となるのであつて、一人当り実質国民所得指数と実質賃金指数の各国比較や労働生産性と賃金の関係の各国別比較等からしても右金額は十分の科学的根拠をもつものであり、原告組合の賃上げ要求はこの意味において十分の根拠をもつものであつた。さらに労働時間の短縮、要員協定の締結は、被告公社の合理化に対する直接的で主要な要求であつた。前記のとおり、大規模且つ急速度で進行する合理化計画の中にあつて、原告組合の主要な課題は、組合員を労働不安と労働強化から如何にして守り、労働条件をいかにして向上させるかにあつたが、それは究極的には要員問題に集約されるものであり、技術革新による作業方法等の急速な変化の下において標準作業量、定員算定基準を明確にした上での要員が、労働時間短縮と併せて確保されなければならず、従つて原告組合が時間短縮と要員協定の締結を要求したことは、当時原告組合労働者らのおかれていた状況から当然のものであつた。

(3) 而して被告公社が同月二十八日原告組合の諸要求に対し、文書をもつて回答したことは被告公社主張のとおりである。しかし、その回答の内容は、原告組合の中心的要求に対しては、先ず〈1〉不当処分撤回については、公社としては不当処分をしたことはないので、これを撤回する意思はない、〈2〉賃金引上げについては、その必要性は認めるが、昭和三十六年度以降金千円程度の引上げが妥当であり、組合の要求する金額、実施時期等には賛成できない、〈3〉労働時間の短縮には応ずることはできない、但し漸進的実現につとめる、〈4〉要員の算出基準ならびに配置人員の法定は、公社の管理運営事項であつて団体交渉の対象にならない、としてこれを拒否した外、他の諸要求もすべてこれを一蹴したものであつて、回答書のどこにも一片の誠意もみとめ得ないものであつた。

(4) そこで原告組合中央斗争委員会は、被告公社との間に同年三月一日から原告組合の諸要求をめぐつて中央団体交渉を重ねたこと、同月十日に至り、指令第九号を発出したことは被告公社主張のとおりである。しかし、被告公社は、中央団体交渉においても何ら誠意を見せず、特に論議の集中した金千円賃上げの算出根拠については何ら明確な資料も提示せず、長年の勘によつたものであつて、大体ということである等と返答したり、不当処分問題については「子供が悪いことをすれば親としては罰するのは当然である」等と近代的な労使関係をふみにじるような発言を行い、全く真剣味を欠くものであつた。原告組合中央斗争委員会は、かかる被告公社の回答や中央交渉の状況、更には実力行使を構えなければ、中央団体交渉は一歩も前進しないという従来の団体交渉の経験に照らして、原告組合の諸要求を実現し、合理化計画の進行によつて原告組合員にふりかかつている労働強化、配転等の労働条件の劣悪化等の重大且つ緊急を要する課題を解決するためには、この際被告公社に猛省を求めるための、実力行使を構えざるを得ないものと判断し、各級機関(分会、支部、地方本部)に対し、被告公社主張のような指令第九号を発出したのである。しかしながら被告公社は指令第九号(拠点斗争の予備指令)発出後も全く反省の色なく、同月十三日の中央団体交渉において、賃金引上げの問題については、千円以上引き上げる意思は全くないからこれ以上賃金問題について団体交渉を行う必要はないとして、一方的な団体交渉の打切と調停申請を行うことを原告組合に通告してきた。そのため同日午後三時三十分頃必然的に賃金引き上げをめぐる団体交渉は決裂した。このように僅か三回の団体交渉で内容的にも十分に煮つめようとせず一方的に団体交渉を打切ることは、自己の責任において原告組合の要求に対処し、自主的に紛争の解決を図るという使用者本来の義務を放棄したものであり、且つ又原告組合の団体交渉権を無視するものであると云わざるを得ないものであつた。

(5) 原告組合中央本部が被告公社主張のような指令第十号を発出したことは認める。しかしこれは原告組合としては全く止むを得ず発出したものである。すなわち、原告組合中央本部は、賃上げ問題についての団体交渉決裂後直ちに緊急斗争委員会を開催し、賃上げ問題は公労委の調停へ移行されたけれども、この間の被告公社の態度は極めて不誠意であつて、被告公社がかかる態度をとるかぎり、残された三つの主要問題、すなわち不当処分の撤回、労働時間の短縮、要員協定の締結についても相当強い態度、換言すれば実力行使を構えて斗いを進めなければ事態は一歩も前進しないであろうこと、賃上げ問題は公労協全体の問題として統一斗争で斗いを進めるが、残された右三つの問題については企業内問題、すなわち原告組合独自の問題として実力行使の体制を構えて斗いを進めて行く以外にないとの結論に達し、三月十四日指令第十号を発出し、あわせて斗争連絡第七十八号をもつて、右指令第十号の「別途指定する機関」として各支部毎に原則として三拠点を指定し、さらに最終的には右指定三拠点のうちから現地派遣中央斗争委員の指示により一ケ所に拠点局所をしぼつて実施すること、而して最終拠点局所においては当日出勤すべき者全員が始業時から午前十時まで職場大会に参加すること、具体的実施方法については、現地派遣中央斗争委員の指示によること等を連絡したのである。

(6) さて翌三月十五日政府は労働大臣の職権をもつて公労協九組合の賃金要求について一括仲裁申請を行つたのであるが、かかる状況下において、原告組合中央斗争委員会は、同日午後四時三十分からの中央団体交渉にのぞみ、同時に地方斗争連絡第八十一号をもつて三・一六斗争を実施すべき最終拠点局所を明らかにしたのである。而して右中央団体交渉には被告公社主張のように横田信夫副総裁も出席し、先ず要員問題についての交渉を行つた。被告公社は、要員問題は所謂管理運営事項であるからこの点についての団体交渉には応じられないと主張し、要員問題も団体交渉の対象となるとする原告組合側と対立したが、その席上、原告組合の調査交渉部長であつた訴外及川一夫が言葉のやりとりから右横田副総裁に対し、被告公社の態度はいんちきであると発言したことに端を発して、同日午後六時三十分中央団体交渉は被告公社側が席を立つたため決裂状態に陥つた。

右団体交渉が決裂状態に陥つた後原告組合は緊急中央斗争委員会を開催し、状勢の検討を行つた結果、被告公社側には事態を解決する意思はないものと判断し、予定どおり三・一六斗争に突入する外はないものとの結論に達し、同日午後十時一分斗争連絡第八十二号を発出して、中央団体交渉の経過と共に、既定方針どおり斗いぬくこと、三・一六斗争突入のため万全を期することを各級機関に連絡したのである。

(7) しかし原告組合中央斗争委員会としては、なお事前解決の意思を失わず、同日午後十一時頃、被告公社労務課長であつた訴外遠藤正義からなされた中央団体交渉再開の申入れに応じ、その結果、三月十六日午前五時二十分から再び中央団体交渉が開かれることになつた。その席上においても要員協定の締結問題等についての交渉が難行し、同日午前八時三十分被告公社は一方的に団体交渉を打切り、原告組合は、一切の責任は被告公社にある旨を通告するとともに三・一六斗争に突入したのである。

而して原告組合をして三・一六斗争への突入を余儀なくせしめたものは被告公社である。被告公社は明らかに団体交渉事項である要員問題について、独断的に所謂管理運営事項であるとして原告組合の切実な要求に対して何らの理解も誠意ある態度も示すことなく、これらの問題について具体的に前進と認め得るような提案をしなかつた。被告公社は、事前に事態を収拾しようとしていた原告組合に対し、単なる言葉のやり取りから感情に走つて十一時間余も団体交渉を中絶せしめその後遂には一方的に団体交渉の打切りをしたために、事前解決の場は失われたのであつて、原告組合としてはかかる被告公社の猛省を促し、明白にして重大な団体交渉拒否に対し団体交渉権を保全するために、三・一六斗争に突入したのである。

(8) さらに被告公社は、三・一六斗争について、それが拠点斗争方式を採用し、所謂保安要員を零とする斗争であつた点において従来原告組合の行つてきた実力行使とは異るものであつたと主張するが、三・一六斗争において原告組合の採用した斗争戦術は、原告組合の昭和三十六年度春斗における諸要求の緊急且つ重大性に対応する必要最小限度のものであり、また原告組合が昭和二十五年頃より年々積み上げてきたものであつて、しかも原告組合の全組合員の意思を反映したものである。

原告組合は、その結成当初から昭和三十一年頃までは被告公社に対する諸要求の実現のために、二割年休斗争、完全定時退庁、坐り込み斗争、時間外職場大会、規制通信斗争、出張斗争等を実力行使の戦術として採用してきたが、昭和三十一年には全員年休斗争を、昭和三十二年には始めて早朝時間内職場大会を開催し、その後一時間乃至二時間の時間内職場大会の開催を主要な実力斗争戦術として採用確立し、しかも当初は出勤予定者の二割乃至三割を就労させるという形態を採つたが、次第にこの就労人員(所謂保安要員)を減少していつたのであつて、斗争方法として強化されてきたものであつた。これは被告公社の「合理化」計画の進展に対応するものであり、大規模且つ急速度で進行する合理化の下において、益々深刻化する労働不安、労働条件の劣悪化に対処するため、原告組合の諸要求を実現し労働不安等を除去するためには、被告公社の不誠意な態度にも対抗して、一層強力な実力斗争を必然的に実施せざるを得なくなつていたのである。本件三・一六斗争において、一名の保留要員をも職場に残さないという従来の時間内職場大会と異る実力行使の方法を採用するに至つたのは、一方においては原告組合がその斗争の歴史において積み上げてきた実力行使をさらに一層強力化したものであると共に、他方においては第三次五ケ年計画の大綱が略々明らかにされ、それによる一層の労働不安の増大、労働条件の悪化をこの時点において阻止し除去しなければならないという原告組合の差迫つた必要、被告公社の不誠意な態度、実力行使を行わなければ中央団体交渉は一歩も前進しなかつたというこれまでの経験的事実等からして、被告公社の猛省を促し、昭和三十六年度春斗の諸要求を実現するためにはさらに一層強力な実力行使を実施せざるを得なかつたからである。

しかも拠点局所における原告組合員全員参加の時間内職場大会の開催という斗争方法は、第十三回全国大会、原告組合各級機関、第二十六回中央委員会等で討議集約され、さらにその上に三月五日の第四十二回戦術会議において具体化された実施方法について中央斗争委員会がその責任と権限とにおいて決定したものであつて、原告組合員全員の意思を反映し、その検討を経た上で大多数の支持を受けて採用されたものであつた。

4 丸亀報話局における三・一六斗争体制の確立の過程

(1) 被告公社香川通信部管内においては、三・一六斗争の拠点局として、丸亀報話局が指定せられたこと、当時原告多田已年は原告組合香川県支部執行委員長であり、原告斉藤照和が丸亀分会長であつたことは被告公社主張のとおりである。しかしながら本件三・一六斗争は原告組合中央斗争委員会の指令第十号に基いて全国五十九箇所の拠点局所において一斉に行われたものであつて、丸亀報話局における拠点斗争も右全国統一斗争の一環であり、具体的には四国地方派遣中央斗争委員であつた訴外日置容正の総括の下に、丸亀報話局における最高責任者として原告組合四国地方本部から派遣された訴外中担忠地方斗争委員の判断と指示に従つて指令第十号の要請する範囲内で実施されたものにすぎず、他の拠点局所に比較して決して悪質過激なものではなく、また原告多田、同斉藤は丸亀報話局における三・一六斗争の企画者や実質上の指導者ではなかつたのである。同原告らは原告組合員として右中派遣地斗の指示指導の下に、原告組合中央斗争委員会の指令第九号及び第十号の具体化の過程としての三・一六斗争の体制の確立のために、その地位にあるものとして通常予想される当然の行動をとり、あるいは通常予想される当然の参加の仕方をしたにすぎないのである。

同原告らの活動の実態は以下に明らかにするとおりである。

(2) 丸亀報話局分会において、三月十日以降春斗全般の体制を確立するために各種集会が度重ねて行われたことは被告公社主張のとおりであるが、原告斉藤らが丸亀報話局を拠点局所とするために積極的な受入れに努力し、拠点局所となることを引受けたものではない。拠点局所の選定の権限は、現地派遣の中央斗争委員にあり、四国地方本部関係では訴外日置容正中央斗争委員に専属し、同委員によつて決定されたものであつて一分会が拠点局所を引受けるというようなことは、全国的単一組織を有する原告組合においては、そもそも考えられないことである。もとより斗争方針の決定にあたつては、その全組織を通じて民主的な方法により、全組合員の意思が集約されるのであるが、一旦斗争方針が決定された以上、原告組合の各級機関並びに組合員は、中央斗争委員会の指令に絶対に従う義務があるのであつて、分会が拠点局所を引受けるとか、引受けないという問題は生じ得ない。さらにまた被告公社は原告多田ら香川県支部が、予め三局を偽装拠点局所として発表して所謂陽動作戦をとり、最終拠点局所の把握を困難ならしめて、被告公社側の対策を不十分且つ困難なものにした等というが、拠点斗争方式並びに所謂陽動作戦と称される予め拠点局所として三候補局を発表するという方式そのものは、原告組合中央斗争委員会の決定し指示したものであつて、原告多田らには直接何らの関係もない。

(3) 三月十三日の行動について

当日午後一時頃、四国地方本部から中派遣地斗が香川県支部関係の拠点斗争の最高責任者として派遣されてきたこと、而して午後一時過ぎ頃から、右中派遣地斗を加えて香川県支部事務所において第一回戦術会議を開催し、拠点斗争の具体的実施方法(拠点職場の発表時期、保安要員、宿明者対策、責任体制の通告、各分会からの組合員の動員)や支部斗争連絡の発出、予備拠点局所へのオルグ責任者の決定等について協議したことは、被告公社主張のとおりである。

ところで、右戦術会議は、支部斗争委員会とは別個の性格のものであつた。すなわち、原告組合中央斗争委員会は、本件三・一六斗争を成功させるために、三月十日指令第九号を発出するとともに、各地方本部に対し中央斗争委員を一名宛派遣して実力斗争現地指導班を設置することを決めて「指令第九号発出に伴う連絡」を発出し、実力行使の具体的実施方法については右現地派遣の中央斗争委員が一切の責任と権限を持ち、その指示に従うことを各級機関に連絡し、四国地方本部へは訴外日置容正中央斗争委員が派遣(三月十日)されたのであるが、さらに右日置派遣中央斗争委員の指示により、その分身として四国四県の各拠点局所の最高責任者として各県支部毎に一名宛の四国地方本部斗争委員を派遣して現地斗争指導部といつたものを設け、この組織体によつて拠点斗争の実施にあたらせることとし、香川県支部関係については、右中担忠が派遣せられることとなつたのである。従つて前記第一回戦術会議なるものは、実は中派遣地斗の主催したものであつて、香川県支部斗争委員をもつてその構成員としているけれども、その実体は支部斗争委員会とは異り、右の所謂現地斗争指導部ないし斗争本部ともいうべきものであつて、その責任者は中派遣地斗であり拠点斗争に関連する一切の具体的な問題についての判断と指示の権限及び責任は、中派遣地斗のみが有するものであつた。即ち原告多田ら支部役員は、中派遣地斗の諮問に答えて意見を述べる機能しか持たなかつたのであつて、中派遣地斗を最高指導者としてその下に総指揮として原告多田、その下に各行動班長として県支部各斗争委員、さらにその補助として分会役員が配されたのである。

原告多田已年は、中派遣地斗の指示により、同日丸亀分会職場委員会(女子宿直室)に出席し、春斗全般および原告組合と被告公社との中央団交の状況、指令第九号の発出された事情、実力行使が行われる場合の方法、組合員の団結等について話をした。

なお中派遣地斗は自ら訴外高井弘二県支部副委員長とともに観音寺報話局に赴き、同分会の時間外職場大会に出席し、春斗の全般的な情勢等を説明すると共に、同局が拠点局所に指定された場合の具体的行動等を明らかにした。

(4) 三月十四日の行動について

イ、当日、被告公社主張のような内容の支部斗争連絡第十六号が原告多田已年名義をもつて発出されたことは認める。しかし右斗争連絡は、中派遣地斗の決定に基づくものである。すなわち、同日昼過ぎ頃、中派遣地斗らは、香川県支部書記局において、指令第十号に接し、その後訴外猪谷敏昭県支部書記長の意見を求めながら、その権限に基いて、来る三月十六日のピケ要員の各分会への割当を決定し、各分会へ電話連絡するとともに、従来から慣行的に活用されてきた支部の各分会等への連絡形式である支部斗争連絡を利用して、右動員割当を周知させたのである。而してその作成名義は、支部斗争委員長であつた原告多田已年名義になつているが、それは支部の連絡形式がすべて常に形式的には支部委員長名義で発出するという慣行によつたものであつて、右動員割当はすべて中派遣地斗の指図によるものであり、その指示によつて支部斗争連絡が利用されたがために、偶々原告多田名義になつているのであつて、同原告としては、右斗争連絡には何ら関与していないのである。

ロ、次に同日午後五時頃半から同七時頃まで、被告主張のとおり、丸亀分会の春斗総決起大会が開催され、原告斉藤照和が開会の挨拶を行い、訴外浜本繁二分会書記長が一般経過報告、同須藤宏三副分会長が春斗の要求項目や丸亀報話局における自動改式の問題について、また原告多田已年が中央団交の状況や春斗の全般的な情勢について、それぞれ説明し、最後に中派遣地斗が原告組合の実力行使の具体的実施方法(指令第十号の趣旨)等の周知をはかつたことは認める。

しかしながら原告斉藤照和が右大会を開催し、原告多田らを招き、自ら挨拶、司会をして大会を運営し三・一六斗争への突入を確認せしめたものではなく、右大会は三月十一日指令第九号を受けた香川県支部の組織関係の責任者である訴外猪谷敏昭支部書記長の指導指示(これを分会斗連第二十号をもつて周知させた)によつて開催されることになつたものである。また原告多田已年らが出席したのも原告斉藤が招いたものではなく、原告多田自身が中派遣地斗の指示により、丸亀報話局関係の責任者としての立場において自ら右大会に出席参加して、拠点斗争体制の確立につとめたものである。原告斉藤が「大会を開きます」といつた程度の挨拶をするのは、分会長たる地位に当然随伴するものであり、実際の司会は訴外浜本繁二分会書記長が当つた。

ハ、右大会終了後、同日午後七時頃から同九時頃までの間、訴外大成繁支部斗争委員の私宅において、第二回戦術会議が開催されたことは認める。しかしそれは前述のとおり、中派遣地斗がその権限に基いて開催したものである。その席上でピケのための動員、組合員の配置、移動方法、分宿方法、電信電話の利用者(一般公衆)への三・一六斗争の意義を理解して貰うための方法(チラシの配布、広報車の活用等)等三・一六斗争の実施方法について更に具体化がなされた。

ニ、右戦術会議終了後、丸亀報話局構内線路詰所において、丸亀分会斗争委員会が同日午後九時頃から開催されたこと、その席上で分会斗連第二十一号の発出が決定されて、組合掲示板に掲示されたことは、被告公社主張のとおりである。しかし右分会斗争委員会は、中派遣地斗の指示により、あらかじめ待機させてあつた丸亀分会斗争委員らに開催させたものであつて、訴外猪谷敏昭県支部書記長が派遣され、中派遣地斗の決定にかかる三・一六斗争実施にあたつての具体的な諸事項を伝達説明し、丸亀分会員に周知徹底させることとしたのである。その席上、右猪谷は、右決起大会に参加できなかつた丸亀分会の組合員らについても三・一六斗争について十分知らせるために、分会斗争連絡という形式を利用することを承認し、その内容についても右猪谷の検討を経て、分会斗連第二十一号が発出された。

ホ、而して右分会斗連第二十一号は、被告公社の主張する如き斗争指令ではなく、また丸亀分会のみが、かかる連絡形式を利用しているわけではない。

そもそも丸亀分会がその連絡形式として、一般に分会斗争連絡を利用するようになつたのは、昭和三十四年十一月頃からであつて、その目的は分会が組合活動を行なうにあたつて、それが単なる個人の行動ではなく、組合活動であることを組織外に明らかにするとともに、分会組合員に分会の方針等を周知徹底させることにあり、昭和三十五年五月の丸亀分会定期大会でも全分会員の討議の上で確認されている連絡形式である。かかる連絡形式は、丸亀分会のみにかぎらず、札幌地方支部の所属分会においても利用されているものである。

また右分会斗連第二十一号の内容は、その表現において指令第十号の表現と同一ではないにしても、同指令に所謂時間内職場大会に不可分的に随伴する事項についての当然の具体化(第三項は指令第九号の具体化でもある)にすぎず、それは拠点局所における最高責任者としての中派遣地斗の指令第十号実施についての具体的指示(斗争当日丸亀分会員らのとるべき行動についての諸指示)を組合員に周知徹底させるものにすぎなかつたのである。たとえば分会斗連第二十一号第一項の「保留要員は零」なる表現は、指令第十号にいう「全組合員が参加する職場大会」と全く同義であるし、「時間は午前八時三十分から………」というのは、指令第十号に所謂「始業時」の意味を具体的に明瞭にするものにすぎない(三月十六日の出勤予定者は午前七時出の者一名、同七時半出の者七名、同八時出の者六名、同八時半出の者五十九名、同九時以降十時まで出る者合計八名であつたから、「始業時」は「午前八時半」とみるのが合理的で当然でもあろう)。

しかも右分会斗連第二十一号は、中派遣地斗や、訴外猪谷支部書記長の指導と指示によるものであつて、原告斉藤の直接関与するところではない。右分会斗連の発出名義は、原告斉藤であるけれども、前記支部斗連第十六号の場合と同じく、分会斗争連絡という形式を利用する以上、慣行的に分会長が発出名義人となるのであつて、それがために実質的にも原告斉藤が主導的立場において、これを作成発出したことを意味するわけではない。

本来通常の分会業務において、分会斗連の作成と発出の手続は、分会書記長の所管する事項であつたが、右分会斗連第二十一号の作成にあたつても、訴外浜本分会書記長と同須藤副分会長とが原稿を作成し、中派遣地斗及び訴外猪谷支部書記長の承認を経て、右須藤副分会長が清書して三月十四日午後十時頃、丸亀報話局一階及び二階の各掲示板に掲出したものであつて、原告斉藤は何ら関係していないのである。

これを要するに、分会斗争連絡第二十一号は、指令第十号の内容を具体的に明らかにし、三・一六斗争の拠点局所に指定された場合に丸亀分会組合員らのとるべき行動について周知徹底させるために、最高責任者たる中派遣地斗の指示により、分会斗連の形式を利用したまでにすぎず、これをもつて原告斉藤の解雇の事由の一つとすることは許されない。

(5) 三月十五日の行動について

イ、当日午前八時四十分頃、中派遣地斗が原告斉藤ら丸亀分会役員と共に丸亀報話局局長室において、訴外堀内善一局長に面会を求め、三・一六斗争の実施について被告公社主張のような申入れを行い、若干の言葉のやり取りはあつたが、被告公社の主張するような結末になつたことは認める。中派遣地斗はその後同日午後に訴外猪谷敏昭支部書記長らと共に予備拠点局所の一つであつた高松電報局に赴き、同局長に対し、丸亀報話局長に対すると同様の申入れを行つた。

ロ、原告斉藤が同日午後五時頃丸亀報話局中庭において、勤務を終了して退庁する職員から翌三月十六日の具体的な行動方法について尋ねられて、これに返答した事実はあるが、被告公社主張のような三・一六斗争への参加を強く呼びかけたことはない。すなわち、同日午後五時頃勤務を終えて退庁する丸亀分会の組合員らが、構内中庭にある線路詰所の方へ来て、原告斉藤に対し「明日はどうしたらよいのか」という趣旨のことを尋ねたので、訴外浜本分会書記長らと相談して、「明日は出勤して来てピケが張られているようなときは、分会の役員に聞いてくれ」等という趣旨の返答を与えたにすぎないのであつて、原告斉藤としては丸亀分会長として当然の行為をしたものにすぎず、教唆とか煽動ではない。

ハ、原告組合中央斗争委員会は、同日午後四時半頃斗争連絡第八十二号で拠点局所として丸亀報話局を含む全国五十九局所を最終的に確認した旨を発表し、同日午後五時訴外日置容正四国地方派遣斗争委員が地方指示第六号をもつて香川支部関係の拠点局所は丸亀報話局であることを対外的にも公表した。組合側は直ちに丸亀報話局前の七福旅館に斗争本部を移し、丸亀報話局における任務分担等を決定するため、同日午後七時頃から午後九時過ぎ頃まで所謂第三回拡大戦術会議を開催したことは認める。しかし右戦術会議も最高責任者である中派遣地斗から出席を要請されてこれに参加したものにすぎない。その席上被告公社主張のとおり三・一六斗争の具体的実施方法、すなわち局舎出入口におけるピケの具体的配置、動員された組合員の移動方法、各斗争委員のピケに対する具体的任務分担等についての協議決定がなされたのであるが、これらはいずれも中派遣地斗の指示あるいは決定によるものであつた。

ニ、右拡大戦術会議の終了後、原告多田已年が中派遣地斗の指示により、原告斉藤照和や訴外浜本繁二分会書記長と共に、局内の状況を視察するため局舎内に入り、一階機械室、二階女子休憩室、同電話交換室(但し原告斉藤は交換室へは入室しなかつた)等を経て三階共通事務室へ入つたこと、二階女子休憩室において応援管理者の一人である訴外横田一男と雑談したこと、原告多田已年が三階共通事務室で、訴外鎌倉則繁通信部労厚課長(及び岡内唯志通信部次長)から、分会段階でも解雇者がでる虞れがある等という趣旨の話をされたことは認める。しかし、右行動は被告公社主張のような探索行動でもなければ局舎侵入行為でもない。原告多田、同斉藤らと訴外横田一男副課長とのやりとりは、雑談の域を出るものではなかつた。また鎌倉労厚課長らの原告多田に対する右の発言は、被告公社主張のように誠意のある忠告とは到底称し得ないのであつて、むしろその発言の時期、場所、内容等を考え合わせるならば、解雇をもつてする威嚇であり、原告組合の団体行動を切り崩す意図をもつてなされた支配介入行為であることが明らかである。

ホ、原告斉藤が同日午後十一時過ぎ頃電話交換室に入つたこと、同室において、岡内通信部次長に対し、多数の応援管理者を早くから入局させて笑いが止まらんだろうという趣旨の発言をしたことは認める。しかし原告斉藤が電話交換室へ入つたのは、後記(6)イ、のとおり当時岡内通信部次長が飲酒酩酊して土足のまま電話交換室へ入り(電話交換室は土足で入ることを厳禁されている)、勤務中の女子交換手らに対し、暴言を弄して嫌がらせを行つたため、不安を感じた訴外大成加津代から原告斉藤ら分会役員に急報があつたためであつて、被告公社主張のように女子交換手らの激励とか、被告公社側管理者らの行動探索のためではない。

(6) 三月十六日の行動について

イ、同日午前二時頃から組合側が丸亀報話局構内線路詰所において、緊急戦術会議を開催し、同日午前四時半を期して被告公社主張の電話交換室へ通ずる二ケ所の入口に坐り込みを決定したことは、その主張のとおりである。しかしながら、組合側が局舎内への坐り込みを決意せざるを得なくなつたのは、被告公社主張のように応援管理者らの電話交換室への入室を阻止するためではなく、むしろ局側の常規を逸した挑発的行為、すなわち局側管理者らが、三・一六斗争を目前に控えて真剣な気持で斗争に入ろうとしている原告組合員らを無視したかのように局舎内で飲酒したこと、岡内通信部次長が飲酒酩酊して交換室へ土足で入り、勤務中の女子交換手らに暴言を吐いたこと及び組合側の話合いの申入れを不当にも黙殺したことに対し局側の猛省を促し、これに抗議するためにやむを得ず敢行されたものである。すなわち、

局側管理者らが局舎内に多量の清酒(一斗九升)を持ち込み、飲酒しているとの情報は、前記拡大戦術会議の席上においても、原告組合員らの怒りをこめて屡々通報され、大きな問題となり、そのため、原告多田、同斉藤らが局舎内に入つて視察したところ、管理者の飲酒が事実であることが確認せられた。このように被告公社側の管理者らが、原告組合の実力行使を目前に控えて、飲酒酩酊するということはかつて無かつたことであり、被告公社就業規則第五条にも明らかに違反し、全く異常という外はなく、原告組合員としては中央団体交渉を少しでも前進せしめ、自らの切実な要求(ことに丸亀報話局の場合においては、第二次合理化五ケ年計画に伴う自動改式のために、電話交換部門においては二人に一人の割合で他局へ配転される予定になつており、分会組合員らの労働不安は著しく、従つて昭和三十六年度春斗要求は文字通り自分自身の切実な要求であつた)を実現させるために、戒告以外の処分が当然予想される中で敢えて三・一六斗争を強行しようとしていたのであつて、それだけ真剣な気持で斗争に取組んでいたものであり、かかる場合に局側管理者らが不真面目にも飲酒したことは、分会組合員らを著しく刺戟し、憤激させたことは当然であり、明らかに局側の挑発的行為であつた。

しかもさらに岡内通信部次長は、同日午後十一時少し前頃飲酒酩酊して土足のまま電話交換室へ入り、足取りもふらふらと不確な状態で交換台を見て廻り、折柄宿直宿明勤務中の女子交換手(分会組合員)らに対し、その肩を叩いたり、のぞき込むようにして「八時半までは居れよ、煮ても焼いても喰わんからな」「お前は泊りかい、心配せんでもよいから八時半まで逃げるなよ」等という趣旨のことを話しかけ、管理者としてあるまじき行為に及んだ。そのため当夜勤務中の交換手の一人であつた訴外大成加津代が電話をもつて線路詰所に待機していた原告斉藤に急報し、これに応じて原告斉藤や訴外須藤宏三副分会長らが電話交換室へ急行したのである(この点被告公社が原告斉藤らが状況探索と組合員の激励のために岡内通信部次長よりも先に入室していたことを前提とする被告公社の主張は誤つている)。岡内通信部次長は、当夜交換室で勤務していた訴外十河歳勝丸亀報話局電話運用課長の紹介で原告斉藤が丸亀分会長と知るや、同原告に対し、「君が分会長か、分会長なら一寸頼みがあるんやけど、うちのおばはんらが一寸来とるから、十二時から入れて、けいこをさせるから、それはもう黙認せえよ」等という趣旨のことを話しかけ、そのため原告斉藤は酒を飲んで云つていることだから仕方がないと考えて「あんたらようけ来て笑いが止まらんわな」と答えたのである。かかる岡内通信部次長の行為は、管理者としてあるまじき行為であり、単に飲酒したという事実以上に分会組合員らを刺戟し、激昂させ、ひいては宿直宿明勤務者を定時に退庁させるという堀内局長の約束が果して履行されるかどうかについて、組合側に大きな不安を感じさせるものであつた。

そこで組合側は、局側の右の如き挑発的行為に対し抗議をし、紛争の起ることはできるだけ避け、挑発的行動はとらないとの局側との約束(三月十五日午前の堀内局長と中派遣地斗らとの了解事項)に従つて話合いをするため、同日午後十一時四十分頃訴外高井弘二支部副委員長が丸亀報話局局長室へ電話をかけ「重要な話があるから局長に会見したい」旨を申入れたが、応待に出た訴外横田一男善通寺報話局業務課副課長が用件を聞いて一旦電話をきり、数分後に「局長は会議中であるので会えない」旨を連絡してきたので、電話口に出た右高井支部副委員長が「どなたが会議をされているのか」と尋ねたところ、右横田副課長は「お前らに云う必要はない」等と高圧的な口調で返答したため、原告多田、中派遣地斗、右高井支部副委員長らが原告斉藤を誘つて局長室へ実情を確認するために赴いたところ、同室に待機していた右横田が「お前らどういう資格で来たか」と云つたため「お前らとは何か」等と受けて若干の応酬があつたが、結局飲酒問題や前記岡内通信部次長の暴言問題について話合いをしたい旨用件を明確にした上、訴外宮下義朝通信部計画課長のとりなしで「ときよし」旅館で会議中の堀内局長に電話連絡した結果、会議の終り次第連絡するとの確約を得て、午後十二時頃原告多田ら組合側は退出した。ところが、七福旅館(斗争本部)で待機していた組合側に対しその後何らの連絡もなく、三月十六日午前一時半頃になつても会見に応ずる旨の回答が来ず、局側としては組合側の申入れを完全に黙殺し、一方的に拒否したのである。中派遣地斗は、かかる事態に直面して、宿直勤務者が勤務終了時に果して局側との了解どおり退庁できるかどうかに不安を感じ、早急にこの問題を解決するため緊急戦術会議を開催し自己の責任と権限とにおいて、局側の前記のような挑発的行為や話し合いの申入れに対する一方的拒否に対する組織的な抗議として、坐り込みを決定し、松山市所在の原告組合四国地方本部書記局に待機中の日置派遣中斗と電話連絡をとり、その了解を得て、本件坐り込みを敢行したのである。

なお原告斉藤は右緊急戦術会議には出席していないのであつて、同原告はもとより、原告多田その他の組合員らは、すべて中派遣地斗の指示に従つて行動したにすぎないのであり、右坐り込みは、中派遣地斗の権限と責任に基いて同人が決定し、訴外日置派遣中央斗争委員の承認の下に敢行されたものであるから、原告多田、同斉藤に責任はない。

ロ、同日午前四時半頃、右緊急戦術会議の決定に基き、原告組合員らが、丸亀報話局交換室前廊下等に坐り込みをしたこと、坐り込んだ組合員数が約七十名に達したこと、堀内局長、岡内通信部次長、鎌倉通信部労厚課長、山内丸亀報話局庶務課長らが繰り返して坐り込み組合員らに退去を求めたこと、中派遣地斗らが局側管理者らに対し、前記のような局側の挑発行為に抗議し、堀内局長との話合いを要求し、結局同日午前五時過ぎ頃から、二階修繕室において話合いが行われることになつたことは、被告公社主張のとおりである。

ハ、二階修繕室における話合いは、堀内局長、岡内通信部次長、鎌倉通信部労厚課長らと中派遣地斗、原告多田已年、訴外高井支部副委員長との間に始められたが、組合側は、もとより、局側の飲酒等の挑発行為や会見申入れの拒否に対する抗議やその理由の説明を求めたのであるが、局側の説明は誠意を欠き、一時間以上にわたつて押問答が繰り返されたが、同日午前六時過ぎ頃局側は会見の申入れに対し、何ら組合側に連絡しなかつたことを陳謝した上、岡内通信部次長から、電話交換室へ応援管理者らを入室させて欲しい旨の申入れがあり、漸く話し合いの内容は、飲酒問題から局側提案にかかる応援管理者の交換室への入室問題に移つたのである。しかるところ、同日午前六時四十分頃丸亀警察署から警察官が出動してきたために、事態は紛糾し、俄かに話合いの争点は局側が警察官を呼んだかどうかに移り、相当の混乱を生じたが、結局局側は、保安要員零の状態に至れば、交換台の呼出しランプがつきつぱなしになることにより火災の発生する虞れがあるため、警察官の出動を要請したことを認めたのである。組合側としては警察が労働問題に介入することは由々しい事態であると考え、警察官を引揚げさせることが重大な関心事であつたので、局側の主張するように火災発生の虞れがあるというのであれば、これを無くする方法を講ずることによつて警察官を引揚げさせたいと考え、話し合いの焦点は火災発生の虞れをなくする方法如何ということになり、結局保安要員としては、約四百回線の加入電話について、しかもその呼出しランプを消すために要する人員が必要であるということに労使双方の見解が合致し、その結果警察官は、原岡丸亀報話局次長の要請により、引揚げたわけである。黒岩通信部長から被告公社主張の如き提案があり、組合側がこれを了承したという事実は否認する。

ニ、そこで問題は右の意味における火災発生の虞れをなくするために必要な人員の算出であり、三階共通事務室において、局側と組合側双方の所謂専門家による要員算出作業が始められたわけである。組合側としても、三・一六斗争の具体的実施方法の一環として所謂保安要員については、被告公社側が必要とするときは、話し合いの上合理的な範囲で容認するが、組合側からその要員を出すことはしない旨が、第四十二回全国戦術会議の結果に基き、第六回四国地方戦術会議(昭和三十六年三月七日松山市に於て開催)において確認されていたので、合理的な範囲内での局側の保安要員を認めることは組合側としてもやぶさかでなかつたのである。右計算の結果同日午前八時頃局側(十河丸亀報話局電話運用課長)は七名、組合側(須藤副分会長)は六名の要員が必要であると算出した(被告公社は、当時局側は八名と算出したと主張するが、かかる事実は否認する)。しかるところ、この段階に至つて局側は俄かに応援管理者らの交換能率は、一般の交換手の二割程度にすぎないから、算出結果の五倍の三十五名を入室させるよう強硬に主張したため、話し合いは再び右の点をめぐつて紛糾し、二階修繕室へ場所を移して続けられた。

なお、原告斉藤が、三階共通事務室において、要員算出に立会つていた際に「公社が欠員を補充する場合には、常に一対一、すなわち交換手が欠務になつて、全く経験のない人を補充する場合には一人の欠員に対して一人しか雇傭しないのだから、保安要員も組合側の算出した六名で結構である」という趣旨の発言をしたことは認めるが、それは組合側として当初から考えていたことであつて、原告斉藤の個人的な発言ではなく、交渉の中心であつた中派遣地斗の主張に対し、組合員として当然の補助的発言をしたまでにすぎず、保安要員についての話し合いを混乱させるほどの重大発言ではない。

而して、二階修繕室での話し合いの席上、黒岩通信部長が電源を切るという意味のことを口走つて修繕室を飛び出すというような場面もあつたが、結局岡内次長のとりなしと、十名の応援管理者を入室させて貰いたい旨の提言を契機に、同日午前八時半頃十名の管理者を交換室へ入れることで話し合いが成立したことは被告公社主張のとおりである。岡内次長は、その際原告多田に握手を求めるほどの喜びようであつた。そして右了解に従い十名の管理者(すでに交換室において執務していた二名を除く八名)が宿直宿明勤務の九名の女子交換手と交替に、交換室へ入室した。

これを要するに局側の度重なる挑発行為に抗議するために始められた話し合いは、警察官導入問題を契機として火災発生の虞れを防止するに必要な保安要員の算出問題に発展したのであるが、所謂保安要員の問題は指令第十号の実質的内容をなすものであり、右指令逸脱の行為ではなく、管理者の入室制限を目的とし、これを強要したわけではなかつた。そして、右話し合いの過程において、常に実質的に組合側の中心となつたのは中派遣地斗であつて、原告多田、同斉藤らが主導者であつたとの被告公社の主張は否認する。

ホ、組合側の坐り込みにより、管理者らの交換室への出入が全く不可能になつたとの被告公社の主張は否認する。組合側が管理者らの出入を制限したような事実は全くない。当時交換室には平常通り九名の宿直宿明勤務者が勤務し、正常な業務の運営が行われていたのであつて、管理者らが交換室へ出入する特段の理由も必要もなかつたし、特に必要があれば訴外渡辺副課長のように自由に出入できたのであつて、同副課長に対する野次等は全くなかつたのである。すなわち、被告公社主張の頃訴外須藤副分会長が十河運用課長に呼ばれて渡辺副課長を用便に出して貰いたい旨の要請があつたので、交換室前坐り込みの責任者であつた訴外猪谷県支部書記長が偶々不在中のため、右須藤が「じやあ行きましよう、どうぞ」といつて渡辺副課長に附添つて行つたのである。宿直宿明勤務の女子交換手らも自由に出入できたのである。

また交換室前廊下等における坐り込みは、前記保安要員に関する話合いの成立した後も継続されたことは、被告公社主張のとおりであるが、それは局側が黙認ないし放置していたからであつて、右話し合いが成立した後は局側から退去要請の出されたことはなく、当日雨も降つていたので、組合側は話し合いが誠実に守られるかどうかを見守るために坐つていたのにすぎない。

へ、組合側が局舎前にピケツトラインを張つたことは被告公社主張のとおりであるが、原告多田、同斉藤らが職員(三・一六斗争から脱落した組合員)の出勤を阻止するために、ピケ隊員らの配置をきめ、指導実行したとの被告公社の主張は真実に反する。ピケを張ること自体は指令第十号の具体的実施にあたつての全国的に統一された基本的事項であり、前記第六回四国地方戦術会議において確認されていたのであつて、そのピケの態様、場所、ピケ要員の動員等は日置派遣中斗、中派遣地斗の決定事項であつて、原告多田は、中派遣地斗の指示に従つて公衆入口前のピケの責任者として挨拶等の行為を行つたのは当然の任務を遂行したのにすぎない。また原告斉藤は被告公社主張のようにピケ隊を見廻る等の行為をした事実は全くない。

而して右ピケは第一に職員の出勤を阻止するためのものではなく、組合の団結の示威であると共に、指令第十号に違反して就労しようとする組合員らがあれば(結果的には一名の脱落者もなかつた)、これを平和的に説得することを目的としたものであり、第二に公衆が丸亀報話局へ出入することを阻止するためのものでもなかつた。

ト、丸亀分会組合員らが、指令第十号どおり、全員時間内職場大会に参加し、その当然の結果として始業時から午前十時までの出勤予定者八十二名が、職場での勤務に就かなかつたことは認めるが、それは各組合員が自主的に原告組合中央斗争委員会の指令に従つたからであつて、原告多田、同斉藤らが積極的に組合員らの出勤を阻止したものではない。

三・一六斗争における時間内職場大会が、結果的には局舎一階中廊下で女子組合員を中心とする集会と、原告組合員のみならず組織外の応援労働組合員をも含めた全員参加の所謂解散大会にわけて行われたことは被告公社主張のとおりであるが、これは局側の度重なる挑発行為に対する抗議のための坐り込みが敢行されたために、当初の予定の変更を余儀なくされたからである。当初は構内中庭での大会を予定していたのであるが、右の事情や雨も小降りに降つていたので、局舎一階中廊下においてやむなく女子組合員中心の職場大会を開催し、同日午前九時五十分頃ピケを解いて解散大会を行い、同日午前十時直前には丸亀分会組合員中、当日の勤務予定者は、拍手のうちに就労した。

ところで右構内中庭の使用は、従来も時間内職場大会等のときも同様使用されたものであつて、局側も容認ないし黙認してきたものであり、三・一六斗争の場合にかぎつて違法視される理由はなく、また右中庭において職場大会を開催することの決定は、第三回拡大戦術会議における中派遣地斗の責任と権限に基くものであり、原告斉藤、同多田らに責任はない。さらに原告多田が所謂解散大会において司会、挨拶を行つたことは中派遣地斗の指示によるものであり同原告が戦術会議の構成員である以上当然のことであり、原告斉藤が丸亀分会組合員らを整列せしめたりしたことは丸亀分会長として当然のことである。

なお原告斉藤が午前十時以後も勤務時間内職場大会に参加していたというが、同原告は丸亀分会組合員らを整列させている最中に、訴外黒川英一電報課長から、当日負傷のため急に休むことになつた職員の服務変更の件について呼ばれ、その用件が終了すると同時に直ちに線路詰所へ帰つて作業にとりかかつたというのが事実である。

チ、原告多田、同斉藤及び中派遣地斗、高井支部副委員長らが同日午前十一時頃から約三十分間にわたり警官導入問題について堀内局長、岡内次長ら局側幹部に抗議をしたことは認める。なお原告斉藤が非専従役員であること、警官導入問題の重要性を考えれば、右程度の勤務時間中の組合活動が、問責されねばならぬものとは到底考えられないし、またかかる事実は就業規則違反等による懲戒事由該当性の問題とはなり得ても、公労法違反による解雇事由とはなり得ない。

5 業務阻害と社会的影響について、

イ、指令第十号に基く三・一六斗争によつて、被告公社の業務を一定限度で阻害し、その限度でまた電信電話利用者である国民に迷惑を与えたことは認めるが、それは比較的軽微なものであり、しかも右のような不利益は、被告公社側の電話回線切断行為によるものであつて、原告組合員らの坐り込みやピケツトの関知するところではない。

ロ、三・一六斗争における電話回線の規制は、被告公社側の予定の行動であつて、丸亀分会組合員らの坐り込み等とは何ら因果関係を有しないものである。すなわち、

(a) 局側において電話回線を規制することは、すでに指令第十号の発出せられた三月十四日に予定されていたことである。被告公社は、三月十四日電信電話営業規則第二百四十条の二を改正し、同条文に「非常事態の発生又は公衆電気通信設備の障害その他特にやむを得ない事由により………」の一句を挿入し、所謂電話回線の規制を行うことができる範囲を拡大したのであつて、これは明らかに三・一六斗争における拠点局所の回線規制を予定したものであることが明白であり、現に堀内丸亀報話局長もすでに三月十四日から回線規制作業にとりかかつたのである。のみならず香川電気通信部も三月十五日の段階において、三・一六斗争実施の場合は、拠点局所においては、電報関係は、窓口における電報の受付のみを取扱い一般電報は原則として配達しないこと、電話関係は、電話番号や料金の問合わせには応じないこと、重要加入者の通話を確保するために一般通話の交換は原則として取扱いを中止すること等を決定して利用者らに公表し、丸亀報話局においてもこれに呼応して同趣旨の広報を行つているのであつて、これらの諸事実は電話回線等の規制について、原告組合員らの坐り込みとは無関係に、事前に予定していたことが明らかである。

(b) 丸亀報話局においては、前述のとおり、三月十五日にすでに四百回線への規制を決定したが、それは指令第十号により、全組合員参加の時間内職場大会が指令されたことに対応するためのもの、すなわち出勤予定者全員の欠勤という事態に備えてなされたものというべく、原告組合員らの坐り込みとは無関係である。堀内局長らは、三月十四日からすでに回線規制の作業を始め、三月十五日午後九時頃すでに四百回線程度に規制することを決裁していたのであつて、それは指令第十号の明文そのものに対応してとられた手段であつたといわなければならない。

(c) 丸亀報話局における電話回線の規制等は電話の呼び数の増大による交換機器の障害、出火の虞れ等急迫の事態が生じたためではなく、予定の計画に従つて行われたものである。被告公社は拠点局所において、交換手が全員職場大会に出席し、加入電話加入者からの呼出しに全く応答できないことにより火災発生の虞れがあつたというが、そのようなことはあり得ない。丸亀報話局に例をとつても、その最繁時には一時間に約三千三百の「呼び」があり、通常の場合加入者が電話局を呼んで待たされる時間の最高が約五分であることを考慮すれば、呼びに応ずることができないまま呼び出しランプが点いたままになつているものは常時多めに見積つても約三百位であり、これを全体の約二千二百回線との関係からみると、一台百回線のうち約十四個の呼び出しランプが点いたままになるということであつて、その程度でヒユーズが切れるということはなく、仮りにヒユーズが切れたとしても、ヒユーズそのものが過大電流の流れることによつて当然切断し、それによつて火災の発生を未然に防止するためのものであるから、天災地変等の場合を除き、単なる呼びランプの点灯量が多くなることによつて火災の発生することはあり得ないのである。

ハ、而して実際に丸亀局における三・一六斗争の結果被告公社にどの程度の業務上の支障を生じたかについては、

(a) 先ず電話については、三月十六日午前七時から七時十分、同七時四十五分頃から八時二十五分頃まで回線規制作業がなされ、その結果被告公社主張のような市内回線の切断、市外回線の規制のなされたことやそのための通話接続状況、苦情申告等の状況が被告公社主張のとおりであつたことは認める。しかしそれは前記のとおり被告公社自らの方針によりなされた回線規制のためである。

(b) 電報関係については、窓口受付数、送信数、受信数、配達数等が被告公社主張のとおりであつたことは認める。しかし、前記のとおり被告公社自ら電報取扱は窓口受付に限り、一般電報は配達しないという既定の方針に従つたものであり、電話託送の少なかつたことは全て被告公社側の電話回線の規制のためであること、電報業務については、応援管理者を何名でも配置できたこと、電報配達についても十分の資料(地図、名簿等)が整備され、土地不案内なものでも配達は相当程度可能であつたことを指摘する。

(c) 電話や電報以外の業務について、丸亀分会組合員らが始業時から午前十時まで一名も出勤せず、そのため出勤予定者による通常の丸亀報話局の業務が行われなかつたことは認めるが、これら業務は電信電話の利用者である一般国民に何らの直接的、具体的不利益を与えるものではなく、応援管理者らを配置することは自由であつたのである。

ニ、丸亀報話局における三・一六斗争の影響は前記のとおりであつて、それは同局の規模からしても相当程度の低いものであることは容易に推認し得るところであり、極めて軽微なものであるといわなければならない。

而して、右の業務阻害は、時間的には始業時から午前十時までに限られるものであり、それは指令第十号に基き、右時間帯の出勤予定者が出勤しなかつたことによるものであつて、丸亀分会組合員らの行つた坐り込みとは無関係である。すなわち、電話交換業務についてみれば所謂始業時である午前七時(同時刻の出勤予定者一名)以前の時間帯においては、平常通りの交換手(宿明宿直勤務者九名)が配置せられて業務の正常な運営が行われたのであつて、電話業務における業務阻害は少くとも午前七時以降に生じたものである(しかも、午前八時半までは右宿明宿直勤務者が就労していたこと、午前九時から午前十一時までが最繁時であること、すでに午前七時頃から局側の回線切断作業が始められていたこと、午前八時半までの出勤予定者は計十一名であること等を考慮すれば、さらに午前八時半頃までは実質上業務阻害はなかつた)。午前七時以前の坐り込みは、所謂庁舎管理権の侵害ということにつきるのであつて、何ら業務の正常な運営に支障はなかつたのである。

電報その他の業務についても事情は右と同様である。

(二)  ところで被告公社は、以上のような丸亀報話局における本件三・一六斗争中に原告多田・同斉藤の行つた行為は公労法第十七条第一項、第十八条に該当するものとして原告らを解雇した旨抗弁するけれども、右法条は日本国憲法(以下単に憲法と称す)第二十八条、第十八条に違反して無効であるから、右解雇もまた無効である。

1 公労法第十七条第一項、第十八条は憲法第二十八条に違反する。従つて公労法第十七条第一項が禁止する争議行為等を行つたことを理由に同法第十八条に基いてなされた本件解雇の意思表示は無効である。

わが憲法第二十八条は、すべての勤労者、すなわちその職業の種類を問わず、賃金・給料その他これに準ずる労働の対価たる収入を得て生活している者に対し、団結権、団体交渉権のみならず争議権をも、何らの制限なく、侵すことのできない永久の権利として保障する。そして公労法の適用を受ける労働者もまた、右憲法第二十八条にいう「勤労者」として同法条の保障する争議権を有することはいうまでもない。しかるところ公労法第十七条第一項は、同法の適用を受ける労働者、すなわち原告組合員をも含めた所謂公共企業体等の職員(以下「公企体労働者」と略称する)について、その事業内容の相異等を一切捨象して、一律全面的に、しかもその規模、態様、程度等の相異を全く無視して一切の所謂争議行為を禁止するものであつて、かかる法条が憲法第二十八条に違反することは明白である。

仮りに憲法の保障する基本的人権といえどもそれは無制約のものではなく、一定の限度において制限されることがあり得るとしても、その制限は憲法第二十八条に争議権を保障した趣旨に照らし、十分に実質的で且つ合理的な理由乃至必要性のある場合にのみ、しかも必要最小限度の範囲に限つて許さるべきものというべきである。しかるに公労法第十七条第一項は、公企体労働者について、単なる合理的な制限の範囲を越えて、憲法第二十八条の保障する争議行為を全面的に一切禁止するものであつて、それは正に争議権の剥奪であるというべく、かかる規定はいかなる意味においても合憲ということはできない。

公労法第十七条第一項が違憲無効である以上、この規定が有効に存在し得ることを前提として存在する公労法第十八条もまた当然違憲無効であり、従つて本件解雇の意思表示もまたその効力を生ずるに由ないのである。

2 公労法第十八条は、憲法第十八条、第二十八条に違反する。

仮りに公労法第十七条第一項が公共の福祉等の見地から合憲であるとしても、右規定に違反して争議行為等を行つた公企体労働者に対し、一律無差別に解雇という労働者にとつては死刑に等しい制裁を科することを規定した同法第十八条は、憲法第十八条、第二十八条に違反する。すなわち、争議行為を制限禁止することと、その禁止に違反して争議行為をしたものに対しいかなる制裁を加えるかということは自ら異る問題であつて、前者が合憲であるからといつて、後者も直ちに合憲であるとはいえず、公労法第十七条第一項に違反する行為をした者に対し全員一律無差別に解雇という苛酷きわまる民事上の制裁をもつて臨むことの合憲か否かが問われなければならない。

而して憲法第十八条後段は何人も犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない旨を規定し、ここにその意に反する苦役とは、特に苦痛を伴う労役のみを意味するものではなく、本人の意思に反して他人のために強制される労役又はこれに準ずる隷属状態を意味する。そして公労法第十八条は、同法第十七条第一項によつて禁止された争議行為等を行つたものに対し、その行為の態様、程度等を問わず、すべて解雇という制裁を科するものであるところ、終身雇傭制度と年功序列型賃金体系が支配的であるわが国においては、解雇によつて労働者の受ける経済的、精神的不利益は刑事罰によつて労働者らが蒙る不利益に勝るとも劣らないものであり、むしろ罰金刑等を科せられることに比較すれば解雇されることの方が実質的には重いというべきものであり、従つて公労法第十八条は解雇というそれ自体刑事罰に匹敵し、もしくは場合によつてはそれよりも重い制裁による威嚇のもとに、一切の争議行為等を禁圧し、公企体労働者に対しその意に反する労働を強制するものであるから、憲法第十八条、第二十八条に違反するものといわなければならない。

そこで原告多田、同斉藤に対する本件解雇の意思表示もまたその効力を生ずるに由ないものである。

(三)  前記丸亀報話局における本件三・一六斗争(勤務時間内職場大会)の実施は、公労法第十七条第一項が禁止する争議行為に該当しないものである。

1 原告組合が三・一六斗争を実施せざるを得なかつた事情及び丸亀報話局における三・一六斗争の実態は、前記(一)のとおりであるが、右斗争はそもそも公労法第十七条第一項の禁止する争議行為にあたらないものである。すなわち、公労法第十七条第一項にいう所謂争議行為は、その種類、態様、程度の如何を問わず社会的事象としてみた場合に争議行為と認められるすべての行為、あるいは労働関係調整法第七条に所謂争議行為等とその範囲を同じくするものではなく、第一に一般の国民(公企体事業の利用者)に対し著しい不利益を与え、その生存に危殆を生ぜしめる程度のものでなければならず、第二に解雇という労働者にとつては死刑にも等しい処分を行うに足りるだけの違法性の著しいものでなければならず、そして第三にわが国の現存の経済機構を根底からゆさぶるような大規模なものであることを要するものと解さなければならない。かく解することによつて始めて公労法第十七条第一項は違憲たることを免れるのである。すなわち、

(1) 憲法第二十八条の争議権の保障も、公共の福祉の理念等からして絶対無制限の保障ではないとしても、その公共の福祉のために争議権が制限あるいは禁止されるということは、公共企業体の場合をとつてみれば、その営む事業が全国的規模をもち、利用者である一般の国民全体の利益と緊密なる関係をもち、そのため公共企業体の職員が争議行為を行つて正常な業務の運営が阻害されるときは、国民生活に重大な影響を与えることがあるという点に根拠をもつものであり、換言すれば公労法第十七条第一項が保護しようとするものは、公共企業体の業務そのものあるいはその利潤ではなく、主として一般の利用者の利益(いわば公共の利益)である。従つて右法条によつて制限禁止される争議行為等の限界は、公共企業体の労働者が本来憲法第二十八条によつて保障されているはずの争議権を失うことによつて蒙る不利益と、一般の国民が争議行為によつて蒙る不利益とを比較衡量した上で決定されなければならない。而して労働者に保障された争議権は、労働者が自己の経済的地位の維持向上をはかるために認められた殆んど唯一の有効な手段であつて、その生存権確保のための不可欠の基本的人権であるから、これと比較衡量されるべき公共の利益も、少くとも一般の国民の生存権の保障という観点から把握されることが必要であり、結局基本的人権である争議権行使の一般的禁止は、その行使が必然的に第三者、すなわち一般の国民の生存に危殆を生ずるという場合に限られなければならない。このことは公共の福祉の理念が基本的人権と基本的人権との衝突する場合の調節原理であることからしても当然である。そうだとすれば公労法第十七条第一項も公共企業体等の職員又は組合の争議権そのものを剥奪し、社会学的にみた場合の一切の争議行為を禁止したものではなく、前記のような意味における公共の福祉の理念から、第三者である一般の国民の生存自体を危くするような程度の争議行為のみを禁止したものと解しなければならず、換言すれば、公企体労働者の行う争議行為もその目的手段、方法が全法律秩序に照らして相当であり、具体的に国民の福祉に直接且つ明白な著しい損害を与えるものでないかぎり、それは公労法第十七条第一項に違反する争議行為とはならないのである。

(2) また公労法第十七条第一項に違反した者は同法第十八条によつて一律無差別に解雇という苛酷な制裁を加えられることからして、逆に解雇という制裁を受けるに値する程度の違法性の強いものでなければならないと解すべきである。このことは本来争議権が憲法によつて労働者に保障された基本的人権であることに基礎をおくものであるが、他面懲戒解雇に関する処分の均衡性の理論、あるいは違法性の相対性理論が参照されなければならない。すなわち懲戒解雇についての多くの判例は懲戒解雇の事由となる行為は懲戒解雇に処することが社会通念上肯認され得る程度に重大且つ悪質なものでなければならないとする理論を確立したものと考えられるが、公労法第十八条による解雇は、その法的性質において懲戒解雇とは異るけれども、いずれの解雇も、法規乃至は就業規則違反の行為に対する制裁という点では同質のものというべきであるから、懲戒解雇に関する右法理は公労法第十八条の解雇についても妥当する。

また右と同様の結論はいわゆる違法性の相対性理論すなわち一方ではある行為の違法性の種別と軽重についての、他方では違法行為に対する制裁自体にいての、それぞれの価値判断がなされ、前者は後者に値する量と質を要求されるとの理論からも導き出されるものである。かかる意味において、公労法第十七条第一項の所謂争議行為は、解雇に値する違法性を有するものであることを必要とする。

(3) 第三に公労法制定の経過等よりして、同法が禁止する所謂争議行為等は、現存の経済機構を根底から揺り動かすような大規模の争議行為をいうものであつて、単に社会的な意味における争議行為によつて、国民の一部が一時的に小規模の不便ないし迷惑を蒙つたとしても、それだけでは公労法第十七条第一項の争議行為にはあたらないのである。すなわち、公労法は公企体労働者の所謂争議行為を一律全面的に禁止する意図をもつて制定されたものではなく、昭和二十二年二月一日に予定された所謂二・一ゼネラルストライキに対するマツカアーサー元帥の中止指令、それを再確認した昭和二十三年四月の所謂マーカツト覚書、同年七月の所謂マツカアーサー書簡等の内容をみると、そこでは無論連合国占領政策上の配慮が優先しているとはいうものの、当時のわが国の経済機構全体に対する配慮すなわち抽象的な現存の経済機構の維持強化という観点が強調されており、これを根底から破壊するが如き大規模の争議行為を禁止しようとしたものであることが明白であり、右マツカアーサー書簡の要請に応じて制定されるに至つた公労法もまた、右の如き意味における大争議行為のみを禁止する趣旨のものであつたことは、政府の公労法提案理由説明中に、公共企業体が争議行為を行うときは国家に対する脅威であり、再建途上にあるわが国の経済と国民の福祉において公共企業体の占める重要性にかんがみ、これが業務の停廃は寸時といえども許されない、かかる意味において公共企業体の労働者の争議行為を禁止することは止むを得ないところであるという趣旨のことが述べられている事実(昭和二十三年十一月十二日衆議院労働委員会における増田労働大臣の説明)よりしても明らかである。

2 以上の観点よりして、結局、公共企業体の職員又はその組合が所謂争議行為を行つたとしても、その目的、手段、方法が全法律秩序に照らして相当であり具体的に公共の福祉に反しないものであることが明らかであるかどうか、原告組合員らの労働条件の程度、代償措置(強制仲裁)の機能発揮の程度、実力行使を実施せざるを得なかつた事情、実力行使の態様、電話加入者ら一般の利用者の蒙つた不利益等を具体的に検討し、前記の要件を充足したとき、はじめて公労法第十七条第一項に違反するものといわなければならないところ、これを本件三・一六斗争についてみれば、次に述べる理由よりして、公労法の禁止する争議行為に該当しないものである。

(1) 三・一六斗争に於ける動機と目的の正当性

本件三・一六斗争における原告組合の諸要求は、前記第四の二、(一)1及び2の(2)記載のように原告組合に所属する労働者の置かれていた状況に正に対応するものであり、それらの諸要求の実現は急速度で進展する大規模な合理化、ことに第三次五ケ年計画の大綱がほぼ明確になり、より一層の労働不安と労働条件の劣悪化が十分予想された段階においては原告組合にとつては重大且つ差迫つた課題でもあつたのである。

ことに丸亀報話局においては、昭和三十四年九月二十三日被告公社から改訂電信電話拡充第二次五ケ年計画の一環として原告組合中央本部に提示された「丸亀局自動改式に伴う要員措置計画調書」、さらに昭和三十五年十一月十一日地方協議事項として被告公社から原告組合四国地方本部に提示された「丸亀局自動改式に伴う要員措置計画」によれば、丸亀報話局の自動改式(昭和三十七年度に予定されていた)に伴い、電話運用関係については百六名の改式前の定員が四十八名に削減せられ、それに伴い実に五十八名のものが過剰人員として配転又は職転の対象となり、さらに丸亀局自動改式の次年度に予定されていた琴平、多度津各局の自動改式に伴い再度の配転等も十分予測される状態にあり、その結果通勤可能限界点を越えた職場への通勤を余儀なくされる場合も予想された。のみならず、被告公社の提示した右要員計画は丸亀報話局の設備、取扱作業量等を考慮に入れれば明らかに労働条件の低下をもたらすものであり、丸亀分会組合員(当時百六十七名)の労働不安は極めて増大していたのである。

さらにまた丸亀報話局の局舎(三・一六斗争当時)は、もと旧逓信省時代に電話交換室と交換機器並びにそれに附随する諸機械のみを設置する局舎として建設せられたものであるところ、電信電話部門の分離独立化に伴い、報話局として一単位事業所となり、電報課、施設課等が吸収せられたため、若干の増改築がなされたとはいうものの、極めて狭少であつて、換気、採光、照明、保温あるいは休憩室、食堂等労働者の健康管理作業能率等の面からみて劣悪な環境にあり、この面においても労働条件は極めて悪化していたし、また電話加入者数の増加等に伴い必然的に増員されるべき定員についても、所謂要員協定のないために、被告公社の恣意にまかされ、被告公社は労働密度の科学的測定の困難等を口実に容易に定員増を認めず、必然的に丸亀分会員らは労働強化を強いられ、そのため女子電話交換手らは出産に際して死産、早産、流産等が多く、特に昭和三十四年六月と八月には二名の女子分会員が出産時に死亡する事故が生じた。

このような劣悪な労働環境の中にあつて、丸亀分会は局側と労働条件の改善のために真剣に団体交渉を行つてきたのであるが、丸亀報話局長ら局側管理者は常に不誠意な態度をもつて終始した。例えば丸亀報話局の自動改式に伴う新局舎の建設敷地の獲得についても、局側は何ら努力せず、むしろ丸亀分会の積極的な工作により、丸亀城周辺の好環境の敷地の獲得に成功したのであり、あるいはまた昭和三十三年三月十三日の丸亀分会の時間内職場大会の開催に際しては、代替作業員に白衣を着せ医務関係者と偽つて局舎内へ導入しようとしたり、さらに昭和三十四年八月五日に、丸亀分会の実施した「余計な仕事をしない運動」に関し、僅か約一時間三十八分電報が遅延した事実のみをとりあげて丸亀分会員二名をそれぞれ訓告、文書注意処分に付する等、丸亀分会員らの労働条件改善の真剣な態度を無視し、かえつてこれを抑圧する不当な態度に出ていたのである。そのため丸亀分会組合員らは昭和三十六年度春斗においては、自らの差迫つた重大な諸要求を実現するためには、被告公社に対し、猛省を促す必要があるとの切迫した気持にかられていたのである。

(2) 三・一六斗争において実力行使を実施せざるを得なかつた事情―その必要性と非代替性

原告組合中央斗争委員会が、指令第九号、第十号を発出し、従来に例をみない強力な斗争を実施するにいたつたのは、一方においては原告組合の昭和三十六年度春斗における諸要求の実現がそれ自体緊急且つ重大なものであつたこと、他方においてはこれら諸要求に対する被告公社の態度が全く誠意を欠き、ことに原告組合員の労働条件の改善のための最も緊急且つ重大な要求である要員協定の締結の問題について、前記のように、団体交渉事項ではないとしてこれを拒否する態度に出たこと、また従来も原告組合が実力行使を背景としなければ、中央団体交渉は進展せず、原告組合の諸要求は殆ど実現しなかつたという歴史的事実等によるものであつて、被告公社の不誠意な態度が原告組合をして三・一六斗争を実施せざるを得なくさせたのであつて、原告組合としてはかかる手段を採る以外に方法はなかつたのである。

(3) 三・一六斗争において採られた手段、方法の社会的相当性

指令第十号に基く勤務時間内職場大会は、原告組合の春斗諸要求の重大性、緊急性とそれに対する被告公社の誠意を欠く不当な態度に正しく対応する必要最小限度のものであつて、それ自体は全組合員参加という従来にみられない強い実力行使であつたけれども、その反面それは全国約千七百の事業所中僅か五十九ケ所の拠点局所において実施されたものにすぎず、且つまた時間も、始業時から午前十時までという短時間に行われたものにすぎなかつた。これを原告組合香川支部についてみれば十八事業所中、丸亀報話局のみにおいて行われたにすぎないのである。かかる拠点斗争によつて火災発生のおそれのなかつたことは前記第四、二、(一)5ロ(c)において述べたとおりであり、丸亀報話局においてはそもそも「保安要員」なるものは必要なく最終的には十名の管理者が電話交換室において執務したのであるから、現実にも火災など起り得るはずはなかつたのである。

また丸亀報話局における三・一六斗争は、全国統一斗争の一環として指令第十号の指示する範囲内で整然と実施されたものであり、具体的には日置派遣中斗、中派遣地斗の指揮、指導の下に行われたものである。これを更に具体的にみるに、先ず電話交換室前廊下等における所謂坐り込みは、前記第四、二、(一)4(6)のとおり局側管理者らの飲酒、女子交換手らに対する岡内通信部次長の暴言等の挑発行為に対する組合側の話し合いの申入れを拒絶されたことに対し、組合側として緊急止むなく採用した組織的な抗議であり、当時の局側の不当な態度に対しては坐り込み以外にはとるべき手段、方法はなく、従つて日置中央斗争委員、中派遣地斗の承認と指示の下に局側の反省を促すために極めて平穏裡に坐り込みが敢行されたのであり、しかも管理者らの通行を何ら制限するものでもなかつた(電話回線規制と坐り込みとの間に因果関係のないことは、前記第四、二、(一)5ロ参照)。また局舎出入口におけるピケットについては指令第十号の実施にあたつての全国統一事項として五十九の拠点局所において一様に実行されたものであつて、ひとり丸亀報話局のみにおいて行われたものではなく、その目的も指令第十号に反して就労しようとする分会組合員らの平和的説得が目的であつて、職員の出勤阻止等が目的ではなかつた。さらに局舎内又は構内中庭における職場大会の開催も前記第四の二、(一)4(6)トのとおり、従来から丸亀報話局において承認あるいは黙認されてきたところであり、しかも所謂解散大会も僅か二十分程度行われたものにすぎず、具体的実質的には被告公社の業務を何ら阻害しなかつたこと等からして、極めて形式的には被告公社の局舎(施設)管理権の侵害であるとしても、それをもつて解雇の一事由とすることは、局舎管理権の濫用というほかはない。

これを要するに、丸亀報話局において三・一六斗争に関して組合側のとつた手段方法は、当時の情勢に照らし緊急止むを得ないものであり、あるいは労働組合の団体行動に通常随伴するものとして、許容さるべきものであり、いずれも社会的に相当のものというべきである。

(4) 三・一六斗争が国民に与えた影響

丸亀報話局における三・一六斗争において被告公社の電信電話業務の蒙つた実質的具体的な支障は前記第四、二、(一)5で明らかにしたところであるが、それが利用者(一般の国民)に与えた影響(不利益、迷惑等)は、具体的には殆どいうに足りない微々たるものであつたことは、丸亀報話局の規模からしても容易に推認できるところであり、原告組合員らのおかれていた状況、原告組合の春斗諸要求の意義、内容、三・一六斗争を実施せざるを得なかつた事情等よりすれば、三・一六斗争によつて実現しようとした原告組合員らの利益は、それによつて蒙つた電信電話の利用者らの具体的不利益をはるかに上廻るものであつたといわなければならない。

3 してみると、丸亀報話局における三・一六斗争は、電信電話の利用者である国民の生命、身体、財産等に対し、現実に明白な危険を及ぼし得るものではなく、ましてやその手段、方法が常規を逸し、経済、社会秩序を根底から攪乱乃至動揺させるようなものでないこと勿論であり、また基本的人権相互の実質的に公平な調節を行うための原理としての公共の福祉に反するものでないことも明らかであり、憲法を頂点とする全体としての法律秩序の中で社会的相当性を失わないものというべきである。これを要するに、丸亀報話局における三・一六斗争は解雇という制裁をもつて禁止しなければならないほどの違法性の強いものとは到底云えないのであつて、それ自体が公労法第十七条第一項に該当しないものである。

(四)  かりに本件時間内職場大会が公労法第十七条第一項に所謂争議行為に該当するとしても、原告多田、同斉藤には同項後段の「禁止された行為を共謀し、そそのかし、若しくはあおつてはならない」との規定に該当する行為はなく、同法第十八条の適用はない。

丸亀分会組合員らが本件時間内職場大会に参加し、不就労乃至は職場放棄を行つたのは、原告組合中央斗争委員会の指令第十号に基き、原告組合の組合員として自主的に行動した結果に外ならないのである。原告多田、同斉藤は(一)において明らかにしたとおり、本件三・一六斗争の全経過を通じて、組合員の感情に訴えるような刺戟的な言動をしたり、組合員らの自由で理性的な意思活動を困難ならしめるような言動をしたことは全くなかつたのであり、その行動は、基本的には中央斗争委員会の各指令の確認、下級機関ないしは一般組合員への伝達という争議行為に通常不可分的に随伴するものにすぎず、支部斗争委員長あるいは丸亀分会長としての地位にある者に、それが誰であろうとも当然期待し、あるいは予想されるものであつて、その範囲を何ら逸脱するものではなかつた。原告多田、同斉藤は他の多数の原告組合員らと共に、中央斗争委員会の指令および中派遣地斗の判断と指示に従い、組織におけるそれぞれの地位にあるものとして、当然予想され期待される仕方で三・一六斗争に参加したにすぎない。

そしてまた同原告らに右以外の他の行動、例えば所謂指令返上等の行動にでることを期待することは、到底できなかつたのである。本件三・一六斗争の実施は前記第四、二、(一)2(10)にも触れたように、きわめて民主的な手続を経て、全組合員の意思を反映して採用されたものであり、その意味では三・一六斗争の実施を命ずる指令第十号は強い拘束力を有していたものであり、これに従うことは、原告組合の団結の基礎である団体の規律を守ることであり、同原告らとしては当然これを順守しなければならなかつた。かかる意味において丸亀報話局における時間内職場大会の実現はまさに指令第十号の強い拘束力と団体の規律そのものに基くものであり、同原告らの煽動、教唆等があつたからではない。従つて同原告らが支部斗争委員長、あるいは分会長たる地位にあつたということのみで解雇することは到底是認できないのである。従つて同原告らの行為をもつて公労法第十七条第一項後段に該当するものということはできない。

してみると同原告らが解雇されるというのは、単に他の原告組合員らと同様に三・一六斗争に参加したという理由のみに帰することになるが、かかる違法性の軽微な行為をもつて解雇に値するものとは到底解することはできない。従つて同原告らの行為は公労法第十八条にいう「前条に違反する行為」には該当しないというべきである。

(五)  かりに原告多田、同斉藤らの行為が公労法第十七条第一項に全面的に該当するものであるとしても、同法第十八条にいう「違反する行為」には該当しない。

公労法第十八条に所謂「前条に違反した行為」とは、解雇というそれ自体重大にして且つ苛酷な処分に値する程度の強い違法性を有するものでなければならないことは前記のとおりであるところ、三・一六斗争自体の違法性は軽微なものであり、また原告多田、同斉藤の諸行為も、職場大会の実施に不可欠的に随伴する行為として、その違法性は解雇をもつてのぞまなければならないほどの強い違法性を有するものではない。従つて同原告らの行為がかりに公労法第十七条第一項に一応該当するとしても、同法第十八条の「前条の規定に違反する行為」ということはできない。

三、原告らの仮定的再抗弁

かりに原告多田、同斉藤の三・一六斗争に際しての行為が公労法第十七条第一項、第十八条に該当するものとしても、同原告らに対する本件解雇の意思表示は、次の理由によりいずれも無効である。

(一)  原告多田、同斉藤に対する本件解雇は不当労働行為である。

原告多田は昭和二十九年八月原告組合高松電報局分会職場委員に選任されたのをはじめとして、その後同分会執行委員、書記長を経て昭和三十四年五月原告組合香川支部書記長に選任され、次いで昭和三十五年八月同支部委員長となり、本件三・一六斗争当時その地位にあつたもの、また原告斉藤は昭和三十三年五月丸亀分会執行委員に選任されたのをはじめとして、その後昭和三十五年五月丸亀分会分会長に選出され、本件三・一六斗争当時もその地位にあつたもので、いずれも組合活動家として活発な斗争を行つてきたものである。すなわち同原告らの所属する原告組合香川支部は、四国地方本部の中でも特に根強い組織力の上に、高松電報局定員削減反対斗争(昭和三十三年八月から昭和三十四年十一月まで)、公認サークル反対の斗い(昭和三十三年十一月から昭和三十四年九月まで)、時間外労働覚書改正斗争(昭和三十五年九月から同年十一月まで)、右に関連しての丸亀報話局における団体交渉拒否に対する斗い(昭和三十五年十月から同年十二月まで)、所謂詫間問題に関する年次休暇、組合休暇の制限に反対する斗い(昭和三十六年二月)等の香川支部の直接指導の下に積極的に職場斗争(職場における具体的な労働条件を徹底的に点検し、余分な仕事はしないという活動を通じて、労働条件と組織活動の断層をなくし、労働者の手で、職場から労働協約をつくるという権利意識の下に労働条件の確保と向上をはかるという組織活動)を行い、原告多田、同斉藤らはこれに参加し、ことに原告多田は、香川支部書記長あるいは執行委員長として果敢に指導をし、斗争を進めてきたものであつた。被告公社はこれら職場斗争を嫌忌し、常にこれが封殺をはかり、これら職場斗争を病理的現象として一掃する機会を狙つていたのである。

而して原告多田、同斉藤は本件三・一六斗争の僅か九日後に解雇されたのであつて、しかも同原告らとしては、原告組合中央斗争委員会の指令に基く全国統一斗争としての三・一六斗争において、原告組合員として当然なすべきことをなしたにすぎず、具体的には日置派遣中斗、中派遣地斗ら四国地方本部、丸亀報話局における右斗争についてのそれぞれの最高責任者の指示、承認の下に活動したのに対し、右日置、中らをさておいて、解雇されたこと等を考慮すれば、被告公社の意図は公労法第十七条第一項違反に藉口して、原告多田、同斉藤らが活発な職場斗争を行つてきたことに対する報復処分として本件解雇処分をなしたものであり、それは同時に職場斗争の指導者たる同原告らを排除することによつて正当な組合活動である右斗争を封殺し、香川支部の組織の分断と弱体化をはかる意図に出たものであることが明らかである。してみると同原告らの解雇は労働組合法第七条第一号、第三号の禁止する不当労働行為であること明らかであり、従つてその効力を生ずるに由ないものである。

(二)  原告多田、同斉藤に対する本件解雇は、解雇権の濫用であつて無効である。

かりに原告多田、同斉藤の行為が公労法第十七条第一項、第十八条に該当するものであり、被告公社が同原告らを解雇することはその自由な裁量に委ねられているとしても、本件解雇は次のような理由により解雇権を濫用したものとして無効である。

1 本件解雇は、権利行使に名を藉りて、本来それが認められた目的以外の不当な目的の下になされたものである。すなわち、

(イ) 原告多田、同斉藤に対する解雇の真の意図が、原告組合香川支部の組織の分断、弱体化にあつたことは(一)において明らかにしたところであり、それは香川支部の組織、運営に対する支配、介入を目的としたものである。

(ロ) また本件解雇は、公労協九組合が昭和三十六年三月三十一日に実施を予定していた全国的な統一行動による実力行使に対して威圧を加え、これを阻止する不当な目的のためになされたものである。すなわち、公労協各組合は昭和三十六年度の春斗において、各組合が統一と団結を強化し、連帯的立場に立つて賃金の大幅引き上げ等の統一要求に対し不誠意きわまる態度に終始する政府に対し、その要求を貫徹するための方法として同年三月四日拡大戦術会議において、公労協統一の第一波の実力行使を同月三十一日頃に実施することを決定したのであるが、同月十三日の対政府統一交渉において政府は賃上げについて拒否回答をなしたため交渉は決裂し、公労協共同斗争委員会は予定どおり同月三十一日に半日ストライキを実施することを宣言したのであつて、かかる情勢の中にあつて原告組合の三・一六斗争が断行されたのであり、これに対して被告公社は、右三・一六斗争の九日後であつて同月三十一日に予定された右半日ストライキの六日前の同月二十五日に、原告多田、同斉藤を含む十六名の組合員の解雇、停職八十四名、減給二千五百七十二名、戒告五千二百八十四名という前例のない大規模且つ重い処分を行つたのであつて、従来被告公社がこの種の処分については二ケ月乃至三ケ月の期間をおいて十分調査の上なされるのが通例であつたことから考えれば、右処分は明らかに公労協の半日ストライキを抑制する目的をもつてなされたものであると断ぜざるを得ないのである。

2 原告多田、同斉藤に対する本件解雇は、著しく公平を欠き、均衡を失した処分であり、同原告らのみに対して極めて苛酷なものである。すなわち、

(イ) 本件解雇は被告公社が従来原告組合員らに対してとつてきた類似の行為に対する処分の実例からみても著しく苛酷、過重のものである。被告公社は従来も原告組合の実施した時間内職場大会等に対して、その都度不当処分を行つてきたが、それでもこれまで最も重い処分は停職六ケ月にすぎず、解雇等の事例は存在せず、しかも上級機関に重く、下級機関に軽いのが常態であつた。

(ロ) 本件解雇は、日本国有鉄道、郵政省関係等の類似行為に対する処分と比較しても格段に重いものである。四国地方における国鉄労働組合の処分事例についてみても、例えば昭和三十七年三月二十七日から同月三十一日にわたる年度末手当をめぐる全国斗争においては、連絡船二本、貨物列車七本が運休し、旅客列車、貨物列車を含めて約一千分前後の遅延を生じ、同月三十一日には松山駅構内線路上に約千五百名の組合員らが坐り込んで同駅を同日午前三時四十分から午前五時四十分までの間に通過もしくは発車する列車を完全にとめる等の大規模な影響を与えたにも拘らず、その処分は同組合四国地方本部の幹部らが休職又は停職六ケ月ないし十ケ月等の処分を受けたにすぎず、解雇されたものは一名もいなかつたのである。

(ハ) 本件解雇は、三・一六斗争に関する他の原告組合員らに対する処分と比較しても著しく苛酷且つ均衡を失したものである。すなわち、原告多田、同斉藤は原告組合中央斗争委員会の指令に従つて行動したものにすぎず、しかも具体的には四国地方本部派遣中央斗争委員として四国地方本部管内における三・一六斗争に関する最高責任者である訴外日置容正、さらに丸亀報話局における最高責任者である中派遣地斗らの指示、指導の下に活動したのであつて、(前記第四、二、(一)4(1)参照)指令第十号等の発出名義人である中央斗争委員長片平久雄は停職一年、右日置容正、中担忠はいずれも停職十ケ月の各処分を受けたのに対し、同原告らは解雇という最も重い処分に付されたのであつて、著しく不公平な処分であることは明らかである。

さらにまた四国地方における三・一六斗争の他の拠点局所との比較においても、例えば徳島県小松島報話局においては局舎内への坐り込みによつて完全に管理者らを分断し、あるいはピケツト・ラインの突破をめぐつて、もみあいが行われる等の事態が発生し、一名の出勤予定者も出勤せず、丸亀報話局とほぼ同率の電話回線の規制がなされたにも拘らず、その処分は、支部委員長が停職六ケ月、支部副委員長と支部書記長が停職四ケ月に処せられたのみで、分会役員らについては、停職以上の処分はみられなかつたのである。

3 本件三・一六斗争は、それ自体公労法第十七条第一項に違反するものであるとしても、その違法性は前記二、(一)に明らかにした諸事情を勘案すれば、極めて軽微なものであり、その三・一六斗争において原告多田、同斉藤のとつた諸行動それ自体も労働組合という組織の中にあつて、労働組合員として当然とるべき行動の範囲を逸脱したものではなかつたから、その違法性はいうに足りないものであり、到底解雇に値するほど悪質重大なものということはできない。

以上の諸点を考慮すれば、原告多田、同斉藤を解雇したことは、軽い情状に対し必要以上に重い処分を課したことに帰するのであつて、正に解雇権の濫用であるといわなければならない。ことに原告斉藤については、日置、中、原告多田らの指揮下にあつて、他の一般の組合員と何ら異るところのない地位にあつたのにすぎないのであつて、全く指導的地位を有せず、同原告を解雇したことは、四国地方における他の拠点局所における分会長らに対する処分と比較して、不公平の最たるものと云わなければならない。

第五、再抗弁事実に対する被告公社の認否並びに主張

一、原告多田、同斉藤に対する本件解雇が不当労働行為であるとの主張は否認する。同原告らを解雇したのは、丸亀報話局における三・一六斗争の実態が前記第三の三、(二)5に明らかにしたとおり、全国各局所中まれにみる悪質且つ過激なものであつたことに照らし、同原告らが実質上の指導者として右斗争を指揮したことに対する責任を問うたものであり、あくまでも公労法第十七条第一項に違反したことを事由とするものである。

二、本件解雇が解雇権の濫用であるとする原告らの主張も否認する。被告公社は、原告組合香川支部の弱体化を企図したりいわゆる公労協の三月三十一日に予定された半日ストライキを抑圧するという政治的意図をもつて本件解雇処分を行つたことはない。また日置容正、中担忠に比較して原告多田、同斉藤に対する処分が重かつたのは、本件三・一六斗争の実態からして、右日置、中らは名目的、形式的指導者であつたにすぎず、実質上の指導者は同原告らであつたからである。さらに、一般的にいつても、日置、中らの上級機関の幹部が常に必ず下級機関の幹部よりも重い責任を負担しなければならないという理由もあり得ない。

第六、証拠関係〈省略〉

理由

第一、先ず原告組合の当事者適格について判断する。

本訴は被告公社と原告多田、同斉藤との間に雇傭契約上の法律関係のなお存続することの確認を求めるものであるから、右雇傭関係の当事者とはいえない原告組合に、現行法上当然に右雇傭関係について管理処分権があると認める根拠に乏しく、従つて原告組合が解雇されたその組合員である原告多田、同斉藤の利益を擁護するために自ら当事者として右雇傭関係の存在確認を訴求することは、原則として認めることはできない(昭和二六年(ク)第一一四号昭和二十七年四月二日最高裁判所大法廷決定、昭和二四年(オ)第二九五号昭和三十五年十月二十一日同裁判所第一小法廷判決参照)。

しかしながら、原告組合は、同組合自身の権利として、被告公社と原告多田、同斉藤の雇傭関係がなお存続することの確認を求めるにつき、確認の利益を有するものであると主張し、縷々その理由を述べるので、更にこの点について審按するに、先ず原告らは公労法の旧第四条第三項を根拠として、被告公社のなした原告多田、同斉藤に対する本件解雇処分が有効であるとすれば、同原告らが単に被告公社の職員たる地位を失うのみでなく、右条項を媒介として原告組合は、原告多田、同斉藤をその組合員および役員としてとどめることができず、もし同原告らを依然として組合員及び組合役員としての地位にとどめおくときは原告組合は公労法に適合しない所謂法外組合として、同法による救済を否定されるという重大な法律上の不利益を蒙るおそれがあると述べるが、同法第四条第三項は「公共企業体等労働関係法の一部を改正する法律」(昭和四十年五月十八日法律第六十八号、同法附則第一条、同年八月政令第二百七十三号により、昭和四十年八月十五日から施行)により、既に削除されているから、爾余の点について判断するまでもなく、原告らのこの点の主張は理由がない。

次に原告らは、原告組合の犠牲者扶助規程により、原告組合は原告多田、同斉藤に対し、扶助金を支給しなければならない義務があることを理由に確認の利益を有する旨主張するが、かような組合規約の存在により、原告組合の蒙る不利益は単なる経済上の不利益であつて、原告多田、同斉藤の雇傭関係上の地位を確認することとの間に法律的関連がある法律上の不利益ということはできない。

よつて原告組合の本訴請求は、爾余の点について判断をすすめるまでもなく、当事者適格を欠く不適法なものとして却下すべきである。

第二、よつて進んで本案について判断することとする。

一、被告公社が日本電信電話公社法(以下単に「公社法」と略称する)に基いて設立せられた公衆電気通信事業を営む公共企業体であり、原告組合が被告公社の職員で組織される法人たる労働組合であること、原告多田已年、同斉藤照和が昭和三十六年三月十六日当時被告公社の職員であつて且つ原告組合の組合員であつたこと、原告組合が昭和三十六年度春季斗争(以下「昭和三十六年度春斗」と略称する)の一環として、同年三月十六日全国五十九個所の電報電話局(以下「報話局」と略称する)等において、所謂三・一六斗争すなわち始業時から午前十時まで当該局所に勤務する全組合員参加の勤務時間内職場大会を開催したこと、被告公社四国電気通信局長水谷七代が、同月二十五日付で原告多田、同斉藤に対し、解雇の意思表示をしたこと、而して右解雇はいずれも右三・一六斗争を対象とし、その際拠点局所の一つであつた丸亀報話局においてとつた原告多田、同斉藤の行為が公共企業体等労働関係法(以下「公労法」と略称する)第十七条第一項に違反するとして、同法第十八条によりなされたものであることは、当事者間に争いのないところである。

二、原告組合の昭和三十六年度春斗と三・一六斗争の経緯

被告公社は、丸亀報話局における三・一六斗争の実施に際し、原告多田、同斉藤に公労法第十七条第一項違反の行為があつた旨抗弁するに対し原告多田、同斉藤はこれを争うので、先ず原告多田、同斉藤が、解雇せられる原因となつた右三・一六斗争の発生の経過について考えてみることとする。

(一)  原告組合の組織及び運営

先ずはじめに原告組合の組織とその運営について一瞥するに、証人橋本胥の証言及び同証言によつて真正に成立したものと認められる甲第一号証(原告組合の規約・諸規程集)、同第十五号証(原告組合の「長期運動方針」)によれば、

原告組合は、被告公社の従業員をもつて組織された全国単一組織の法人格を有する労働組合であつて、組合員の労働条件の改善、電気通信事業の民主化等の目的をもつて昭和二十五年に結成せられ、昭和三十六年三月十六日当時約十八万五千名の組合員を擁し、被告公社従業員のおよそ九割八分を吸収していたこと、その組織として、中央本部(東京都)、地方本部(被告公社各電気通信局所在地に設置、全国十ケ所)、支部(原則として各府県単位に設置)及び分会(原則として報話局、電報局、電話局等各事業所単位に設置)が置かれていること、原告組合の最高議決機関として「全国大会」(支部単位に五百名ごとに一名の割合で組合員の直接無記名投票によつて選出された代議員並びに役員、地方本部代表及び全国戦術委員をもつて構成し、毎年六月に中央執行委員長が招集する)、全国大会につぐ議決機関として「中央委員会」(支部単位に千五百名に一名を最低基準として規約に定める割合をもつて組合員の直接無記名投票により選出された中央委員並びに役員、地方本部代表及び全国戦術委員で構成され、毎年三回中央執行委員長が招集する。その議決は全国大会に対し責任を負う)が置かれ、また最高執行機関として、前記のように中央本部に「中央執行委員会」が設けられ、役員として中央執行委員長一名、副中央執行委員長一名、書記長一名、財政局長一名、中央執行委員二十六名、会計監査五名(以上いずれも全国大会における代議員の直接無記名投票によつて選出されるのを原則とする)を置き、議決機関の決議を執行し、緊急事項を処理し、その執行した業務の一切について議決機関に責任を負うこと、中央執行委員会の常設諮問機関として「全国戦術会議」が設置され、各地方本部ごとに一名ずつの全国戦術委員をもつて構成されること、

地方本部、支部及び分会の原告組合各級機関にもそれぞれの議決機関(地方大会及び地方委員会、支部大会及び支部委員会、分会大会または総会)並びに執行機関(地方執行委員会、支部執行委員会、分会執行委員会または職場委員会)が置かれるが、支部以上の各執行委員にはいずれも専従役員が配置されるのに対し、分会執行委員会は支部執行委員会の補助機関であるとされ、極く例外の場合を除いては専従役員は配置されていないこと、

また原告組合が斗争状態に入つた場合には中央執行委員会の議決により各執行委員会は斗争委員会となり、その指導にあたるものとされていたこと、而して中央執行委員会は、全国大会あるいは中央委員会の決定に基く業務執行のために、下級機関に対する指令指示権を有し、右指令、指示は原告組合の被告公社に対する要求獲得のための団体行動等を行う場合に組織的行動を命ずるために発出され、全組合員はこれに従う義務を有するものとされ、具体的には実力斗争戦術を採用するような場合に「指令」が出され、指令の実施にあたつての、より具体的な行動及び指令に定める以外の行動については「指示」が発出されること、なお指示のみは例外的に支部または地方執行委員会が、それぞれ地方本部また中央本部の承認の下に発出を許される場合のあること、なお右指令または指示の内容を敷衍し、あるいはその理由を説明する等のために「斗争連絡」の発出される場合もあること、

が認められる。

(二)  被告公社の長期合理化計画とこれに対する原告組合の反対斗争

そこで進んで、成立に争いのない甲第二号証、同第四号証乃至第六号証、同第十二号証、同十三号証、同第十四号証の一乃至九、同第二十号証、同第二十一号証、同第二十三号証、乙第四十六号証乃至第四十八号証、証人橋本胥の証言により真正に成立したものと認められる甲第十五号証、同第十七号証、同第十八号証、同第二十二号証、同第二十四号証、同第二十九号証、原告多田已年本人尋問の結果により真正に成立したと認められる甲第七十七号証、同第七十八号証、同第八十号証、同第八十一号証と証人橋本胥の証言を綜合すると次の事実が認められる。

1 電気通信事業はもと郵便事業等とともに旧逓信省の所管に属していたものであるが、昭和二十四年六月一日逓信省から分離独立して旧電気通信省が設置せられ、さらに昭和二十七年七月三十一日法律第二百五十号日本電信電話公社法(以下「公社法」と略称する)が成立し、同年八月一日その施行と同時に、公衆電気通信事業の合理的能率的な経営体制を確立し、公衆電気通信設備の整備拡充を促進すること等を目的として(同法第一条)、被告公社が設立せられた。被告公社は発足と同時に第二次世界大戦によつて大きな被害を受けた公衆電気通信設備を復旧し、加入電話の架設と市外通話並びに電報業務の改善に対する一般の強い要望に応ずるために、電信電話拡充第一次五ケ年計画を立て、予算総額二千七百七十二億円をもつて昭和二十八年度から昭和三十二年度にかけてこれを実施し、その結果右計画期間中に約百九万の加入電話、四万五千の公衆電話を増設し、これによつて昭和三十二年度末における加入電話数は昭和二十七年度末の一・七倍に相当する二百六十四万となり、公衆電話も三倍強に相当する六万六千となつた。また市外回線粁数も公衆回線は五ケ年間に二百二十万粁増設して昭和二十七年度末の約三倍に相当する三百三十万粁となり、東京、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸、広島、福岡、仙台の諸都市を結ぶ市外通話が即時通話となり、電報業務についても著しい改善がみられ、また電話局の建設も百七十二局にのぼり、自動改式が九十六局、共電改式が三十五局、分局開始は四十局であつた。

2 ところで右のような大規模な第一次五ケ年計画の開始と進行に伴つて、職員の配置転換、職種転換(以下単に「配転」又は「職転」と略称する)、定員総改訂の名の下における定員削減問題、高年令者に対する退職勧奨、臨時雇傭者(所謂パート・タイマー)の導入、小局における女子交換手らの共通服務(規模の小さい局において、電話交換手として採用した職員を電報業務や庶務関係の仕事にも従事させること)、保養所等厚生関係の職員の共済組合職員への切替え等の問題が起り、原告組合は被告公社の合理化計画は、職員の労働条件を低下せしめ、労働を強化するものであるとの考えを次第に強め、早くも昭和二十八年六月二十二日から四日間にわたつて福井市において開催された原告組合第六回全国大会において要員不足による労働強化や設備の合理化による労働不安に対処し、原告組合自身の手による定員算出要求、被告公社の労働基準法違反事実の摘発、解雇反対、臨時作業員の定員化等の目標をかかげて斗うことを決定し、さらに昭和二十九年に入ると、被告公社の退職勧奨に反対して同年三月十日同年度春季斗争の一環として被告公社に対し退職勧奨反対要求書を提出し、同月十八日から同月二十日まで二割休暇斗争等の実力行使を行い、他方公共企業体等労働委員会(以下「公労委」と略称する)に対し同月二十五日右問題についての調停を申請し、公労委の斡旋等を契機に同年四月十四日被告公社は退職勧奨を中止し、また同年六月二十六日から五日間にわたつて北海道虻田町で開催された第七回全国大会においても、首切り反対、要員確保、強制配転反対等の目標をかかげ、職場斗争を中核として漸次被告公社の合理化計画に対する反対斗争を強めて行つた。

3 而して第一次合理化五ケ年計画の始つた初期の段階においては、原告組合としても必ずしも右計画に対する明確な意識統一と反対の方針を打ち出していたわけではなかつたが、昭和三十年一月二十二日から山形県村山市において開催された原告組合第八回中央委員会において、被告公社の合理化計画は原告組合員にとつては労働条件の低下と労働強化を招致する以外の何ものでもないとの考え方の上に立つて、はじめて合理化反対の運動方針を確立し、合理化に伴う労働不安を除くためには具体的には先ず労働協約の締結を斗いとることであるとの認識の下に綜合労働協約締結斗争を押し進めること等を決定し、ここに漸く原告組合の合理化反対斗争なるものの基本的態度が明確にされた。右運動方針は同年六月二十七日から七月一日まで鳥取市において開催された第八回全国大会においても確認決定され、かかる合理化反対の基本方針の下に、原告組合は同年の秋季年末斗争において被告公社に対し、所謂五大労働協約(勤務時間及び週休日に関する協約、年末年始の休暇に関する協約、年次有給休暇に関する協約、特別休暇に関する協約、休職の発令時期及び休職者の給与等に関する協約)の締結を要求し、同年十月二十四日から同月二十六日まで二割年次休暇斗争を行う等して、結局同年十二月一日かねての懸案であつた職員の配置転換に関する協約とともに右五大労働協約が締結されるに至り、特に配転等については右協約の締結の結果、本人の適性、家庭の事情、本人の希望、住宅事情、通勤時間等を勘案して、原則として同一職能間で行うこととし、不利益な取扱をしないことが約束せられた。

4 ところが第一次合理化五ケ年計画がさらに進行するにつれて、昭和三十一年十二月には、翌昭和三十二年九月に予定された北九州地区の門司、八幡、折尾の三局の自動化に伴い、被告公社が三百一名にのぼる職員の配転、百二十名の臨時作業員の解雇を提示してくるという事態が起り、原告組合は五大労働協約の締結、完全実施等をもつてしては到底合理化計画に伴う配転等の労働不安から組合員を守ることはできないと判断するに至り、翌昭和三十二年七月二十日から同月二十五日まで新潟市において開催された第十回全国大会においては、右のような認識の上に立つて、今後はむしろ積極的に労働条件の向上を目指して、労働時間の短縮、要員の確保のための斗争を進め、さらには昭和三十三年度から実施が予定されていた第二次合理化五ケ年計画に対処して、計画内容についての事前協議制を獲得すること、また被告公社が要員の不足を充足するために多数雇傭している臨時作業員の不安定な身分状態を除き、あわせて慢性化している要員の不足をも解消するために、これら臨時雇傭者の社員化をはかること等の基本方針を確認した。

5 原告組合は右方針に従つて運動をすすめ、同年十一月三十一日には被告公社との間に、第一に「合理化の進展に伴なう労働条件等に関する基本的了解事項」を締結し、企業合理化の進展に伴い、労働条件は向上させること、企業合理化の進展に伴い、諸般の措置を行なうことによつて、職員等の「首切り」のごとき事態を到来させないこと、労働条件特に要員に関係ある設備計画等については、計画を変更できる段階で組合に提示し協議すること等を確認し、第二に「計画の協議に関する覚書」(事前協議制に関する覚書である)、第三に「準職員制度に関する協約」を締結した。

6 第一次五ケ年計画が昭和三十二年三月末をもつて一応目標以上の成果をあげて達成されたあと、被告公社は引き続き第二次五ケ年計画を立て、昭和三十三年度から昭和三十七年度にかけて、総額四千百億円の予算をもつて実施することとし、年々増加する加入電話に対する需要(昭和三十二年度末の積滞数は五十八万であつた)に答えて加入電話を増設し、また即時通話区間を大幅に増加するための市外回線の増設、電報中継機械化の増進、テレビジヨン中継網の整備等の目標の達成に努力することとなつたが、右計画はその後昭和三十四年に改訂拡大されて、その資金規模は約金六千二百億円の多額にのぼつた。原告組合は、第一次合理化計画にもまさる右のような極めて大規模な第二次合理化計画によつて、電話交換方式が自動化し、即時通話区域が拡大され、加入電信(被告公社の電報局等を経ないで、一般の民間事業が、例えば本店支店間で直接電信し得る方式)の導入増加、電報中継機械化等が一層急速度に増大し、新技術が導入されることは、必然的に電報電話業務に要する人員数を減少せしめることが明らかであり、既に第一次合理化計画段階においても大きな問題となつた職員の配転、職転や首切りへの不安等が一層増大し深刻化するものと予想し、これに対するより積極的な斗争を行なわなければならないとの観点に立ち、昭和三十三年七月三十日から同年八月四日まで大分市で開催された第十一回全国大会、同年九月二十五日から同月二十九日まで名古屋市において開催された続開第十一回全国大会においては、従来から次第に強まつていた被告公社に対する合理化反対斗争を一層強化し、単に労働条件の低下を防ぐという消極的立場を克服して、より積極的に労働条件を引き上げる(賃金引上げ、労働時間短縮等)ための斗争を推進し、ことにその中心目標としての労働時間の短縮をはかるためには要員確保が必要であり、そのためには被告公社に対し、より具体的に標準作業量と定員算出基準についての協議を要求すること、かかる労働条件を引き上げる斗いを全国的な規模での統一斗争とするためには、先ずそれぞれの職場において、例えば労働協約の中で労使の力関係からその解釈をめぐつてまだ完全実施が行われていない労働条件等について、到達目標を設定し、その獲得のために徹底的な職場斗争を行い、組合員の意識を高め、その積重ねの上に立つて労働条件の引上げを斗いとること等を確認し、同年十月十八日原告組合中央執行委員会は指示第三号を発出して右の意味における所謂到達斗争を指導した。その結果津電報局においては同年十一月激しい職場斗争が行われ三名の職員が解雇される等の事態を生じた。

7 昭和三十四年七月二十日から同月二十四日まで富山市において開催された第十二回全国大会においても、原告組合は従来の反合理化斗争の反省の上に立つて将来の長期的運動方針を確立するとともに、具体的な目標として、雇傭量の増大を伴う大幅な労働時間の短縮を中心におき、その斗争方式として再び職場における到達斗争を掲げた。これら原告組合の斗争方針に従つて行われた同年度秋期年末斗争において、広島電報局およびこれに関連して岡山電報局に起つた一連の電報中継機械化反対斗争、常磐、磐城、松山各電話局における自動改式反対斗争等の激しい地方合理化反対斗争が実施され、これに対し被告公社は、斗争に参加した組合員に対し、停職、減給、戒告、訓告等の懲戒処分をもつてのぞみ、原告組合の合理化反対斗争は、被告公社の長期合理化計画が国家社会の要請と国民全体の切実な要望に基づくものであり、被告公社が公共企業体という一つの国家機関として国民全体の信託を受けて、国民のために奉仕するものであることを無視した考え方に基くものであり、ことに被告公社が労働協約を完全に履行し、職員の労働条件も一般の水準に比較して決して低くないことに眼をおおい、実態を無視した観念論に立つて斗争を進めているとして、これに対処する立場をとつた。

8 本件三・一六斗争の前年の昭和三十五年度の春季斗争においては、原告組合は賃金要求等を中心目標として、全国一斉早朝(一時間)時間内職場大会を実施し、同年四月十三日被告公社との間に「第二次五ケ年計画の実施にあたつての基本的了解事項」の締結をもつて妥結した。右基本的了解事項は、第二次五ケ年計画の実施にあたつて職員の労働条件の改善についての被告公社の方針(賃金水準向上への努力、勤務時間短縮への漸進的実現の努力等)を定めたものであつた。ところで右春斗の妥結にあたつて、被告公社から、右基本的了解事項の前文に「労働組合は事業の公共性を理解し……」という文言を付加すること、「団体交渉の方式に関する協定」の第八条第二項として「各交渉委員会の団交で解決しない事項については……逐次上位の交渉委員会に移して解決に努めなければならない」を、同条第三項として「職場交渉委員会においては、権限外事項および管理運営事項について現場機関における団体交渉が混乱することを防ぐものとする」をそれぞれ加えること、「特別休暇に関する協約」第四条として「生理休暇等この協約で認められた特別休暇は濫用しないものとする」を加えることが提案され、それぞれ協約化されたのであるが、これに対し同月二十一日、二十二日の二日間にわたつて行われた第二十三回中央委員会において、右各条項を加えることを許したことは組合が合理化計画への協力義務を約束したのではないか、職場斗争を封鎖するものではないか、到達斗争を不可能にするのではないか、権利制度を招くのではないか等の批判がなされ、所謂四条件問題として原告組合内部において論議の的となつた。

9 右のような情勢のうちに原告組合は昭和三十五年七月七日から同月十一日まで大津市において第十三回全国大会を開催し、向う一ケ年間(昭和三十六年六月まで)の運動方針を討議採択したが、それは今後とも強力に推進されてゆくであろう被告公社の合理化政策に対する反対斗争を強化し、そのためには被告公社の長期合理化計画の内容とその目的が労働者の搾取の強化にあることを暴露し、組合員一人一人の斗う力を強め、職場における労働条件を守り且つ向上させるための抵抗の底辺としてのその力を、労働時間短縮、要員獲得を中心とする労働条件の積極的引上げ、これと併行する大幅な賃金引上げ斗争に集約するというものであつて、その斗争方法については全国斗争をとりあげ、被告公社の合理化政策に対しては原告組合の全組織をあげて斗い、従来行われた地方的合理化反対斗争は中央本部の指導の下に出来るだけ斗争時期と体制を統一して斗うようにすること、前記の所謂四条件は、原告組合の反合理化斗争を骨抜きにするための思想攻撃の楔として被告公社の打ち出したものであるとの認識の上に立つてこれを破棄する方向をとつて斗うこと等を確認した。そして昭和三十六年度春季斗争においては同年二月頃から五月頃までの間に全国統一斗争を実施し、従来の斗争方式の欠陥を十分反省した上で、原告組合の要求貫徹のためには、波状的な短時間の実力行使(勤務時間内職場大会、年次休暇斗争等)を実施して被告公社を追いこむという方式のみに頼らず、幅の広い大衆行動に十分の工夫をこらし、また画一斗争のみではなく、拠点斗争をも含めて、戦術会議で十分検討して決めること等を決定した。

10 ところで被告公社は、前記第二次五ケ年計画により電信電話サービスは相当大幅に向上したが、加入電話の新規需要が予測をはるかに上廻る数に昇り、右計画の終了する昭和三十七年度末においても、加入電話申込積滞数は、むしろ昭和三十二年度末の五十八万の一・八倍にあたる約百六万に達することが予想され、また国民経済の異常なほどの伸展によつて即時通話化に対する国民の要望が極めてし烈であること等から、昭和四十七年度には加入電話は申込後直ちに応ずることができるようにし、また市外通話は殆ど即時通話とすることを目標とする長期計画の一環として、第二次五ケ年計画に引きつづき、昭和三十八年度を初年度とする第三次五ケ年計画を樹立することを決めたが、その大綱は既に昭和三十五年頃から次第に明らかとなつており、資金総額金一兆七千五百億円という極めて大規模なものであつた。原告組合としてはかかる尨大な合理化計画の遂行によつて職員三名のうち一名の割合で配転、職転が行われる等さらに労働条件は悪化するものと予想し、そのため一般組合員の間に拡まつている一層の労働不安を解消するためにも、合理化計画に対する諸要求を積極的に実現することが緊急且つ重要な課題であるとの立場を強化してゆくことになつた。

以上のような合理化反対斗争の過程の一環として原告組合は昭和三十六年度春斗を迎えることとなつた。

(三)  昭和三十六年度春斗と中央団体交渉の経緯

1 そこで成立に争いのない甲第二十五号証乃至第二十七号証、乙第九号証、同第四十三号証と証人橋本胥の証言を綜合すると、次のような事実を認めることができる。(以下単に月日のみの記載のあるのはすべて昭和三十六年中を意味する。)

(1) 原告組合は二月十四日から同月十七日までの四日間にわたり、東京都千代田区所在の全電通労働会館において同年度春斗の具体的な進め方を決めるために第二十六回中央委員会を開催し、前記第十三回全国大会以後の諸情勢や各種斗争の成果等を検討した上、同年度春斗の中心目標として、被告公社に対し不当処分(津電報局における原告組合員三名の解雇)の撤回、労働時間の短縮、大幅賃金引上げ、要員協定の締結等の諸要求を提出して斗い、とくに賃金引上げと労働時間の短縮とを合理化反対斗争の中心におき、全国一斉の統一斗争のみではなく、拠点斗争方式をも採用し、斗争に柔軟性と機動性をもたせること、採用すべき実力斗争戦術の具体的内容等については、職場討議を集約した上で全国戦術会議で十分検討し、最終的には中央斗争委員会が決定すること等を確認し、右職場討議において検討されるべき実力斗争戦術として、勤務時間内職場大会の実施、時間外労働拒否斗争、年次休暇斗争等をあげ、ことに拠点斗争方式については、その都度の情勢に応じて効果的な部門、職場を選定して中央斗争委員会の責任において実施する(具体的には「共斗」の大動員ピケ等も考慮する)こと等の要綱を提示した。

(2) 右第二十六回中央委員会終了後直ちに中央執行委員会が開催せられ、被告公社に対する要求事項について最終的な意識統一が行われた上、同月二十日午後三時原告組合は被告公社に対し、

〈1〉 津電報局における三名の不当解雇をはじめとする一切の不当処分を撤回すること

〈2〉 昭和三十六年一月以降、組合員一人平均金五千六百二十円の賃金引上げを次の方法により実施すること

イ、基本給に一定額金五千円をつみあげること

ロ、三十五才以上の者に対し、金二万三千円の最低賃金を確保すること

ハ、各基本給の等級を撤廃すること

〈3〉 職員の勤務時間はすべて一週拘束四十二時間三十分とし、週休二日制を実施すること

〈4〉 要員の算出基準および配置に関する協約(乙第四十三号証参照)を締結すること

の四項目を中心要求とし、その他合計十五項目に及ぶ要求を文書をもつて提出するとともに、翌同月二十一日中央執行委員会を中央斗争委員会にきりかえた上、春斗を斗い抜く体制を一層強化するために、中央斗争委員長片平久雄名義をもつて「指令第七号」(乙第九号証参照)を発出して原告組合各級機関(地方本部、支部、分会を指称する。以下同様である)に対し、同月二十三日正午を期して全国一斉に時間外職場大会を開催するとともに、斗争委員会へきりかえること等を指示し、あわせて「指令第七号発出に伴う連絡」(甲第二十六号証)をもつて、公共企業体労働組合協議会(以下単に「公労協」と称する)傘下の各労働組合の動きや、原告組合中央本部の態度等を各級機関委員長に連絡した。

(3) 一方公労協は、従来傘下各組合(公労法の適用を受ける公共企業体等に関連する労働組合であつて、原告組合の外に、国鉄労働組合、全逓信労働組合、国鉄動力車労働組合、全専売労働組合、全林野労働組合、全印刷局労働組合、全造幣労働組合、アルコール専売労働組合がある)毎に、公社等を相手どつて賃金引上げ交渉を行つてきたが、公共企業体当局は国の予算で給与総額をしばられているために、賃上げ要求に対し、自主的を賃上げ額を示すことがなく、常に零回答を示すのが通例であつたため、問題は政府にあるとの見地から、昭和三十六年度春斗においてはじめて政府に対し共同して賃上げを要求することを決め、同月二十五日、公労協共斗委員会の名義をもつて内閣総理大臣(当時池田勇人)に対し、大幅に賃金を引上げること、国鉄運賃等の公共料金の値上げに反対する等の要求項目及びその理由を掲げた統一要求書(甲第二十七号証)を提出し、とくに賃金引上げについては、(1)基本給五千円以上を引上げること、(2)十八才最低基本給一万二千円以上とすること、(3)各人の配分は賃金源資の三分の二以上を定額とすること、(4)三公社五現業の臨時雇傭員を本採用すること、当面の措置として最低賃金を日額五百円以上とすることを要求して、政府との交渉をはじめた。

2 而して原告組合の右諸要求に対し、被告公社が同月二十八日文書をもつて回答したことは当事者間に争いのないところ、成立に争いのない甲第二十八号証(被告公社の回答書)によれば、被告公社は原告組合の前記中心要求四項目については、(1)津電報局における解雇については、被告公社としては不当な処分を行つたものではないから、撤回する意思はないこと、(2)賃金の改訂については、その必要性は認めるが、金額、実施時期等については原告組合の要求には応じられない、被告公社としては来年度以降概ね千円程度の引上げは妥当であると考えているが、この場合においても、特に原告組合の要求する一律一定額配分方式については絶対に応ずることはできないこと等、(3)職員の勤務時間の短縮については、被告公社の現行の一週拘束四十七乃至四十六時間三十分は、他企業に比較して好条件であり、実労働時間についても、民間大企業の平均を相当下廻つていること等を理由として、原告組合の要求に応じ難いこと、(4)要員の算出基準及び配置人員数の決定は、管理運営事項であつて、団体交渉の対象とはなり得ないものであること、従つて原告組合の主張するような内容の協約(所謂要員協定。乙第四十三号証)を締結することはできないこと等を回答した外、その他の要求についても、概ねこれを拒否する旨の回答をなしたことが認められる。

3 而して証人橋本胥の証言により真正に成立したものと認められる甲第二十九号証、同第三十号証乃至第三十二号証、成立に争いのない同第三十四号証、乙第十号証、同第四十二号証と証人日置容正、同橋本胥、同及川一夫の各証言によると、さらに次の事実が認められる。

(1) 原告組合中央本部は、被告公社の前記回答は、殆ど原告組合の諸要求を拒絶した極めて不誠意なものであるとして、右回答書の出された同年二月二十八日直ちに指令第八号(乙第十号証参照)を発出して、被告公社の猛省を促すとの名目の下に、同年三月二日から三日間全国一斉時間外労働拒否斗争を行うこと、また、同月四日正午を期して全国一斉時間外職場大会を開催すること等を原告組合各級機関に指令したこと、同年三月一日から被告公社本社団体交渉室において、原告組合の春斗要求をめぐつて本格的な中央団体交渉が開始せられ、その後同月二日、四日、六日、七日、八日、九日、十日、十三日と殆ど連日にわたつて団体交渉を続行し、主として原告組合の前記の中心要求四項目、とりわけ賃金引上げ問題をめぐつて論議が戦わされたが、基本給に一律一定額金五千円のつみあげ方式等を要求する原告組合に対し、被告公社は千円程度の引上げを主張して譲らず、しかもその引上げ額の根拠について明確な答弁をなさなかつたことから交渉は紛糾し、その他の諸要求についても交渉は難航した。

(2) その間原告組合中央本部は三月五日第四十二回全国戦術会議を開いて第二十六回中央委員会において決定確認された事項に基いて、さらに具体的に斗争戦術を検討し、意識統一を行つた結果、三月十六日から十八日までの間に拠点局所(別途指定する機関)において勤務時間内職場大会を実施すること、実施時期は中央指示責任者(石井清一書記長、金子哲夫組織部長)の判断により決定すること、実施時間は始業時から午前十時までとすること、職場大会は全員参加とし、所謂保安要員は残留させないが被告公社側が必要と判断したときは話合いの上、氏名を明らかにして組合側へ通知すればこれを許容してよいこと、局舎出入口にはピケを張ること、拠点局所の数とどの程度の職場を対象として指定するかについては全国的に統一すること、而して右実力行使の実施にあたつては中央斗争委員会から各地方本部へ一名宛の中央斗争委員を派遣し、一切の責任と権限をもつて具体的な指導を行わせるという形をとり、拠点局所の選定も右現地派遣の中央斗争委員の判断に委ねること、さらに各地方本部から各県支部へ地方斗争委員一名宛を派遣して、各拠点局所における直接の指導を行わせること等を決定した。

(3) ところで中央斗争委員会は従来からの被告公社との団体交渉の経験からして、さらに実力行使を構えなければ原告組合の諸要求を実現することはできないとの判断に立つて、三月十日被告公社主張のような指令第九号(甲第三十四号証)を発出して別途指定する機関(所謂拠点局所)は三月十三日以降いかなる実力行使も実施し得る態勢をすみやかに確立すること等を指令し、同時に「指令第九号発出に伴う連絡」(甲第三十二号証)を発出して各級機関委員長に対し、公労協傘下の各組合の統一要求(前顕甲第二十七号証)に対する政府、自由民主党の動き、中央団体交渉の経過等の中央情勢について報告すると共に、指令第九号の具体的実施方法について指示し、ことに同指令第二項の拠点局所における実力行使については、各地方本部毎に一切の責任と権限をもつ中央斗争委員を一名宛派遣して具体的な指示を行わせる旨を連絡し、四国地方本部関係については訴外日置容正を現地派遣中央斗争委員として指名し、右日置容正は同日夜松山市二番丁所在の原告組合四国地方本部に到着した。

(4) 而して同月十三日午後二時二十分から賃金引上げ問題について中央団体交渉が行われたのであるが、被告公社としては千円以上の引上げには全く応じられないとして、遂に同日午後三時三十分頃賃上げ交渉は決裂し、同日被告公社は公共企業体等労働委員会に対し調停の申請をした。

(5) 一方同日午前十一時から行われた公労協の政府に対する統一交渉において、政府は、(1)公労委の判断を求めようとする公社当局の措置を政府が撤回させることは妥当ではない、(2)公社当局の提示した千円程度を増額させることはできない、(3)仲裁裁定をまつて解決をはかりたい旨を主張したため、同日午後三時二十分交渉は決裂し、そのため公労協共斗委員会は、来る三月三十一日半日ストライキを断行する旨を宣言したのである。

4 さらに前顕甲第三十一号証、乙第四十二号証、成立に争いのない甲第三十五号証、同第六十五号証、同第六十六号証、証人橋本胥の証言により真正に成立したものと認められる同第三十三号証、同第三十六号証、同第三十七号証、証人及川一夫の証言により真正に成立したものと認められる同第百十一号証、証人土屋勇治の証言により真正に成立したものと認められる乙第五号証と証人土屋勇治、同大塚裕司、同橋本胥、同及川一夫の各証言を綜合すると、次の事実が認められる。

(1) 原告組合中央本部は前記認定のとおり、賃金引上げに関する中央団体交渉が打切られた後、直ちに緊急中央斗争委員会を開催して情勢と今後の斗争方針とを検討した結果、被告公社の態度は極めて不誠意であつて、かかる被告公社の態度よりして、残された三つの中心要求、すなわち労働時間短縮、不当処分撤回、要員協定の締結の三問題の解決のためには実力行使を行わざるを得ないこと、賃金引上げ問題については公労委の調停手続に付されたが、これについては公労協傘下各組合の統一斗争として斗つてゆくとしても、右三問題は原告組合独自の所謂企業内問題として、実力行使を実施して問題を前進させる以外に方法はないとの結論に達し、同月十四日午前十一時頃遂に被告公社主張のような内容の指令第十号(甲第三十五号証)を出し、あわせて同日斗争連絡第七十八号(甲第百十一号証)をもつて、右指令第十号第一項の「別途指定する機関」(拠点局所)として、原則として各支部毎に三局所(香川支部関係については高松電報局、丸亀、観音寺各報話局)を指定し、「最終的には以上の局所のうち現地派遣中斗の指示によりさらにしぼつて実施するが、当該局所においては当日出勤者の全員が始業時から十時まで職場大会に参加することとし、具体的な実施については現地派遣中斗の指示によること。」等を連絡した。

(2) 同日午後三時三十五分より再び中央団体交渉が開始せられたが、被告公社はその席上総裁大橋八郎名義をもつて原告組合中央執行委員長片平久雄を名宛人とする警告書(電労第五四五号)を提出し、現に団体交渉を継続中であるにも拘らず指令第十号をもつて勤務時間内職場大会を開催することは誠に遺憾であり、かかる公労法等に違反する行為は中止すること、万一これが実施された場合には参加した者に対しては戒告以上、これを指導した者は解雇を含む厳重な処分を行う旨を警告して原告組合の自重を促した。

(3) 翌同月十五日午後四時三十分頃より所謂要員問題を中心として再び中央団体交渉が行われたが、被告公社側が要員問題は公労法第八条但書にいう所謂管理運営事項であるから団体交渉の対象とはならないとの立場を堅持して、要員協定の締結に関する団体交渉に応ずることはできないと主張したのに対し、原告組合側は、被告公社も社会的には要員問題が労働条件に関連する問題であることを認めているのであつて、被告公社が公労法を一方的に解釈して要員の問題を法律的には管理運営事項であるとして団体交渉に応じないのは不当であること、労働の強度は要員数によつて左右されるのであるから、要員問題は労働条件に関する重要問題であること、等を主張して団体交渉事項であるとして譲らず両者対立して激論となつたが、同日午後六時頃中央斗争委員長である片平久雄から、当日出席していた被告公社副総裁横田信夫に対し、一度休憩して問題を検討して欲しい旨の提案を行い、被告公社側もほぼこれを了承したのであるが、その際原告組合側交渉委員として出席していた訴外及川一夫調査交渉部長が、被告公社側は何が管理運営事項であるかという点については意見の対立があるが、先ずこれを団体交渉の席上で論議することは差支えないこと、要員数が必ずしも十分でない所もあること、要員の配置数によつて労働条件が低下もすれば向上もすること等は確認してきているのであるから、これらを前提として要員問題について検討して貰いたい旨の発言をしたところ、被告公社側(主として副総裁)から休憩について条件をつけることは納得できない旨が述べられ、これに対し右及川一夫からすでに確認された前記諸点を前提として問題を検討するのは当然のことであり、これを拒否するのであれば従来の被告公社の立場と前後相矛盾することとなり、かかる被告公社の態度はいんちきであると主張したことから紛糾し、被告公社側がこれ以上は団体交渉はできないとして席を立つたため同日午後六時三十分中央団体交渉は決裂した。

(4) これより先原告組合中央斗争委員会は右中央団体交渉に入る前同日午後四時三十分斗争連絡第八十一号(甲第三十三号証)を発出して、翌三月十六日実施予定の最終拠点局所として、全国五十九拠点を指示(香川支部関係では丸亀報話局)した上、中央斗争委員会としては中央団体交渉の決裂した時点において組織外に発表する予定であるが、各地方の状況によつては、現地派遣中央斗争委員の判断により適宜対処すべきことを連絡していたのであるが、前記認定のとおり、同日午後六時三十分頃右及川一夫の発言を契機に中央団体交渉決裂後、直ちに緊急中央斗争委員会を開催して情勢を再検討した結果、被告公社は極めて不誠意であり事態を解決する意思は全くないと考えざるを得ないこと、むしろ被告公社の中央団体交渉における態度は挑発行為であること、従つて三月十六日には実力行使に突入せざるを得ないとの結論に達し、同日午後十時一分斗争連絡第八十二号(甲第三十六号証)をもつて中央斗争委員会は「既定方針どおり断乎斗い抜く」方針であるから、突入のために万全を期するよう連絡した。

(5) ところでその後同日午後十一時頃から被告公社本社労務課長遠藤正介と原告組合中央本部調査交渉部長及川一夫との間に中央団体交渉の再開をめぐつて接渉が行われた結果、翌三月十六日午前五時二十分から再び中央団体交渉が開かれ、冒頭被告公社副総裁横田信夫から感情にはしつたことは遺憾であつた旨陳謝の意が表明せられ、以後勤務時間に関する問題、計画の協議に関する覚書(成立に争いのない乙第二十七号証)の一部改正及び要員問題等について団体交渉が行われたが、とくに要員協定の締結、配置転換の協議決定等の点について被告公社側の具体的提案を求める原告組合に対し、要員協定の締結はあくまで拒否しその他の点についても、何ら具体的な提案を行わず、ただ誠意をもつて実情に即した解決をはかるよう交渉を継続したいとする被告公社との間で意見が対立して妥結に至らず、遂に同日午前八時二十八分、被告公社側は、すでに実力行使に入つた現在、これ以上団体交渉を継続することはできないとして団体交渉を打切る旨を宣告して物別れとなり、原告組合は予定どおり拠点局所において始業時から午前十時までの勤務時間内職場大会の開催を強行するに至つたのである。

5 ところで前顕甲第三十五号証、同第百十一号証と成立に争いのない甲第六号証、乙第三十三号証と証人大塚裕司、同土屋勇治、同橋本胥、同日置容正の各証言と原告多田已年本人尋問の結果によると、原告組合はその結成当初(昭和二十五年九月電気通信省当時)から、昭和三十一年頃までは諸要求実現のために二割年次休暇斗争、完全定時退庁の実施、坐り込み斗争、時間外職場大会の開催、出張拒否斗争等の実力行使戦術を採用実施してきていたものであるが、昭和三十二年に入つてはじめて仲裁裁定の完全実施を求めて「時間内職場大会」を開催する実力斗争戦術をとり始め、それ以後一時間乃至二時間にわたる時間内職場大会の実施を主要な実力行使の手段として採用してきたこと、而して時間内職場大会の実施にあたつては従来原告組合は当日出勤の組合員中二割乃至三割程度の人員は保留要員として職場に残留せしめ勤務に服さしめていたのであるが、昭和三十六年度春斗における時間内職場大会(三・一六斗争)は、保留要員を一名も残さず、全組合員を参加せしめた点で、従来のそれとは異るほか、拠点局所として指定された報話局等は、主として中規模の局であつてしかも電話交換業務が自動交換機ではなく、電話交換手によつて行われるところの所謂手動交換方式をとつていた局に限定せられていたこと、拠点局所の決定については、陽動作戦(成立に争いのない乙第三十五号証の三参照)などと称して、はじめ各支部毎に原則として三局を指定し、そのうちの一局のみを現地派遣中央斗争委員の指示により最終拠点局所として三・一六斗争直前の三月十五日に組織外に発表するという方式をとつたことにおいて、きわだつた特色を有するものであつたことが認められる。

三、丸亀報話局における三・一六斗争体制確立の過程

原告組合香川支部(以下単に「支部」とあるは同支部を指称する)に関しては、三・一六斗争の最終拠点局所として丸亀報話局が指定せられたことは当事者間に争いがないところ、以下同報話局において三・一六斗争が実施されるに至るまでの経過及びその間における原告多田、同斉藤らの行為についてみるのに、

(一)  前記第二、二、(一)認定の事実と前顕甲第二十四号証及び証人猪谷敏昭、同須藤宏三の各証言によると、原告組合香川支部は被告公社香川電気通信部(以下単に「通信部」とあるは同通信部を指称する)に対応するものであつて、同通信部管内、すなわち香川県一円の各分会の上部機関としてこれを指導統制し、昭和三十六年三月当時の役員としては、支部執行委員長原告多田已年(専従役員)、支部執行副委員長訴外高井弘二、支部書記長訴外猪谷敏昭(専従役員)、その他執行委員五名(うち一名は専従役員)が置かれていたこと、また丸亀分会(以下単に「分会」とあるときは、同分会を指称する)は、被告公社丸亀報話局に勤務する職員をもつて組織され、昭和三十六年三月当時百六十七名の組合員を擁し、役員としては分会長に原告斉藤照和、副分会長に訴外須藤宏三、書記長に訴外浜本繁二を配し、その他に執行委員六名が置かれていたこと。

而して原告組合第十三回全国大会において、組織強化のために支部と分会の性格並びに任務が明確にせられ、支部は一県一支部制を原則とし、分会を直接指導統制する機関とされ、分会毎の組合員の意識や組合活動の断層、労働条件の不均衡を無くし、支部内全体の組織、活動を強化し、一分会の問題や特定の職場における斗争についても支部全体の問題として共通の斗争を組成していくように指導する所謂オルガナイザーとしての任務をもつものであること、分会は支部の指導統制の面から考慮して一事業所一分会を原則として支部の議決機関によつて決定されるものであるが、支部に直結し、職場委員会(およそ組合員十名に一名の割合で選出された職場委員をもつて構成するものであり、第十回全国大会において設置が決定されたもの)を中心として職場活動を活発に展開するものとし、なお支部の補助機関としての執行権、議決権をもつた分会執行委員会(斗争時は分会斗争委員会)および分会大会、分会委員会を置き、分会長が分会組織を代表し且つ総括するものであることが確認されたこと

が認められる。

(三月十一日)

(二)  ところで原告組合中央斗争委員会が、昭和三十六年度春斗において、三月十日指令第九号(前顕甲第三十四号証)を発出して各級機関に対し、三月十三日以降いかなる実力行使をも実施し得るよう態勢を確立することを命じたことは前認定のとおりであるところ、証人猪谷敏昭、同須藤宏三、同日置容正、同中担忠の各証言と原告多田已年、同斉藤照和各本人尋問の結果を綜合すると、

1 原告組合香川支部は、三月十日指令第九号発出の連絡をうけるや、直ちにこれを各分会へ電話連絡するとともに、支部斗争委員らが手わけをして、その指導統制下にある香川県下の各分会に対する所謂オルグ活動を行うこととし、同月十一日には訴外猪谷敏昭支部書記長の要請により、午後一時頃から丸亀報話局構内線路詰所において丸亀分会斗争委員会が開催せられ、これに右猪谷敏昭支部書記長と訴外大成繁支部斗争委員がオルグとして参加し、分会長である原告斉藤や訴外須藤宏三副分会長、訴外浜本繁二分会書記長ら所謂分会三役及び分会斗争委員らに対し、右猪谷書記長が指令第九号の発出せられた事情、春斗に於ける原告組合の実力行使の大綱、中央斗争委員の現地派遣の問題等について説明し、ことに実力行使として保安要員を零とする時間内職場大会の開催が予想されるので、万一丸亀分会が拠点局所として指定されるような場合に備えて、分会としてもこれに応じて組合員が一致団結して斗うことのできる職場の斗争体制を確立するために努力して欲しいこと、あわせて右のような情勢について分会組合員への周知徹底をはかるための機会を設けること等を要請したこと、それに応じて丸亀分会としては同月十三日に職場委員会を、同月十四日には丸亀報話局に隣接する寺院を借りて、丸亀分会としての春斗総決起大会(時間外職場大会)を開催することを決定したこと、而して右決起大会の開催の周知方と春斗にあたつて分会斗争委員会への協力方を要請するために、分会斗争連絡第二十号(原告斉藤名義)を発出することとし、前記浜本繁二分会書記長が起案し、分会役員や猪谷支部書記長らの検討と承認の下にこれを掲示することとしたこと、

2 ところで「指令第九号発出に伴う連絡」(前顕甲第三十二号証)により、訴外日置容正が現地派遣中央斗争委員として四国地方本部に派遣されることが明らかにされ、三月十日松山市所在の四国地方本部に到着したことは前認定のとおりであるが、右日置容正の要請により、同月十一日開催された第三十七回四国地方斗争委員会において右日置容正から、第四十二回全国戦術会議やその後の中央斗争委員会の決定等に基いて、指令第九号にいう実力行使として別途指定する機関において三月十六日から同月十八日までの間に、始業時から午前十時までの勤務時間内職場大会を開催すること、その実施時期については中央指示責任者としての原告組合中央本部書記長の訴外石井清一、同組織部長の訴外金子哲夫の判断により決定するが、拠点局所の選定は現地派遣中央斗争委員の権限により選定すること等を指示説明した上、具体的な斗争戦術として、拠点局舎の出入口に完全なピケツトを張ること、所謂保安要員については組合側としては一切残留させないが、被告公社側が必要とするのであれば、話合いの上、氏名を明らかにして組合側へ通知させた上これを許容してよいこと、宿直宿明服務者(前日午後十時から翌日午前八時頃までの勤務者)については勤務時間終了後は必ず退庁させること、時間内職場大会の効果を減殺させるために被告公社側の管理者らが大勢関係局舎内に入るという事態も予想されるので、これを阻止する対策を立てること、その他原告組合以外の他の労働組合からピケツト要員として動員し得る人数(所謂共斗ピケ要員)等について討議確認し、さらに四国地方本部管内の各支部における拠点局所において、拠点斗争の実施に際して個々的に発生する具体的な問題に即時対処し、情勢に応じて適切な処置をとり得るようにするため、日置中央斗争委員の下にあつて、各支部毎に拠点斗争の指導につき一切の権限と責任を有する地方斗争委員一名を派遣することとし、香川支部へは訴外中担忠四国地方斗争委員(以下中派遣地斗と略称する)が派遣されることに決定されたこと(所謂「張りつけ責任者」の派遣)、

が認められる。

(三)  次いで三月十三日午後一時過ぎ頃から香川支部(高松市所在の全電通会館内)において中派遣地斗を加えて、香川支部斗争委員会が開催されたこと、また同日午後五時過ぎ頃から丸亀報話局において分会職場委員会が開催され、原告多田が右職場委員会に出席してオルグ活動を行つたことは当事者間に争いのないところ、成立に争いのない乙第二十一号証、同第三十五号証の一乃至三と証人日置容正、同中担忠、同高井弘二、同猪谷敏昭、同須藤宏三の各証言並びに原告多田已年、同斉藤照和各本人尋問の結果を綜合すると、

1 訴外日置派遣中央斗争委員の指示により、香川支部へ派遣されることとなつた中派遣地斗は、事前に電話連絡により訴外猪谷敏昭支部書記長に同月十三日午後一時から支部斗争委員会を開催するように要請した上、同日午後一時前頃高松市浜ノ丁所在の全電通会館(香川支部事務局)へ到着し、直ちに同所において、原告多田の外、訴外高井弘二、同猪谷敏昭やその他の支部斗争委員に中派遣地斗を加えて香川支部斗争委員会(通称第一回戦術会議)が開催せられ、その席上先ず中派遣地斗から、自分が香川支部における拠点斗争の指導について一切の責任と権限を有する者として派遣せられたものであつて、その指揮に従つて貰いたい旨の要請があり、続いて中央団体交渉の推移等の中央情勢についての報告等がなされた後、前記第三十七回四国地方斗争委員会での意識統一の結果に基いて、拠点局所の局舎出入口にピケツトを張ること、始業時から午前十時まで勤務時間内職場大会を実施すること、右職場大会へは組合員全員を参加させ、所謂保安要員は残さない、但し被告公社側から相談があれば、話合いの上、必要最小限度の管理者を入れること等について指示説明し、その他所謂陽動作戦の実施、ピケツトにより管理者の入局を阻止すること、組合員の動員計画の大綱(各分会への動員割当数、動員された組合員は丸亀、高松の二ケ所に前夜から集結せしめ、最終拠点決定後直ちに行動できるようバス二台を手配すること等)、予想される三拠点についてのオルグ責任者の決定(観音寺報話局は支部副委員長の訴外高井弘二、丸亀報話局は原告多田已年、高松電報局は支部書記長の訴外猪谷敏昭)、右三拠点の各局長に対し、原告組合側の責任体制を通告すること、なお各分会に対する動員割当については実力斗争への突入指令が発出せられた後、支部斗争連絡を発して行うこと等が確認せられたこと(右事実によれば原告組合の組織内部においては、前記斗争連絡第七十八号の発出以前にすでに所謂予備拠点局所が明らかにされていたものであることが窺われ、証人猪谷敏昭の証言中この点に反する部分は、前顕甲第三十五号証の三に対比して俄かに措信できない。)

2 而して右第一回戦術会議は同日午後三時半頃に終了したが、その後原告多田は早速丸亀分会関係の責任者として同日午後五時十五分頃から開催された丸亀分会職場委員会にオルグ活動に赴いた。右職場委員会は、同月十一日に開かれた分会斗争委員会において開催方を決定していたものであるが、予定どおり丸亀報話局女子第一宿直室において原告斉藤、訴外須藤宏三ら分会三役の外に分会職場委員出席の下に開催され、原告多田はその席上、春斗全般についての情勢、他の労働組合の動き、被告公社と原告組合との中央団体交渉の状況、指令第九号発出の事情等について説明し、予想される実力行使の態様や実力行使に突入する場合の原告組合員の心構え等を話し、一致団結して斗うことを要請する等のオルグ活動を行つたこと(なお右職場委員会の開催については所定の手続を経て局舎利用願が出され、使用許可のあつたこと)

が認められる。

(四)  さらに同月十四日指令第十号が発出されたことは前認定のとおりであるところ、同日原告多田已年名義で支部斗争連絡第十六号が発出され各分会への動員割当が明らかにされたこと、同日午後五時半から同七時頃まで丸亀分会の春斗総決起大会が開催され、その後所謂第二回戦術会議、分会斗争委員会が開かれ、原告斉藤照和名義の分会斗争連絡第二十一号が掲示されたことは当事者間に争いがない。

前顕乙第三十五号証の一乃至三と成立に争いのない甲第五十一号証、同第五十二号証と証人中担忠、同高井弘二、同猪谷敏昭、同須藤宏三、同日置容正、同大塚裕司、同土屋勇治の各証言と原告多田已年、同斉藤照和各本人尋問の結果によると、

1 三月十四日中派遣地斗は、訴外高井弘二支部副委員長(当時観音寺報話局庶務課勤務)らと午前九時頃観音寺報話局へ赴き、同報話局長と拠点斗争の実施について話合いを行い、中派遣地斗が香川支部関係の拠点斗争実施についての一切の権限と責任を有する指導者であること、観音寺報話局が拠点局所に指定されたような場合には無用な紛争の起ることをなるべく避けること、当日の宿直宿明勤務者は必ず定時に退庁させること等を申入れた後高松市所在の香川支部事務局(全電通会館)に帰り、同日昼過ぎ頃指令第十号発出の連絡を受け、同時に斗争連絡第七十八号によつて、香川支部関係の拠点局所として丸亀、観音寺両報話局と高松電報局が予備的に指定されたことが明らかにされたことを知つたこと、そこで中派遣地斗、原告多田、訴外猪谷敏昭らは、前記三月十三日に開催された第一回戦術会議で検討された結果に基き、香川支部傘下の各分会に対する拠点局所への組合員の動員割当数を最終的に決定し、支部斗争委員長である原告多田名義の支部斗争連絡第十六号(甲第五十一号証)を発出して各分会へ示達することとし、訴外猪谷敏昭からその旨が電話でもつて各分会へ連絡されたこと、

(もつとも原告らは右支部斗争連絡第十六号の発出については、原告多田は何ら関与していない旨主張し、原告多田已年本人尋問の結果中には右主張に副う部分もあるが、前記(三)1認定の事実の外前示認定のように原告多田もその場に居合わせたこと、原告多田名義で発出されたこと等の事実を勘案し、さらに証人中担忠の証言に対比して考えれば、該部分はにわかに信用し難く、従つて右主張もまた採用のかぎりではない。)

2 その後同日午後五時半頃から午後七時過ぎ頃まで、予定どおり丸亀報話局に隣接する寺院(海徳寺)本堂において丸亀分会の春斗総決起大会(時間外職場大会)が開催せられ、中派遣地斗、原告多田、訴外猪谷敏昭らの出席の下に、原告斉藤照和、訴外須藤宏三、同浜本繁二をはじめとする約百名近くの丸亀分会組合員が参集し、原告斉藤の「只今から開催します」との挨拶の下に始められ、先ず訴外浜本繁二分会書記長の一般経過報告がなされ、次いで訴外須藤宏三副分会長が春斗における原告組合の要求事項や合理化問題についての組合の態度を説明し、次いで原告多田が公労協の動きや原告組合と被告公社との中央団体交渉の経緯等について報告説明を行い、最後に中派遣地斗から、自分が四国地方本部の委任を受けて香川支部に派遣され今次拠点斗争についての全責任と権限を有するものであること、現在香川県関係については丸亀の外に二局所が拠点局所として指定されているが、そのうち一局所に限つて実力行使を行うこと、丸亀報話局が拠点に指定された場合は自分の指揮に従つて貰いたいこと等や実力行使の方法等について説明し、この間原告斉藤は、原告多田や訴外中派遣地斗を分会員に紹介する等して司会の役割を行つたこと(訴外浜本繁二分会書記長が司会をしたとの原告斉藤照和本人尋問の結果は、原告多田已年本人尋問の結果と対比して信用できない)、

3 さらに右勤務時間外職場大会終了後同日午後七時頃から丸亀市所在の訴外大成繁支部斗争委員の私宅において中派遣地斗の要請により、支部斗争委員会(通称第二回戦術会議)が開催せられ、指令第十号発出に伴う実力行使の具体的方法について更に細い検討を行い、動員体制として各分会の外に原告組合以外の各地区労働組合協議会からの支援労働組合員の動員の問題、動員された労働組合員の集結移動方法や分宿先の確保、電信電話の利用者に対し拠点斗争への理解を求めるための周知方法(宣伝用びらを日刊新聞に折込んで配布し、あるいは宣伝車を出動させる等)、紛争を避けるために県会議員や弁護士の立会を要請すること、宿直宿明勤務者対策、始業時の決定の問題等を検討確認したこと、なお右第二回戦術会議には中派遣地斗をはじめとして、原告多田ら支部役員が参加していたこと、

4 他方原告斉藤や訴外須藤宏三ら丸亀分会役員は、前記総決起大会の閉会後、中派遣地斗らの要請もあり、また当時丸亀分会斗争委員であつた訴外大成加津代の勤務が同日午後九時頃終了するという事情もあつて、右第二回戦術会議の終るのを待つて、同日午後九時過ぎ頃から丸亀報話局構内線路詰所において分会斗争委員会を開催し、訴外猪谷敏昭支部書記長の出席の下に、同書記長から右第二回戦術会議の結果に基いて、具体的な実力行使の方法について報告説明がなされ、丸亀報話局が拠点局所になつた場合相当の喧騒も予想されるので、局周辺の一般市民に対しあらかじめその旨の話をして諒解を得ておくこと等の指示があり、さらに右の実力行使について分会員への周知徹底方の要請があり、その結果あらかじめ訴外須藤宏三副分会長らを通じて中派遣地斗の検討を経ていた文案に基いて分会斗争連絡第二十一号(甲第五十二号証)の発出について討議し、分会斗争委員全員と訴外猪谷支部書記長の検討と再確認の後、分会長である原告斉藤名義をもつてこれを掲出することを決定し、右須藤副分会長が作成した上、同日午後十時頃丸亀報話局局舎の一階と二階の組合掲示板に掲示したこと、

(なお原告らは右分会斗争連絡第二十一号の作成及び発出については原告斉藤は何ら関係していない旨主張する。しかしながら前認定のようにたとえその文案は訴外須藤副分会長らが一応作成して中派遣地斗の検討承認を経ていたとしても、その発出掲示にあたつては原告斉藤の出席の下に開催された分会斗争委員会で再確認し、承認をした上で、分会の代表者でありその統括者である同原告名義でなされたものであるから、同原告が全く無関係であつたとする右主張は採用のかぎりではなく、この点に反する原告斉藤照和本人尋問の結果はにわかに信用し難い。)

5 ところで右分会斗争連絡第二十一号(甲第五十二号証)は、被告公社主張のとおり「分会斗争委員会は指令第十号を確認して次のことを連絡する。一、三月十六日全組合員は時間内職場大会に出席せよ。時間は午前八時三十分から十時までとし、保留要員は零でその他は従来通りとする。二、各組合員は要求事項を記入したビラを最低一枚以上作成し三月十七日午後五時までに職場委員を通じて斗争委員に提出すること。なお要求事項は何でも公社側に要求するものなれば結構です。三、街頭ビラ配布のため各職場委員単位より各一名ずつ動員に応ずること。集合は三月十六日午前八時三十分とし斗争委員の指揮に従つて下さい。四、その他動員等に応じられるよう体制を整えること。」という内容のものであつて、丸亀分会においては、分会斗争連絡そのものは既に早く昭和三十四年十一月頃から使用されており、昭和三十五年五月開催の丸亀分会定期大会においても、かかる連絡形式を使用することが確認されていたもの(但し原告組合がその組織構成上正式に承認したものではなく慣行的なもの)であるが、昭和三十六年度春斗における三・一六斗争の実施に際して、特に分会長名義をもつて右のような実力行使への突入を命ずる斗争連絡を発した拠点局所は丸亀分会のみであつたこと、

が認められる。

(三月十五日)

(五)  さらに斗争前日の三月十五日になると組合側、公社側の動きは益々活発となつた。すなわち、

1 同日午前八時四十分頃、中派遣地斗は訴外大成繁支部斗争委員と共に丸亀報話局に赴き、原告斉藤の外訴外須藤宏三副分会長、浜本繁二分会書記長ら五名の分会役員と一緒に丸亀報話局長の訴外堀内善一に対し翌三月十六日に予定された拠点斗争の問題について非公式の話合いを求め、同局長に対し、丸亀報話局が拠点局所に指定されたこと、中派遣地斗が右拠点斗争における最高責任者であること、三月十六日には宿直宿明勤務者を午前八時三十分に定刻通り退庁させること、斗争当日は臨時雇傭者を雇入れないこと、組合側を刺戟したり挑発する行為をしないようにすることを申入れ、これに対し右堀内局長から、原告組合の実施予定の斗争はそれ自体が違法のものであるから、その責任者が誰であろうとこれを了承する筋合のものではないと答え、その他の諸点については若干のやりとりがあつたが結局組合側の申入れを了承したことは当事者間に争いがない。

証人堀内善一の証言によつて真正に成立したものと認められる乙第八号証と証人堀内善一、同原岡義行、同山内昌孝の各証言と原告斉藤照和本人尋問の結果によると、右三・一六斗争についての話合いが終つた午前九時四十分頃、右堀内局長は原告斉藤に対し、封筒に入れた警告書(乙第八号証参照。前記第二の二、(三)4(2)認定の被告公社総裁から原告組合斗争委員長宛のものと同文のもの添付)を渡し、「これは組合が明日予定している実力行使に対する警告書であるが、十分味読して、できれば斗争を回避し、良識のある行動をして貰いたい」という趣旨のことを申し向け、原告斉藤は黙つてこれを受領したことが認められる。

他方証人岡内唯志の証言によつて真正に成立したものと認められる乙第七号証と証人岡内唯志の証言並びに原告多田已年本人尋問の結果によると同日午前十一時頃当時通信部次長であつた訴外岡内唯志が高松市浜ノ丁所在の原告組合香川支部事務局へ赴き、原告多田已年に対し訴外黒岩太郎通信部長名義の前同様の警告書(乙第七号証)を手交し、原告多田は「お互にフエアな気持でやろうではないか」等と言つてこれを受領したことが認められる。

2 成立に争いのない甲第六十四号証の一、二、丸亀報話局公衆入口の状況を撮影した写真であることについては争いのない同第六十三号証、証人小島繁雄の証言により被告公社主張の日時場所においてその主張の周知文を撮影した写真であることが認められる乙第十三号証と証人大塚裕司、同岡内唯志、同堀内善一、同原岡義行、同鎌倉則繁、同小島繁雄、同十河歳勝の各証言を綜合すると、

被告公社側は、指令第十号が発出され、同時に斗争連絡第七十八号をもつて所謂予備拠点局所が発表されるや、これがため重要通信等が全く途絶するような事態の発生を防ぐために、他局から管理者らを業務応援のため拠点局へ派遣して執務させることとし、香川電気通信部管内についても、右岡内通信部次長らを中心として、最終拠点局所の把握できないまま、一部は四国電気通信局からの増援を得て丸亀報話局については約七十名(電話交換並びに機械保守関係要員として約五十名、警備関係要員として約二十名)、観音寺報話局並びに高松電報局についてはそれぞれ四十名程度の管理者を業務応援のために派遣する計画を立てたこと、

また管理者をもつて機器の保全と電話交換等の業務を行うとしても、応援を求め得る管理者数には自ら限度があり、しかも管理者は電話交換業務には不慣れであつてその交換能力は専門の交換手に比較して格段に劣るものであつたから、到底市内通話の全部を接続することは不可能であり、そこで前記堀内丸亀報話局長は、公衆電気通信法第六条および電信電話営業規則第二百四十条の二、同規則別表一〇(通話の優先確保順位)に基いて、三月十四日指令第十号が発出されるとともに、三・一六斗争が敢行された場合のことを慮つて電話回線の規制のための準備を始めることとし、訴外十河歳勝丸亀報話局電話運用課長に命じて丸亀報話局の全加入者(約二千二百回線弱)を、優先確保順位に従つて区別する作業を始め、さらに同月十五日午後には丸亀市内へ広報車を出して原告組合が三月十六日に実力行使に入つた場合には、重要通信の確保のために一般の市内通話の接続は原則として取扱を中止すること等を一般の電話利用者らに知らせると共に、丸亀報話局公衆入口に「お知らせ」と題する貼紙を掲示して一般の利用者に対し、右同趣旨の広報を行い、あるいは同日午後には訴外原岡義行丸亀報話局次長を中心として関係課長の打合わせを行い、さらにまた同日午後五時頃には丸亀報話局庁舎一階の組合掲示板の上に、局長名義をもつて「職員の皆様へ」と題する警告文(乙第十三号証参照)を貼出し、三・一六斗争は違法な実力行使であり、これが実行された場合には被告公社としても戒告以上の厳重な処分を行わざるを得ないので自重して良識ある行動をとるよう要望するという趣旨の警告を一般職員に発したこと、

他方松山市所在の被告公社四国電気通信局においても右同日急遽管内各電気通信部の労務厚生課長会議を招集して、重要通信確保対策、応援管理者らを事前に局舎内に入れてピケツトの強行突破のような事態を避ける対策、違法行為の確認、万一の場合における警察への協力要請の問題等について協議し、香川電気通信部からも当時の労務厚生課長である訴外鎌倉則繁がこれに参加したことが認められる。

3 またその間の原告組合側の動静についてみるのに、証人中担忠、同猪谷敏昭の各証言と原告多田已年本人尋問の結果によると、中派遣地斗は、前認定のように、同日午前中、丸亀報話局長に対し三・一六斗争についての申入れを行つた後、同日午後は猪谷支部書記長、訴外福田道広支部斗争委員と共に、拠点局所の一つに指定されていた高松電報局に赴き、同局長に対し丸亀報話局長に対するのと同様の申入れを行い、また原告多田は同日午後は坂出分会の職場交渉に参加したことが認められるところ、

成立に争いのない乙第二十二号証と証人堀内善一、同小島繁雄の各証言並びに原告斉藤照和本人尋問の結果の一部を綜合すると、丸亀分会としては同日午後三時頃と午後四時半頃の二回にわたり、丸亀報話局二階女子休憩室において職場集会を開いて須藤副分会長らがオルグ活動を行つたこと、原告斉藤は同日午後は休暇をとり、前日夜開催した分会斗争委員会での打合わせに基いて、訴外大成繁支部斗争委員と共に丸亀報話局周辺の一般民家に挨拶まわりに出かけ、その後線路詰所に待機していたが、さらに午後四時半頃から午後五時半頃まで丸亀報話局構内中庭において、勤務を終えて退庁する分会組合員らに対し、「明日局前にピケが張られていたら組合役員の指揮に従つて下さい」という趣旨のことを申向け、ピケツトへの参加を呼びかけていたことが認められる。(原告斉藤照和本人尋問の結果中、右認定に反する部分は、証人小島繁雄の証言及び前認定の分会斗争連絡第二十一号発出の経緯等に徴して、信用できない)

(六)  労使双方の以上のような動静のうちに、前記第二の二、(三)4(4)認定のように同日午後四時三十分頃原告組合中央斗争委員会より斗争連絡第八十一号(前顕第三十三号証)が発出せられて、三・一六斗争の最終拠点局所として香川支部関係では丸亀報話局が指定されたことが発表せられたのであつて、以下右斗争連絡発出以後の丸亀報話局をめぐる被告公社側(以下「局側」と総称する)と原告組合側(以下「組合側」と総称する)の双方の動きについて考察する。

1 証人岡内唯志、同堀内善一、同宮下義朝、同原岡義行、同山内昌孝、同鎌倉則繁、同植田計栄、同横田一男の各証言並びに検証の結果を綜合すると、

三月十五日午後五時過ぎ頃通信部は丸亀報話局が最終的に拠点局所として指定されたことを知るや、直ちにこれを丸亀報話局等へ電話連絡するとともに、かねての計画に従つて業務応援のための管理者らを丸亀報話局へ派遣することとし、同日午後五時半頃にはすでに第一陣として、訴外宮下義朝通信部計画課長に引率された二十三名の管理者が丸亀報話局に到着し、さらに午後七時頃には訴外尾崎賢三郎通信部保全課長に引率されて第二陣の応援管理者らが入局、その後も高松方面から若干の応援管理者が来て、結局六十数名の他局の管理者らが丸亀報話局に同日中に入り、局舎二階の訓練室(現在の局次長室)や機械修繕室に待機し、一部の者は丸亀報話局の幹部らと協力して、三・一六斗争に対する準備対策に従事したこと、

当夜は雨模様で寒気も相当厳しく、応援管理者らに対する夜具その他の宿泊準備や暖房も必ずしも十分でなく、しかも徹夜で勤務せねばならない情勢にあつたために、堀内善一丸亀報話局長が私費で日本酒一斗(一升瓶十本)を準備し、そのうち六升を夕食時に応援の管理者らに提供し、結局そのうち四升あまりが飲酒されたこと、

ところで当時通信部において主として労務対策を担当していた岡内唯志通信部次長も、午後八時半頃応援のため十四、五名の管理者らとともに丸亀報話局へ入り、午後九時頃、四国電気通信局で開かれていた労務厚生課長会議(前記第二の三、(五)2)に出席していた訴外鎌倉則繁通信部労務厚生課長を丸亀駅に出迎えた後、堀内善一局長と相談の上、右労務厚生課長会議の結果を局側幹部に周知徹底させるために、同日午後十一時半頃から丸亀駅前の「ときよし」旅館において打合せのための会議を開くことを決め、その後午後十一時頃業務視察のため局舎内を一巡し、その際後記3認定のとおり、二階電話交換室において、原告斉藤らと若干の言葉のやりとりがあつたこと、

而して局側は同日午後十一時半頃から予定のとおり、右岡内通信部次長、鎌倉通信部労務厚生課長、堀内丸亀報話局長、原岡同局次長、山内昌孝同局庶務課長、小島繁雄同局労務厚生主任らの外、応援管理者中主として局舎内外の警備にあたるもの約二十名を加えて「ときよし」旅館において、三・一六斗争に対する局側としてとるべき準備対策についての打合せ会議を開催し、前記労務厚生課長会議の結果についての報告を聞いてこれを確認すると共に、これらを中心として、応援管理者らの配置、三月十六日の勤務時間内職場大会実施時における就労希望の職員の掌握、違法行為の確認等について細かな対策を打合わせ、結局翌三月十六日午前二時頃まで「ときよし」旅館において会議を続けたこと、その間後記3認定のとおり、組合側から二回にわたり会見の申入れがあつたが、いずれもこれを断つたこと、その間同日午後十二時頃から約一時間応援の管理者らを電話交換室へ入れて交換の訓練をしたこと

が認められる。

2 他方組合側が丸亀報話局が最終の拠点局所に指定された後に直ちに丸亀報話局前の七福旅館において同日午後七時頃から所謂第三回拡大戦術会議を開催したことは当事者間に争いのないところであるが、

前顕乙第三十五号証の一乃至三と証人横田一男の証言により真正に成立したものと認められる同第二十号証の一乃至四と証人中担忠、同高井弘二、同須藤宏三、同猪谷敏昭、同横田一男、同鎌倉則繁の各証言及び原告多田已年、同斉藤照和各本人尋問の結果並びに検証の結果を綜合すると、

同日午後五時少し前原告組合四国地方本部書記長の訴外末広喜美男から訴外猪谷敏昭支部書記長に対し、丸亀報話局が最終拠点局所として指定されたことが発表された旨の電話連絡があり、同書記長は直ちにその旨を丸亀分会その他へ連絡し、支部斗争委員らは丸亀分会に急行し、中派遣地斗の要請によつて、かねて手配をしてあつた丸亀報話局前の七福旅館において、同日午後七時頃より、中派遣地斗、原告多田ら支部役員及び斗争委員(但し訴外福田道広支部斗争委員は香川支部事務所に残留)の外に中派遣地斗らの指示で分会三役、すなわち原告斉藤、訴外須藤宏三、同浜本繁二も特にこれに参加して支部斗争委員会(通称第三回拡大戦術会議)を開催し、当面の課題である三・一六斗争に関する具体的行動方針や最終拠点局所の発表後における局側の動静等が検討されたこと、而してその席上においては、三・一六斗争に備えて各分会毎に動員される組合員の丸亀報話局への集結、移動あるいは宿泊等の問題や三月十六日午前六時半頃局舎の公衆入口、通用門及び中庭出入口の三ケ所にピケツトを張り、中庭出入口ピケツトは丸亀分会組合員を配置し、その他のピケツトは原告組合員の外、主として部外の支援労働組合員(丸亀地区労働組合協議会傘下の労働組合員ら)をもつてあてること、公衆入口附近のピケツトの責任者は原告多田、補助者は原告斉藤、通用門附近のピケツトの責任者は訴外高井弘二支部副委員長、補助者は訴外浜本繁二分会書記長、中庭出入口のピケツトの責任者は訴外福田道広支部斗争委員、補助者は訴外武藤分会斗争委員とすること、勤務時間内職場大会は丸亀報話局中庭で開催することとし、その運営責任者は訴外猪谷敏昭支部書記長とすること、観音寺報話局及び高松電報局が拠点に指定される場合に備えて予め要請してあつた当該各地区労働組合協議会等への労働組合員の動員の解除の通知、宿直宿明勤務者については局側との約束により、勤務終了まで待ち、それ以前に引出したりしないこと、応援管理者らの導入等の所謂スキヤツブ(スト破り)に対する対策は局側の動きを適確に把握して情勢分析を行い、適切な方法を立てること等が討議決定確認され、同日午後九時過ぎ頃終了したこと、

ところで右拡大戦術会議の席上には拠点発表以後の局側の動静が次々と報告され、ことに局側が大勢の応援の管理者(原告らのいうスキヤツブ)を入局させ、しかもこれらの管理者が局舎内で飲酒していること等が原告組合員らを刺戟し、そのため右戦術会議の終了後、中派遣地斗からの要望もあつて、原告多田、同斉藤は訴外浜本繁二分会書記長とともに丸亀報話局局舎内の状況や局側の動静を調べるために同日午後九時過ぎ頃局舎内に入り、先ず一階の機械室で四、五名の管理者らが電話回線規制の準備作業を行つているのを見届けた後営業課窓口、電信室等を見て二階へ上り、女子休憩室へ入つたこと、右女子休憩室には応援の管理者ら三、四名が休息していたが、原告多田はそのうちの一人である訴外横田一男(善通寺報話局業務課副課長)に話しかけ、「公社側の責任者は一体誰ですか」「われわれの斗争は管理者自身の労働条件にもずい分影響するのだから、あんまり反組合的な行動はせんほうがええじやないですか」「給料が上つたら嬉しくないですか、嬉しいでしよう、われわれのやつていることは分るでしよう」「管理者は何人位来ているのですか」等という趣旨のことを申し向けたこと、原告斉藤も「管理者も今度のような回答をしてくれたらいかんわな、賃上げについては経験と勘や云わんと、もう一寸慎重に僕らのこと考えてくれないかんですな」等と話しかけ、言葉をにごす管理者を後に同日午後九時四十分頃右休憩室を立去つたこと、その後原告斉藤は原告多田と分れて三階共通事務室を見た後線路詰所へ帰つてそこに待機したが、一方原告多田は二階電話交換室を見廻つた後に同日午後十時前頃三階共通事務室へ上つたところ、同室に居合わせた鎌倉則繁通信部労務厚生課長が原告多田の姿を認めて呼び止め、共通事務室の北西隅にある便所横の処で原告多田に対し「鎌倉個人として話しておきたいが、今度は非常に情勢はきびしく、総裁警告にあるように、場合によつては分会の段階でも解雇者が出る場合が考えられるから、自重してもらいたい」という趣旨の注意を与え、これに対し原告多田は「この期に及んでそんなことを云つて一体どうなるんだ、少し気をつけてもの云つてもらわないかん、そんなん聞く耳もたん」等と答えて共通事務室を立去り、七福旅館へ引揚げ、中派遣地斗らに局舎内の状況を報告したこと

が認められる。

3 ところで岡内通信部次長が同日午後十一時頃丸亀報話局庁舎内を一巡した際、二階電話交換室にも入つたことは前認定のとおりであるところ、証人岡内唯志、同大成加津代、同須藤宏三、同熊本勇子、同中担忠、同高井弘二、同堀内善一、同横田一男、同宮下義明の各証言と原告多田已年、同斉藤照和各本人尋問の結果を綜合すると、

その当時電話交換室には訴外十河歳勝丸亀報話局電話運用課長の外二名の副課長と九名の女子電話交換手が宿直宿明勤務についていたが、岡内通信部次長は勤務中の女子交換手ら一人一人に対し明朝交替時の午前八時半までは心配せずに勤務するようにという趣旨のことを話して歩いたこと、而して当夜勤務中の電話交換手の一人であつた訴外大成加津代(丸亀分会斗争委員)は、これを不快に感じ、電話で線路詰所に待機していた原告斉藤に連絡し、そこで原告斉藤は訴外須藤副分会長、浜本分会書記長と共に二階電話交換室に赴いたこと、原告斉藤らが同室に入ると、右十河課長が原告斉藤を岡内通信部次長に紹介し、同次長は原告斉藤に対し、「午後十二時から管理者の訓練を行うから黙認して欲しい」旨を話し、これに対し原告斉藤は「管理者が沢山入つて笑が止まらんだろう」と答え、その後岡内次長は退室したこと、当夜の電話交換室の雰囲気は比較的穏やかで特に騒々しいことはなく、落着いたなごやかなものであつたこと、なお右岡内次長は同日午後九時頃丸亀駅に鎌倉労務厚生課長を出迎えた際駅前の飲食店で食事をし一合ばかりの清酒を飲んでいたのでやや酒臭く、また土足で入ることを禁じられていた右電話交換室に土足で入つたこと

而して七福旅館に待機していた原告多田ら組合側幹部は、多数の応援管理者らが局内に入つていることや、飲酒の事実、岡内通信部次長が飲酒して土足で電話交換室へ入つたこと等について局側と話合いを行うために、同日午後十一時四十分頃訴外高井弘二支部副委員長から当時丸亀報話局局長室で待機していた前記横田一男に対し、重要な話があるので局長に面会したい旨の電話による申入れがあつたこと、そこで右横田一男から「ときよし」旅館において会議中の堀内局長に電話連絡したところ、前記小島繁雄労務厚生主任を通じて目下重要な会議中で会えない旨を伝えてきたので、右横田一男がこれを右高井弘二支部副委員長に取次いだのであるが、その際右高井弘二が「誰がそういうことを云うのか」という趣旨のことを尋ねたのに対し右横田一男が「そういうことを一々お前らに云う必要はないんだ」と答えたため組合側幹部が立腹し、同日午後十二時頃原告多田、同斉藤や右高井支部副委員長、中派遣地斗が丸亀報話局局長室へ赴き、右横田一男やその後局長室に入つて来た前記宮下義朝通信部計画課長らを相手に堀内局長との会見を要求したこと、そこで右横田や宮下が「ときよし」旅館へ再び電話連絡したが、堀内局長としては前同様「目下重要な会議をしていて面会は出来ない、会えるようになつたら連絡する」旨を伝えてきたので、これを取次いだところ、右組合側幹部らは「会うか会わないかは公社の勝手だというのか、今後起る一切の事態はあげて公社の責任であるぞ」等と云いながら局長室から引揚げ、その際右宮下計画課長は組合側の連絡先の電話番号を聞いてこれを記録しておいたこと、なお組合側からの右会見の申入れについては何らその目的なり用件が明らかにされなかつたこと

が認められ、証人岡内唯志、同十河歳勝の各証言中右認定に反する部分は、その余の前顕各証拠に対比してにわかに信用し難い。

四、三月十六日の丸亀報話局における拠点斗争の実態

前記のように組合側からの堀内局長に対する話合いの申入れに対し、局側は重要会議中を理由にこれを拒絶したまま遂に三月十六日に入り、三・一六斗争は強行されるに至つたのであるが、その間の事情は次のとおりであつた。

(一)  組合側が同日午前二時頃から丸亀報話局構内線路詰所において、所謂「緊急戦術会議」を開催し、同日午前四時半を期して電話交換室の通常出入口前の廊下と電話交換室へ通ずる非常階段の二ケ所に坐り込むことを決定したこと、右決定に基いて同日午前四時半頃原告組合員らが右電話交換室へ通ずる二ケ所の出入口に坐り込んだことは当事者間に争いがないところ、前顕乙第三十五号証の一乃至四と証人中担忠、同須藤宏三、同高井弘二、同猪谷敏昭、同十河歳勝の各証言と原告多田已年本人尋問の結果並びに検証の結果を綜合すると、

1 組合側は、堀内局長に対する話合いの申入れに対し、三月十六日に入つても局側から何ら連絡のないまま、同日午前二時頃から前記丸亀報話局構内線路詰所において中派遣地斗の要請により支部斗争委員会(通称緊急戦術会議)を開催し、中派遣地斗、原告多田已年、訴外高井弘二支部副委員長、同猪谷敏昭支部書記長ら支部役員のほかに原告斉藤や訴外須藤宏三副分会長、同浜本繁二分会書記長らも参加して、分会役員らの作成していた丸亀報話局見取図を参考にして約一時間にわたつて対策を協議し、多数の応援管理者らが所謂スキヤツブとして電話交換室へ入ることを黙認することはできないこと、局側の態度からして同日午前八時三十分に宿明勤務者を定時退庁させるという堀内局長の前日の約束が果して守られるかどうか不安があること等が論議された結果、局側管理者らが電話交換室へ入る以前に、原告組合員らを動員して電話交換室への通常出入口前の廊下及び同室へ通ずる非常階段の二ケ所に坐り込みを行つて管理者らの同室への入室を阻止し、あわせて宿明勤務者の定時退庁を確保することとし、而して右坐り込みの敢行時刻については、局側が管理者らを電話交換室へ導入する時刻をほぼ同日午前六時頃と予想した上で同日午前四時半と決め、局側が同日午前四時までに会見申入れに対する何らの連絡をしなかつたときは、予定どおり坐り込みを行うこと、並びに各役員の坐り込み敢行についての任務分担及び入局経路等を決定したこと(なお原告らは、原告斉藤は右緊急戦術会議には出席していなかつた旨主張し、証人高井弘二、同猪谷敏昭の各証言及び原告斉藤照和本人尋問の結果中には右主張に副う部分もあるが、右各証拠は証人中担忠、同須藤宏三の各証言並びに弁論の全趣旨に照らしてにわかに信用し難く、従つて原告らの該主張は採用のかぎりではない)、

2 而して組合側は同日午前四時頃まで、前記局側への会見申し入れに対する何らかの連絡を待つていたが、局側から何の連絡もないので、右の緊急戦術会議での決定に基き、原告多田、訴外高井弘二支部副委員長らが丸亀市内の津の森旅館、蝶屋旅館に分宿して待機していた原告組合員を動員し、さらに七福旅館に待機していた原告組合員をも加えて、同日午前四時半頃先ず原告斉藤や訴外猪谷敏昭支部書記長、訴外須藤宏三副分会長らが約十四、五名の丸亀分会組合員らと共に丸亀報話局通用門から中庭に面した裏出入口を経て二階電話交換室通常出入口前廊下に坐り込み、つづいて原告多田も津の森旅館に分宿していた約二十名の原告組合土庄分会、内海分会等の組合員らを引率して同じく裏出入口を通つて二階電話交換室通常出入口前廊下に坐り込み、さらに訴外高井弘二支部副委員長や中派遣地斗らも約十五、六名の原告組合員らをつれて丸亀報話局玄関(公衆出入口)から局内へ入り、同じく二階電話交換室前廊下に坐り込んだこと、他方訴外浜本繁二分会書記長、訴外丸野善弘支部斗争委員らの引率する組合員ら約二十名弱が電話交換室へ通ずる非常階段に坐り込んだこと、当時電話交換室内で執務していた前記十河歳勝電話運用課長は交換室出入口の方が騒がしくなつてきたので出入口の扉を開けてみたところ多数の原告組合員らが坐り込もうとしているのを見て、「ここへ来てはいけない、交換室への出入が妨げられるので皆さん向うへ寄つて下さい」等と注意し、さらに非常階段へ通ずる出入口の扉も開けて、非常階段に坐り込んだ原告組合員らに対しても、通行妨害になるので外へ出るよう申し向けたが、原告組合員らは坐り込みを解かず、結局同日午前十時前まで坐り込みが続けられたこと

が認められる。

(二)  而して証人山内昌孝、同堀内善一の各証言により真正に成立したものと認められる乙第三号証と証人岡内唯志、同堀内善一、同原岡義行、同山内昌孝、同鎌倉則繁、同小島繁雄、同中担忠、同高井弘二の各証言を綜合すると、局側は前記「ときよし」旅館における対策会議を同日午前二時頃一応打ち切つて、丸亀報話局へ引揚げ、さらに局長室において前記岡内唯志通信部次長、堀内善一丸亀報話局長、原岡義行同局次長らが集つて具体的な諸方策を協議したり、あるいは応援管理者らの作業別配置の決定、斗争時における職員への職場復帰命令の原稿の作成、勤務予定者の掌握方法とその集結場所の選定、警察に対する出動要請文案の作成等の準備作業を続行していたのであるが、午前四時半頃前記のように組合側が局舎内へ入り、電話交換室へ通ずる二ケ所の出入口(それ以外には出入口はない)を坐り込みにより塞いでしまつたことを知るや、急拠対策を協議し、直ちに訴外小島繁雄丸亀報話局労務厚生主任をして丸亀報話局長作成名義の出動準備要請書を丸亀警察署へ提出させると共に、右岡内唯志通信部次長自ら同日午前五時頃丸亀警察署へ右坐り込み排除のための警察官の出動要請に赴き、他方局舎内に坐り込んだ原告組合員らに対しては、退却命令を発することとし、同日午前五時十五分頃、前記堀内善一局長、原岡義行同局次長、山内昌孝同局庶務課長及び鎌倉則繁通信部労務厚生課長らが二階電話交換室通常出入口前廊下の坐り込み現場に赴き、それぞれ、口頭で「業務上支障があるから直ちに退去して下さい」という趣旨のことを繰り返し要求すると共に、原告組合員らが坐り込んでいる廊下の突当り角にある掲示板に「庁舎の使用は無許可であり業務上支障があるからただちに退去して下さい、局長」と記載した退去命令(乙第三号証)を右山内庶務課長をして掲示させたこと、原告組合員らはこれに応ぜず、坐り込んでいる原告組合員らの前面(交換室と反対の前記掲示板寄り)に立つていた原告多田や中派遣地斗、高井支部副委員長らから堀内局長に対し「組合側が話合いを申込んでいるのに何ら連絡もせず、これを応じないのは全く誠意がないではないか、お前らは実質的に会見を拒否したのだろう、この点局長はどう思つているのか、今から話合いに応じてくれ」等という趣旨の発言が口々になされ、これに対し右堀内局長や鎌倉課長らは、話合いに応ずるにしても先ず組合側が坐り込みを解いて退去することが先決条件であつて、坐り込んでいる以上話合いには応じられない旨主張して押問答が繰り返され、その間坐り込んでいる原告組合員らの中から局側管理者らが飲酒したこと等について弥次が飛び、あるいは罵詈雑言がなされ、次第に混乱した状態になり、結局堀内局長らは組合側の勢威に押されてずるずると最寄の二階修繕室の方へ引き下がり、そこで組合側との話合いに応ずることになつたこと

が認められる。

(三)  かくして局側と組合側との間に丸亀報話局二階修繕室において話合いが持たれることとなつたのであるが、証人堀内善一、同原岡義行、同鎌倉則繁、同岡内唯志、同中担忠、同十河歳勝、同須藤宏三の各証言と原告多田已年本人尋問の結果を綜合すると、

1 修繕室における話合いは同日午前五時半頃から局側は堀内局長、原岡次長、山内庶務課長及び鎌倉通信部労務厚生課長が立合い、組合側は中派遣地斗、原告多田、訴外高井支部副委員長らが参加して行われ、組合側から局側管理者らが局内において飲酒し中には飲酒して土足で電話交換室へ入り電話交換手をからかつたりした者がいることは甚だ遺憾である、組合側が堀内局長に対し電話で何回も話合いの申入れをしているのに今に至るまでこれに応じないのは誠意を欠いている、また多数の応援管理者らを局内に導入し組合側を刺戟している等の点について抗議がなされ、あるいはその説明を求め、これに対し堀内局長は、酒を出したのは事実であるがこれは夜間は冷え込むことであるし、遠路業務応援のために来局した他局の管理者らに対し儀礼的な意味で提供したものであつて、それによつて管理者が酩酊したり、不穏当な行為に及んだという事実は見聞していないこと、会見の申入れに対しては時間的余裕があればこれに応ずる積りであつたが、三・一六斗争の対策打合せや具体的な準備に忙殺されて会見に応ずる時間がなかつたまでのことであること、応援の管理者らを局内に導入したことについては、組合側の予定している三・一六斗争が保安要員を一人も残さないという実力行使である以上、被告公社としては重要通信確保のためにたとえ不慣れであつても管理者を入れることが当然の責務であること等を説明したが、もとより組合側はこれに納得せず、その間前記鎌倉課長からも原告多田らに対し、坐り込みを解いて退去してから話合うべきではないか等の発言を行つたが、原告多田が「お前黙つておれ、局長とわしが話をしておるんだ」等と喰つてかかる場面もあり、双方とも同じ主張を繰り返して同日午前七時前頃まで押問答が続き、話合いは一向に進展しなかつたこと、而して岡内通信部次長は同日午前六時頃丸亀警察署から帰局し、当時来局していた訴外黒岩太郎通信部長(同日午前五時頃丸亀報話局に来局)の指示で直ちに右繕修室における話合いに参加していたのであるが、同日午前六時五十分頃事態を解決するために、当時丸亀報話局内にいた四十三名の応援管理者のうちその三分の一程度を減員することを条件に、組合側の坐り込みを解除することを提案し(以下岡内提案と略称する。前顕乙第三十五号証の三参照)、組合側も一応右提案については協議することとして一旦休憩し、さらに同日午前七時過ぎ頃から話合いを再開したこと、

2 再開後の話合いにおいて、局側は先ず前記岡内提案についての組合側の回答を求めたのであるが原告多田らは右岡内提案については何ら意見を述べず、再び従前の飲酒の問題、話合い拒否の問題をむし返して押問答が続き、中途から訴外黒岩太郎通信部長も参加して話合いを行つている最中に、同日午前七時三十分頃、訴外西種義数香川県議会議員や訴外阿河準一弁護士らが多数の原告組合員らと共に修繕室へ入つて来て丸亀警察署から警官隊が出動していることに対し激しい抗議を行い、被告公社が労働問題に警察を介入させたことを強く非難したために、話合いは中断してその場は収拾のつかないような混乱状態に陥つたこと、そこで立合つていた前記黒岩通信部長から、警察官は退去させることとするから、その代りに重要加入電話約四百回線の通信を確保するために必要な人員(応援管理者数)を局側と組合側双方の専門家によつて算出することとし、その際応援管理者の作業能率は一般の電話交換手の二割とみて計算してほしい旨を提案し、組合側も一応右提案に応ずることとし、同日午前七時五十分頃漸く修繕室における混乱状態も治り、右黒岩通信部長は偶々同席していた前記原岡丸亀報話局次長に命じて直ちに警官隊引揚げの措置をとらせると共に、右岡内通信部次長から局側の「専門家」として前記十河歳勝丸亀報話局電話運用課長を指名して二階電話交換室から呼出し、他方原告多田も「専門家」として前記須藤宏三副分会長(当時丸亀報話局電話運用課所属)を指定し、同日午前八時前頃から丸亀報話局三階共通事務室に場所を移して所謂「専門家会議」なるものが開かれたこと、

3 三階共通事務室における要員算出のための右専門家会議には、局側から右岡内通信部次長が立会し、さらに黒岩通信部長、堀内局長らも加わり、又組合側は前記猪谷支部書記長が立会し、後に原告多田、同斉藤、中派遣地斗らもこれに参加して行われたが、その結果先ず局側(十河運用課長)は、約四百回線の通話を取扱うに必要な専門の電話交換手数を八名と算出し、組合側(須藤副分会長)はこれを六名と算出し、そこで局側は応援管理者の交換作業能率を前記のように一般の電話交換手の二割程度とみて四十名の応援管理者を電話交換室へ入室させることを要求したこと、これに対し組合側は右人員は多きに過ぎるとして認めず双方の間に押問答が繰り返され、局側は組合側の算出人員を基礎に三十名まで減員したが話合いがつかないまま同日午前八時二十分頃に立至つたが、このとき立会つていた原告斉藤が「管理者の能率が二割というのはおかしいではないか、公社が欠員を補充するときは臨時者で能率が落ちる場合でも一対一でしか補充しないではないか、組合が算出した六名で十分で、五倍する等という馬鹿なことはない」という趣旨の発言をし、組合側のその他の者もこれに同調して話しのつかないまま、原告多田や中派遣地斗らが二階の方へ降りて行き、岡内通信部次長、黒岩通信部長らもこれに追いかけるようにして二階へ降りて再び修繕室附近で話合いを続けたが妥結の見込がたたないので、その間黒岩通信部長が「六名程度の人員ではサービスは無に等しいから、電源を切断します」という趣旨の発言をしてその場から立去ろうとした場面もあつて、結局同日午前八時三十分頃に至つて漸く原告多田らの了解の下に十名の管理者(すでに電話交換室内で執務していた二名の副課長と前記十河電話運用課長のほか更に七名を加えたもの)を電話交換室へ入室させる話合いが成立し、局側は直ちに管理者らを導入するとともに九名の宿明勤務の女子交換手らが退室したこと、なお局側は同日午前七時頃やむなく最終的に市内電話回線中、重要なもの三百九十五回線を残してその余の約千八百の電話回線を規制することを決定し、直ちに切断作業をはじめ同日午前七時十分頃まで行い、一旦中止した後同七時四十分頃から本格的に規制作業を行つて同日午前八時二十分頃までにこれを終了したこと(電話回線規制作業を行つたことは当事者間に争いがない)、

が認められる。証人中担忠、同須藤宏三の各証言及び原告多田已年、同斉藤照和各本人尋問の結果中右認定に反する部分は措置し難い。

(四)  ところで成立に争いのない乙第一号証と証人山内昌孝、同小島繁雄、同岡内唯志、同堀内善一、同十河歳勝、同須藤宏三、同猪谷敏昭、同原岡義行、同宮下義朝の各証言と原告多田已年、同斉藤照和各本人尋問の結果並びに検証の結果を綜合すると、

1 前認定のとおり原告多田、同斉藤その他支部、分会役員らの指揮引率の下に敢行された坐り込みは、時間の経過とともに強化され、坐り込む原告組合員らの数は増大し、同日午前七時頃になると、二階交換室出入口前廊下から二階階段降り口附近まで原告組合員ら約七十名が坐り込み、最前列にいた組合員の中には保安帽を着用し、あるいは肩を組むもの等もあり、この状態は同日午前九時五十分頃まで続き、その間、

(1) 同日午前四時半頃訴外小島繁雄丸亀報話局労務厚生主任が局舎裏出入口から二階交換室へ通ずる非常階段を経て交換室に入ろうとしたが、すでに坐り込んでいた十四、五名の原告組合員らから「いかん、いかん通さんぞ」等と云われて通行を阻まれ、

(2) 同日午前六時半頃交換室内で執務していた訴外渡辺カツ副課長が、用便のため交換室通常出入口側の扉を開けて出ようとしたところ、廊下に坐り込んでいた原告組合員らから「こんな所通れると思うとんか、何しよるんだ、すつこんどれ」等と弥次られて出るに出られぬ状態になり、見かねた前記十河運用課長が、近くの女子休憩室にいた須藤副分会長を呼んで用便のため右渡辺副課長を通行させるよう頼み、漸く通行を許され、

(3) さらに同日午前七時頃、前記(三)1認定のように二階修繕室における話合いが一旦休憩に入つて中断された際、岡内通信部次長、堀内局長らが電話交換室の状況を視察しておく心積りで同室の方へ行こうとした際、二階階段降り口附近まで詰めかけていた坐り込みの原告組合員のうち、前記保安帽を着用した組合員らが「いや、ここを通つてはいけない」等と云つて通行を許さず、岡内通信部次長らが「仕事をするんでないんだ、中をちよつと見るだけだから通してくれ」と要求してもこれに応ぜず、二、三人が立ち上がつて両手を広げるようにして通行を阻止し、

(4) 右同時刻頃前記山内昌孝丸亀報話局庶務課長も電話交換室の状況を見ようとして、同室前廊下に坐り込んだ組合員らを押しのけて通ろうとしたが、右の保安帽を着用した組合員らが、手や肩、足等で右山内課長を押しのけるようにして通行を阻止する

等、局側管理者らが電話交換室へ出入することは、ほぼ完全に阻止せられていたこと、

2 同日午前八時三十分過ぎ頃、局側と組合側との間で話合いが成立し、合計十名の管理者を電話交換室へ入室させることに決定した後も坐り込みは依然として続けられ、管理者らが電話交換室へ入つた直後に右黒岩通信部長、堀内局長が室内の状況をみるため、電話交換室へ入ろうとしたが、坐り込みの原告組合員らから前同様阻止され、「自分達は監督者として交換室の状況を視察するだけで作業をするわけではないのだから、ちよつと入らしてくれ」と要求する黒岩通信部長らに対し、保安帽を着用した原告組合員が両手を拡げて進行を阻み、押し問答が行われたが、坐り込み現場にいた原告多田も「部長、今は組合員が興奮しているのでやめたほうがいいんじやないですか」等と発言して、結局電話交換室へは入室できなかつたこと、而して堀内局長名義の退去命令を記載したビラ(前顕乙第三号証)は依然として二階掲示板に掲出されていたが(同日午前十時過ぎ頃撤去)、これに応ずる者はなく、後記認定の如く同日午前九時五十分過ぎ頃から丸亀報話局中庭において実施された解散大会と称する勤務時間内職場大会に参加するため、組合側役員の吹く笛を合図に解かれるまで坐り込みは続けられたこと、

3 原告斉藤は右坐り込みの行われていた間、前記の所謂専門家会議に参加した場合や連絡等のために離れた以外は、殆ど電話交換室通常出入口前廊下において、十四、五名の丸亀分会組合員らと共に坐り込みに加わつていたこと

が認められ、証人須藤宏三の証言中右認定に反する部分は信用できない。(なお原告らは右坐り込みによつて管理者らの電話交換室への出入を阻止した事実はなく、通行自由であつたと主張するが、右主張を肯認するに足る十分の証拠はなく、かえつて右認定のとおり、組合側の許容した場合を除いては管理者の電話交換室への出入は阻止されたことが明らかである。)

(五)  他方丸亀報話局庁舎外においては、同日早朝から原告組合側が予定の方針に従つて、局舎出入口に原告組合員や外部の支援労働組合員らによるピケツトを張り、原告多田がこれらピケツトの組合員らに対し挨拶を行つたことは当事者間に争いがない。

前顕乙第三十五号証の三と原告ら主張の日時においてその主張の場所を撮影した写真であることは当事者間に争いのない甲第五十六号証、同第五十七号証と証人鎌倉則繁、同黒川英一、同植田計栄、同宮下義朝、同高井弘二の各証言と原告多田已年本人尋問の結果並びに検証の結果を綜合すると、

1 同日午前六時三十分頃から、主として丸亀地区労働組合協議会傘下の支援労働組合員らを中心とし、これに丸亀分会組合員ら原告組合員らも加つて、丸亀報話局玄関(公衆入口)や通用門附近にピケツトが張られ、午前六時五十分頃には右玄関附近には約六十名右通用門附近には約四十名の動員組合員らが前後二列あるいは三列横隊に並び、腕を組み合つて所謂スクラムを組んだり、あるいは長さ四米を越える青竹を横に構えたりして強固なピケツトを張り、その後ピケツトに参加する人員は益々増加して午前八時前頃から百七、八十名にも達し、鉢巻をしめ、腕章をつけ、あるいは労働歌を高唱する等して気勢をあげ、中には公衆入口から局舎内公衆溜に入る者もあり、この間午前八時十分頃原告多田が前記三階共通事務室での所謂専門家会議の席をはずして局舎外のピケツトに顔を出し、携帯用マイクを使用してピケツトを張つている支援の部外労働組合員らに対し、早朝からピケツトのために出動してくれたことに対する感謝の辞を述べるとともに、斗争の経過を説明し、局側の挑発行為のために当初の予定を変更したこと等を明らかにして協力を要請する趣旨の演説を行い、折柄局舎前の道路において当日出勤予定の職員に就労を呼びかけていた前記鎌倉則繁通信部労務厚生課長をピケツトを張つている動員組合員らに「皆さんに御紹介申し上げます。こちらが香川電気通信部の鎌倉労務厚生課長でありまして、われわれと非常に深い関係にある方であります」等と紹介する一幕もあつたこと、

2 一方局側は前記のように当日勤務予定の職員に就労の呼びかけをし、これを掌握するために、鎌倉課長が同日午前六時四十分頃から携帯用マイクを使用して丸亀報話局前道路を行つたりきたりしながら、「就労の意思のある方は市役所前の広場に集つて管理者の指揮下に入つて下さい」等と同日午前八時半頃まで十数回にわたつて呼びかけたが、これに応ずる者は一名もなかつたこと、又同日午前八時四十分頃、訴外宮下義朝通信部計画課長が丸亀報話局宛に回送されて来た荷物を受領するため一階窓口事務室まで降りて来たところ、公衆溜には二十名位の支援の労働組合員が入つてきており、配達してきた訴外日本通運株式会社の係員も玄関入口の扉のところにいたので、右宮下課長が扉口まで出て荷物を受けとつた際これを取り囲んだ右労働組合員らが「こんな管理者なんか出してしまえ。」等と云われて局舎前の路上に押し出されてしまい、同日午前九時十分頃になつて玄関前にピケツトを張つていた労働組合員の中から「お前は中におつたのだから入れてやる、入れ」等と呼びかけられてピケツトに近づき、横に構えていた青竹の下をくぐつて中へ入ろうとしたところ、いきなり腕を掴まれてピケツトの中にまきこまれ、無理矢理に肩を組まされて「わつしよい、わつしよい」という掛声の下に四、五分間揉みぬかれ、漸くピケツトから脱出した後も結局入局出来ないという事態も起つたことが認められる。

(六)  而して三・一六斗争の主たる実力行使として予定された勤務時間内職場大会は、結果的には丸亀報話局一階中廊下において行われた丸亀分会女子組合員を中心とする集会と、原告組合員の外支援の部外労働組合員をも含めて丸亀分会組合員全員参加の所謂解散大会にわけて行われたこと、すなわち先ず同日午前七時二十分頃から、折柄の小雨を避けて丸亀報話局一階中廊下において女子組合員を主体とする約三、四十名の丸亀分会組合員らが集つて勤務時間内職場大会が始められ、二、三列横隊のスクラムを組んで労働歌を高唱したり、原告多田らの情勢報告を聞いたりしながら同日午前九時五十分頃まで続けられたこと(前記三、(六)2認定の事実に徴すれば、同所における集会が他面において組合側の予定していた局舎中庭出入口に張られるべきピケツトの機能をも果したものであることが窺われる。)、さらに同日午前九時五十分過ぎ頃局舎内の坐り込みや局舎外のピケツトが解かれ、丸亀報話局構内中庭において丸亀分会組合員の外に応援の原告組合員や部外の支援労働組合員ら全員を集めて所謂解散大会と称する勤務時間内職場大会が開かれたこと(前顕乙第三十五号証の三によれば参加人員約四百名)、同日午前十時直前に当日勤務予定の丸亀分会組合員らが右大会参加者の拍手のうちに就労したこと、右解散大会そのものは同日午前十時十五分頃まで続けられ、その間原告多田が被告公社主張のように司会者をつとめ、大会参加者に対する挨拶を行つたこと、原告斉藤が右解散大会において丸亀分会組合員らを整列させる等の指示を与えたことは当事者間に争いがない。

証人小島繁雄の証言により被告公社主張の日時に丸亀報話局構内中庭の状を撮影した写真であることが認められる乙第十四号証、同第三十六号証、同第三十七号証、証人原岡義行の証言によつて真正に成立したものと認められる同第四号証と証人小島繁雄、同植田計栄、同原岡義行、同山内昌孝、同中担忠の各証言と原告多田已年本人尋問の結果並びに検証の結果を綜合すると

局側は同日午前七時二十分頃訴外小島繁雄丸亀報話局労務厚生主任をして「勤務時間中の職員はただちに職場に復帰してください、局長」との職場復帰命令を記載した紙製の懸垂幕(乙第四号証)を局舎二階屋上から局舎前道路側(東側)におろし、さらに午前八時四十分頃から右懸垂幕を二階屋上から構内中庭へ向けておろしかえ、勤務予定の職員へ就労を求めたが、結局午前十時までにこれに応じた者はなかつたこと(ちなみに当日午前七時出勤の者をはじめとして午前十時までに出勤すべき者の数は後記五、認定のとおり八十二名であつた)、同日午前十時前に組合側がピケツトを解いたのに伴い、局外で就労の呼びかけ等を行つていた前記鎌倉課長ら局側管理者らも構内中庭に入り解散大会を傍聴しようとしたところ、右大会に参加していた支援労働組合員の中から「管理者がおるぞ」等という声が上り、携帯マイクをもつて司会を行つていた原告多田が「大会を妨害するものとして、管理者の方の退場を命じます」等を放送し、これに応じなかつた管理者らに対し右大会に参加していた組合員の一部の者が旗竿様のものを振り上げて「早うせんか」と言つてこれを追い出したことが認められる。

(七)  その後同日午前十一時頃から約三十分間にわたり、原告多田、同斉藤、訴外高井支部副委員長、中派遣地斗らが堀内局長ら局側幹部に対し警官導入問題について抗議と陳謝を要求して話合いを行つたこと、なお原告斉藤が勤務時間中であるにもかかわらず、右抗議行動に参加して職場を離れたことは当事者間に争いがない。

五、丸亀報話局における三・一六斗争が電信電話業務に与えた影響

そこで進んで以上に認定したような原告組合の実施した丸亀報話局における三・一六斗争が、被告公社の業務に及ぼした影響について考えてみることとする。

(一)  本件三・一六斗争実施の結果、三月十六日当日における所謂始業時から午前十時までの出勤予定者八十二名が全員出勤しなかつたことは当事者間に争いがなく、証人原岡義行の証言により真正に成立したものと認められる乙第二十四号証と証人原岡義行の証言によると、三月十六日の丸亀報話局における出勤時間別勤務予定人員は、午前七時出の者一名、同七時半出が七名(以上いずれも電話交換手)、同八時出が六名(内三名が電話交換手)、同八時三十分出が五十九名(内二十一名が交換手)、同八時四十五分出が二名、同九時出が一名、同九時十五分出が三名、同九時三十分出が一名、同九時四十五分出が二名、同十時出が一名(以上十名はいずれも電話交換手)、以上合計八十三名であつたが、午前十時出の者一名を除いたその余の八十二名全員が出勤しなかつたこと、従つて右時間帯における丸亀報話局における一切の業務はすべて局側管理者によつて行われざるを得なかつたことが認められる(もつとも午前八時三十分までは電話交換業務については九名の女子電話交換手が宿直宿明勤務についていたことは前記第二の三、(六)3認定のとおりである。)

(二)  而してこれを電話交換業務についてみるのに、局側が三月十四日指令第十号の発出されると共に電話回線規制のための準備作業(全加入電話についての優先確保順位別の分類作業を主とする)を始めたことは前記三、(五)2認定のとおりであるところ、証人堀内善一、同原岡義行、同十河歳勝の各証言によれば、堀内局長は三月十五日午後九時頃電話回線の規制の限度(確保しなければならない重要加入者数)について、二百回線、四百回線、六百回線、八百回線というように、情勢に応じて段階別の規制計画を立て、実際に交換業務に従事する応援の管理者らの数、能力等に応じて逐次規制を緩和してゆくこと、最低限四百回線は確保するようにすること等の方針を決定していたのであるが、結局前記四、(三)3認定のように組合側が坐り込みを敢行して二階修繕室での話合いも難航していた三月十六日午前七時頃最終的に四百回線を残してその余の電話回線を切断することを決定してその作業に着手したことが認められ、その結果証人十河歳勝の証言により真正に成立したものと認められる乙第三十二号証と証人十河歳勝の証言によれば、当時の丸亀報話局の電話回線二千百九十八(加入電話等二千百八十七回線、公衆電話八回線、専用電話三回線)中、加入電話等千八百三回線が規制されて三百九十五回線(十七・七パーセント)のみが残され、規制された加入電話等については一切の通話が停止されたこと、また市外電話回線についても直通待時回線四十八回線中の二十九回線(約六十パーセント)、即時回線八十三回線中の三十三回線(約四十パーセント)を規制(但し回線は切断されていないが、事実上使用しない)したことが認められる。

ところで一方三月十六日午前八時三十分頃から、局側管理者十名が電話交換室へ入り、電話交換業務に従事したことは前記四、(三)3認定のとおりであるところ、前顕乙第三十二号証と証人宮下義朝、同十河歳勝の各証言によると、これらの局側管理者の作業能率は正式に訓練を受けた電話交換手(因に被告公社においては新規採用の電話交換手は、二ケ月の学科修習と一ケ月の実地訓練を経て職務に就くのであるが、一人前になるには約三ケ年を要する)に比較して一割乃至三割程度、換言すれば一般の電話交換手が一時間に約二百八十通話の接続を行い得るのに対し、二十八乃至八十通話を捌き得る程度のものにすぎず、しかも三月十六日午前零時過ぎ頃から午前二時半頃まで丸亀報話局の電話交換について練習したのみであり、加えて午前八時三十分から午前十時まで勤務につくべき電話交換手数計三十八名に対し僅か十名の管理者が導入されたのみであつたこと、その結果として、同日午前八時三十分から午前十時までの時間帯において接続することのできた通話数は、市内通話については三百二十回であつて平常日(三・一六斗争直前の三月十四日の調査集計による。以下同じ)の同時間帯における接続数四千八百二十六回に対し僅か六・六パーセントに激減し、また市外通話については二百十五回であつて平常日の接続数千二百七十三回に対し十七パーセントまで減少し、電話番号案内等のサービスは全く行い得なかつたことが認められる。

(三)  次に電報業務についてこれをみるのに、三月十六日午前八時三十分から午前十時までの電報取扱数を通常日(三月十六日を中心とする前後一ケ月間の統計による。以下同じ)の同時間帯における取扱数を比較すると、窓口受付電報六通(通常日九通)、電話託送電報二通(通常日十通)、電報送信数八通(通常日二十通)、電報受信数八通(通常日二十通)、電報受信数十二通(通常日二十五通)、電報配達数四通(通常日二十五通、但し証人黒川英一の証言によれば、右の配達済の電報の内三通は前日受信した為替電報であつて、丸亀郵便局が為替事務を取扱う時刻になつて配達することになつていたものであり、また一通は午前八時十八分に受信していたものであることが認められる)、同日午前十時の時点での未配達の電報数は十二通、配達の最も遅れた電報は局内停滞時分一時間四十二分(着信電報で配達を要するものの受信してから配達に出るまでの局内停滞時分は標準十七分)であつて、その余の配達を要する電報もすべて相当時分遅延したこと、なお電報課の付随業務である公衆電話の窓口受付三通(平常日七通)であつたことは当事者間に争いがない。

(四)  さらに右電話交換、電報受付、送受信等の業務以外の業務、すなわち電信電話機器や電話線路の保守、加入電話の新規申込の受付、名義変更、料金計算事務、支払請求書の発行、庶務、会計、給与等の各業務についても、原告組合員である職員が一名も執務しなかつたために、執務予定者による通常の業務運営は停止してしまつたことは当事者間に争いがなく、また前記認定のように丸亀報話局に対し、業務応援のために多数の管理者を派遣した四国電気通信局、通信部、各報話局等において、管理業務にそれだけの支障を生じたことは、右事実自体から推認し得るところである。

(五)  なお一般市民からの苦情申告について、三月十六日午前七時三十分頃から午前十時頃まで数十件の苦情申告があつたこと、そのうち四件が苦情申告処理簿に記載されたことは当事者間に争いがなく、証人十河歳勝、同大成加津代の各証言によると、右苦情申告は午前七時半頃から午前八時過ぎまでは主として局不出、応答遅延が多く、午前八時半以降は通話可能の電話を利用しての通話不能の詰問が多かつたことが認められる。

六、公労法第十七条第一項、第十八条と日本国憲法(以下「憲法」と略称する)との関係

ところで前示認定の原告多田、同斉藤の行為が被告公社の主張するように公労法第十七条第一項に違反するものであるか否かを判断するに先立つて、同原告らにおいて(1)同法第十七条第一項は憲法第二十八条に違反する、従つて公労法第十七条第一項が合憲であるとの前提に立つ同法第十八条は当然違憲である、(2)仮り同法第十七条第一項が合憲であるとしても、同法第十八条は憲法第十八条、第二十八条に違反するものであり、よつてかかる違憲の法律の規定は無効であるから被告公社が公労法第十七条第一項、第十八条によつて原告多田、同斉藤に対してなした本件解雇の意思表示もまた無効である旨主張するので、以下先ずこれらの点について順次考察を加えることとする。

(一)  公労法第十七条第一項、第十八条と憲法第二十八条との関係

原告らは、公労法第十七条第一項は、公共企業体等の職員及びその組合について、公労法の適用を受けるとされる所謂三公社五現業の事業の性格やその内容の差異等を一切捨象した上、社会的にみて争議行為とされるものであれば、その規模、態様、程度等の如何を問わず一律全面的に、しかも同第十八条によつて参加者ら全員解雇という重い制裁をもつて、禁止する点において、全ての労働者に対し何らの制限なく争議権を保障した憲法第二十八条に違反するとして、縷々その理由を述べるが、公労法第十七条第一項が憲法第二十八条に違反しないことは既に最高裁判所昭和三十年六月二十二日大法廷判決、同昭和三十八年三月十五日第二小法廷判決の示すところであり、当裁判所も右各判例と同様違憲ではないと考えるから、この点に関する原告らの主張は採用のかぎりでなく、従つてまた公労法第十七条第一項が違憲であるとの前提に立つて、同法第十八条も違憲であるとする原告らの主張も理由がない。

(二)  公労法第十八条と憲法第十八条、第二十八条との関係

次に原告らは仮に公労法第十七条第一項が憲法第二十八条に違反しないとしても、公労法第十八条の規定それ自体が解雇という労働者にとつて死刑にも等しい民事制裁の威嚇をもつて一切の争議行為を禁止し、その結果として公共企業体等の職員にその意に反する苦役を強制することになるという意味において憲法第十八条、第二十八条に違反すると主張する。

憲法第十八条後段は、何人も「犯罪による処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」と規定し、所謂「意に反する苦役」からの人身の自由を保障する。ここにいう意に反する苦役とは、奴隷的拘束をも含めて、本人の意思に反して他人のために強制される労役またはこれに準ずる隷属状態をいうものであるが、かかる意に反する苦役の禁止は、当然、労働力を売らない自由乃至労働放棄の自由を保障する趣旨をも含むものと解され、従つて個々の労働者が個別的に労働契約に違反して労働力を提供しなかつたような場合や自己の自由な意思に基いて特定の使用者の下を去つたりするような場合に、就業を直接又は間接に強制する意味で刑罰をもつてこれに臨むことは、本人の意思に反して苦役に服させる結果となり、憲法第十八条に違反するものといわなければならないであろう。しかしながら、労働者が個別的に労働契約に違反して労働を放棄する場合ではなく、労働者が同盟罷業その他の争議行為として集団的に労働力の提供を拒否したような場合についても、憲法第十八条の適用があるかどうかは問題である。憲法第十八条は、本来所謂自由権的基本権に関する規定であり、近代的社会における不可欠の観念としての人格の自由とその独立を確保するため、それとは相容れない奴隷的拘束や意に反する苦役を禁止したものであつて、そこに保障されているのは前示のとおり人身の自由であり、労働者個人の労働放棄の自由に外ならない。これに対し同盟罷業その他の争議行為は、その実体において、個々の労働者のもつ労働力を売らない自由や、さらにその根拠としての憲法第十八条の人身の自由によつて基礎づけられる労働者個人の労働放棄の自由の単なる集積乃至はその集団的行使とは本質的に異なるものであり、またこれを保障する争議権は、使用者に対する関係においても労働者相互の関係においても自由権としての労働放棄の自由の集積を超える積極的な意味と内容をもつ社会権的基本権であり、むしろ市民法的な秩序の基底をなす一般的抽象的な意味における右のような人格の「自由」の観念、換言すればすべての社会関係を個人の自由な意思を基礎とした契約関係として理解しようとする近代市民法的原理に対し、直接間接に拘束を加え、本質的にはこれを否定する原理に立脚するものなのである。その意味において、争議権は自由の観念とは異つた原理に立脚した特別の権利として把握すべきものであり、強制労働の禁止の法理と争議権とを原理的に全く同質のものとみることはできず、強制労働禁止規定の存在によつて争議行為の正当性乃至争議権の存在を主張しようとすることは当を得ないものである。従つて公労法が公共企業体の職員又はその組合に対し、集団的組織的行為としての同盟罷業等争議行為を規制すること自体は、その限りにおいて何ら憲法第十八条に違反するものではない。

のみならずその意に反する苦役の禁止という憲法上の原則は、もつぱら国家の公権力によつて、個々の労働者の継続的な労務の提供が強制されることに対して適用されるのであつて、その典型的な事例は前示のように労務の不提供を刑事上の犯罪として処罰することであるが、罰金、拘留、不履行に対する制裁としての損害賠償金の賦課等による間接強制の手段による労務提供の強制などもその意に反する苦役の禁止の原則の適用を受けるであろう。しかし、違法な争議行為に対して損害賠償等の民事上の責任を問うことは右の原則と何ら関係はないのである。而して公労法第十七条第一項に違反した職員に対しては、同法は労働法的保護を拒否し、同法第三条によつて所謂民事免責に関する労働組合法第八条の規定の適用を排除して公共企業体等による損害賠償の請求を許すとともに、公労法第十八条によつて、当該職員を解雇することができるとしたのみであつて、何ら罰則の定めを置かず、しかも右法条にいう解雇は、公共企業体等にあつては職員の同盟罷業等による業務の停廃の一般国民に及ぼす影響がきわめて大きいところから、かかる争議行為を防止するため、争議行為を行つた職員を公共企業体等の労働関係から排除することによつて事業の継続を確保するという意味において認められたものであつて、争議行為を行つたことを事由に、労働契約を解除する、いわば通常解雇であり、職員の義務不履行に対する制裁としての懲戒解雇ではなく、従つて公共企業体等としては右のような事由で職員を解雇しても不当労働行為にはならないというにすぎない。従つて公労法第十八条の規定そのものは何ら憲法第十八条に違反するものではないと云わなければならない。なるほどわが国における雇用関係の実態は、終身雇用を原則とし、一旦ある雇用関係から離脱すると、自ら他に同等の雇用関係を求めて就職することは特別の場合を除き極めて困難であり、ことに所謂中高年令者層にその傾向の著しい事実を否定することはできず、このことが事実上公共企業体等の職員に対して労務放棄を行わせないようにする強い心理的圧迫を加え、ひいては刑罰によつて個々の職員の労務放棄を禁止するのと同様の効果をもたらすのではないかとする懸念も無理からぬ点があるけれども、それだからといつて本質的に異るものである刑罰と解雇(しかも制裁処分ではない)を同一視することは到底出来ないし、違法な争議行為に対し民事上の責任を問うことまでも許さないとする理論を憲法第十八条を根拠として主張することは、一つの飛躍であつて、合理的理由を持ち得ない。

以上のような次第で公労法第十八条が憲法第十八条に違反するとし、従つてまた憲法第二十八条にも違反するとする原告らの主張は採るを得ない。

七、次に被告公社は前示認定のような原告組合の実施した三・一六斗争及びその一環としての丸亀報話局における原告斉藤、同多田らをはじめとする原告組合員らのとつた団体行動は、賃金引上げ等の原告組合の被告公社に対する春斗諸要求を貫徹するために、被告公社総裁の中止の警告、あるいは丸亀報話局長の退去命令、職場復帰命令を拒否して、組合員全員がその職務を放棄し、また管理権者の許可なくして丸亀報話局庁舎内に坐り込んで局側管理者らの業務執行を妨げる等して、被告公社業務の正常なる運営を阻止したものであつて争議行為であるとなし、原告多田、同斉藤は自ら右争議行為を実行したのみでなく、その具体的実施方法について他の組合幹部らと共謀し、あるいはこれをあおり、そそのかしたものであつて公労法第十七条第一項に違反したと主張する。これに対し、原告多田、同斉藤は右三・一六斗争はそれ自体正当なものであつて公労法第十七条第一項の禁止する所謂争議行為に該当しないとし、かりにしからずとするも同原告らは右争議行為を共謀し、そそのかし、若しくはあおる行為をしていないと反論し、その理由を縷々説明する。そこで以下これに関する争点について順次検討することにする。

(一)  丸亀報話局における三・一六斗争の実施と公労法第十七条第一項前段との関係

1 公労法第十七条第一項の法意は、公共企業体等の職員の同盟罷業等の争議行為による業務の停廃が一般公衆に及ぼす影響の極めて大きいところから、かかる争議行為による事業の停廃を防止し、その業務の正常な運営の円滑な遂行を確保することにあると考えられ、従つて同条項は公共企業体等の職員の団体がその主張や要求を貫徹するために、その所属の職員をして労務の提供を一斉に集団的に停止させる同盟罷業であろうと、あるいは職員の提供する労務の能率を集団的に一斉に低下せしめる怠業であろうと、およそ公共企業体の通常の運営において経常的客観的に期待される業務に何らかの支障を来たすような職員の組織的活動をすべて禁止する趣旨であつてその行為の目的が職員の適正な労働条件の確保向上のためであると、団体交渉権の回復擁護のためであると何であるとを問わないものというべきである。

原告らはこの点に関し、公労法第十七条第一項を合憲的に解釈しようとすれば、右条項の禁止する争議行為は第一に大衆の生活を脅かす程度のものであること、第二に解雇に値するだけの違法性の著しいものであること、第三にわが国現存の経済機構をゆさぶる程度の大規模なものであることを要するとし、右見地に立つて本件三・一六斗争が公労法第十七条第一項の禁止する争議行為に該当するか否かは、その目的と動機が正当であるか否か、その斗争が原告組合員にとつて必要且つ緊急欠くべからざるものであつたかどうか、斗争においてとられた実力行使の方法が社会的に相当であるかどうか、その実力行使によつて一般の市民にいかなる影響を与えたか等の諸点を検討した上で決せられるべきであると主張するが、当裁判所は公労法第十七条第一項の規定それ自体が日本国憲法に違反しないものと解するものであつて、原告ら主張のような解釈をすることによつて始めて同条項が合憲であるとは考えないことは前記六、認定のとおりであり、

既に昭和三十八年三月十五日最高裁判所第二小法廷は公共企業体等の職員は争議行為を禁止され争議権自体を否定されている以上その争議行為の正当性の限界如何を論ずる余地のない旨の判決をしているのであつて、本件もまた右判決の趣旨に沿つて律せらるべきものであると考える。そうだとすれば、公労法第十七条第一項の禁止する同盟罷業その他の業務の正常な運営を阻害する行為に該当するか否かは、その目的や程度の如何を問わず前記のような観点に立つて判断すべきものといわざるを得ない。もつとも同条項に違反する所謂争議行為であつても、その態様や程度は原告らの主張するように千差万別であり、従つて極めて軽微な争議行為であつて一般の市民の社会生活に殆ど影響がないような場合に、公労法第十八条によつて解雇されるようなことがあれば、それはいかにも不当であり、その労働者の生存権が危くされるものであるといわなければならない場合もあり得るであろう。しかしそれはむしろ公労法第十八条の適用に当つて解決されるべき問題である。すなわち公労法第十八条の規定の趣旨は、公共企業体等は、同法第十七条第一項によつて禁止されている行為を行つた職員を解雇することが建前であるということであつて、具体的な場合に職員を解雇するか否かは、公共企業体等が判断し決定できるわけであり、違反行為をした職員が当然に解雇されるとか、あるいは必ず解雇しなければならないという意味ではないから、公共企業体等がある職員を解雇した場合に、それが権利の濫用とみられるような場合には、それを理由に解雇が無効であることを主張し得るわけである。従つて公労法第十八条が解雇を規定していることから、このこととの関連において同法第十七条第一項の禁止する業務の正常な運営を阻害する行為は解雇に値する程度のものに限ると解するよりも、むしろ公労法第十七条第一項に違反した職員であつても、それが解雇に値するかどうか、解雇が権利の濫用にならないかどうか等を公労法第十八条適用の問題として考察する方が実定法の解釈としても妥当である。よつて原告らの右主張は採用のかぎりではない。

2 そこで前示第二の三以下に認定したような丸亀報話局における三・一六斗争の実施が公労法第十七条第一項前段の禁止する公社の業務の正常な運営を阻害するものであつたかどうかについて順次検討することとする。

而して右三・一六斗争が原告組合中央斗争委員会の指令第十号に基いて、原告組合の昭和三十六年度春斗の諸要求を実現するための手段として実施されたものであることは、前示第二の二、(三)認定のとおりであるところ、

(1) 三月十六日丸亀報話局において午前七時二十分から午前九時五十分過ぎ頃までと、同時刻頃から午前十時頃までの二回にわたり、丸亀分会組合員ら参加の下に勤務時間内職場大会が開催されたことは前示第二の四、(六)等に認定のとおりであるが、右事実によると、原告斉藤をはじめとする当日出勤予定の丸亀分会組合員全員の勤務時間内職場大会への参加及びこれに伴う職務放棄は、組合の統制下に、丸亀報話局長の職場復帰命令を拒否して一斉に行われたものであり、そこにいう勤務時間内職場大会は、それに参加することがとりも直さずその間勤務に服さないことを意味するにとどまらず、むしろ勤務に服さないことを目的としてなされたものと認められ、しかもその結果として前示第二の五認定のように被告公社の業務に多大の支障を生じたものであるから、公労法第十七条第一項にいう業務の正常な運営を阻害する行為であつて、これを実質的にみれば同盟罷業(所謂時限ストライキ)にほかならないものというべきである。

而して原告斉藤は、丸亀報話局施設課員として、三月十六日勤務しなければならなかつたのにも拘らず、自らもその職務を放棄して勤務時間内職場大会(所謂解散大会)に終始参加した点においてその行為者としての責任を免れない(但し、丸亀報話局一階中廊下において行われた女子組合員を中心とする職場大会にも同原告が参加したことを認めるに足る証拠はない)。

次に原告多田が二回にわけて行われた勤務時間内職場大会に出席し、支部斗争委員長として情勢報告や挨拶を行つたことは前示第二の四、(六)認定のとおりであるが、当時同原告は高松電報局所属の所謂組合専従役員であつたことは原告多田已年本人尋問の結果により認められるところであり、従つて同原告については所謂幹部責任を問われる場合を別として(この点については後記3参照)、職員が勤務時間中に集団的に一斉に職務を放棄するという前示の意味における勤務時間内職場大会に参加した丸亀分会組合員と同様の意味においての実行行為者としての責任はないものというべきである。

(2) 次に拠点局所となつた丸亀報話局における三・一六斗争の一過程として、原告多田、同斉藤らをはじめとする多数の原告組合員(約七十名に達したことは当事者に争いがない)が、三月十六日午前四時半頃丸亀報話局庁舎内になだれ込み、二階電話交換室通常出入口前廊下及び電話交換室へ通ずる非常階段の二ケ所に坐り込んで電話交換室の出入口全部をふさぎ、訴外堀内善一丸亀報話局長の退去命令を拒否して同日午前九時五十分過ぎ頃まで坐り込みを続けたことは前示認定(第二の四、(一)の2及び(二)の各事実)のとおりであるが、その目的は多数の局側管理者らが組合側のいう所謂スキヤツブ(スト破り)として電話交換室へ入室して電話交換業務に従事することを阻止しあわせて宿明勤務の電話交換手らの定時退庁を確保し、続いて予定されていた勤務時間内職場大会を実効あらしめんとすることにあつたことは、拡大戦術会議(前示第二の三、(六)2)や緊急戦術会議(前示第二の四、(一)1)の内容等坐り込みを実行するに至るまでの経過、坐り込みの多数組合員らの勢威を背景に局側に強要して行われたその後の話合いの内容や経過、局側管理者らの電話交換室への出入が抑制されたこと(前示第二の四、(二)、(三)及び(四))等の事実や、証人橋本胥、同日置容正の各証言によると、組合側としても勤務時間内職場大会の開催される時間帯以前に被告公社側の管理者その他の要員が職場大会戦術の「効果」を減殺するために関係局舎内に入つて業務につくことを予想し、かかる事態が起つた場合には当然局舎内に坐り込んでこれを阻止すること等を決め、その判断は現地派遣中央斗争委員に委されていたことが認められるところからも、明白である。これに対し原告らは右坐り込みは三月十五日における局側管理者らの飲酒行為、訴外岡内唯志通信部次長の電話交換室での女子組合員らに対する暴言並びに前記同日午後十一時四十分頃以降の組合側の話合い申入れを局側が事実上拒絶したこと等に対する組織的な抗議行動として緊急やむなく行つたものであり、管理者らの電話交換室への入室ができなかつたことはその結果であつて目的ではなかつたから、正当な行動であると主張するが、なるほど管理者らが三月十六日前夜に飲酒したこと、右岡内次長が飲酒の上電話交換室を見廻つたこと、局側が結局右組合側の申入れに応じなかつたことは前示第二の三、(六)認定のとおりであり、組合側がこれを不快に感じ坐り込みの理由の一つとしたことは証人中担忠の証言や原告多田已年本人尋問の結果によつてこれを認め得るけれども、局側にかかる行為があつたからといつて、それをもつて直ちに坐り込みをすることが緊急やむを得ないものとは到底考えられないし、むしろ坐り込みの主目的は、組合側のいうスキヤツブ(スト破り)としての応援管理者らの電話交換室への入室を抑制することにあつたと認められることは前示のとおりであるから、この点に関する原告らの主張は採用できない。

そして右坐り込み及びその勢威を背景とする組合側との話合いの結果、局側は十名の応援管理者らを電話交換業務に従事させることを組合側に許容された以外には、管理者らが電話交換室へ出入することは、用便その他組合側が必要と認める場合をのぞいては完全に阻止され(前示第二の四、(四))、しかも当日午前七時以降午前十時までに出勤すべき合計四十一名の電話交換手らが一斉に職務を放棄して職場大会へ参加したことと相俟つて丸亀報話局における電話交換業務に多大の支障を生じたことは前示第二の五、(一)及び(二)に認定のとおりである。原告らはこの点について、局側は電話回線を約四百回線に規制することは、すでに三月十四日の段階で決定していたことであつて、原告組合員らの坐り込みと電話交換業務に生じた支障との間に因果関係はない旨主張する。局側が三月十六日に予定された勤務時間内職場大会に備えて三月十四日から電話回線規制の準備作業(全加入電話加入者を一定の基準に基いて優先確保順位別に分類する作業)をはじめたことは前示第二の三、(五)2認定のとおりであるが、訴外堀内善一丸亀報話局長は、三月十五日午後九時頃規制すべき電話回線数についてはこれを数段階に分けて、実際に電話交換業務に従事し得る応援管理者数やその能率等具体的情勢に応じて逐次規制を緩和してゆくこととし、最低限度三百九十五回線は確保するという方針を決定したのであつて、組合側が坐り込みを行い、局側と組合側との話合いも進展をみないので、遂に三月十六日午前七時頃最終的に最低限度の三百九十五回線に規制を決定して作業を始めさせた事実(前示第二の五、(二))や前示入室管理者数の抑制の事実、坐り込みが話合い終了後も継続されていた事実等を勘案すれば、原告組合員らの坐り込みがなかつたならば、電話交換業務の支障の程度がさらに緩和されたであろうことは容易に推認し得るところであつて、この点に関する原告らの主張は理由がない。

而して電話業務は電報業務とともに、今日の高度に発達した社会体制の下にあつては政治、経済等の各方面において欠くべからざる必要性と重要性を有し、いわば社会の神経としての役割を果すものであつて、その性質上一刻もその停滞を許されず、しかもそれが被告公社の独占的に運営するものであること等と相俟つて極度の公共性を有することを考えれば、原告組合が三月十六日に予定した組合員全員参加の勤務時間内職場大会(それが実質において同盟罷業であることは前項(1)に認定のとおりである)の実施により、電話交換業務等が停止することに対処して、局側が出来るかぎり業務の停廃を避けるための手段として、応援の管理者らを電話交換室へ入れて、電話交換業務に従事させようとしたことは局側としては当然とるべき方法であり、その業務執行行為であるというべきである。このような電話交換業務を行おうとする者に対してその実行を中止するように平和的に説得するのであればいざ知らず、原告多田、同斉藤らが多数の組合員らとともに三月十六日午前四時三十分頃丸亀報話局局舎に坐り込み、丸亀報話局長の退去命令を拒否して被告公社の庁舎管理権を侵害して長時間これを継続し、その間管理者らの電話交換室への出入を阻止するとともに、坐り込みの勢威を背景として局側に話合いを要求し、原告多田、同斉藤や中派遣地斗らが中心となつて、出来るかぎり多くの応援管理者らを電話交換業務に従事させようとする局側の申入れを拒絶し、その入室者数を十名までに制限したことは、実力行使をもつて局側の前記業務執行行為を阻止したものとして、公労法第十七条第一項にいう業務の正常な運営を阻害する争議行為(所謂職場占拠)であることは否定できない。なお原告らは電話交換室への応援管理者らの入室者数を十名に制限したのは火災予防のための人員ということで局側と話し合つた結果によるものであるからそれで十分であつて、何ら違法でないと主張し、あるいは三月十六日午前八時半頃局側と組合側との間に話合いが成立した後の坐り込みについては局側はこれを黙認していたものである等と主張するが、修繕室や所謂専門家会議における要員算出の意味と目的が、約四百回線の重要通信を確保するに必要な要員の応援管理者数の算出にあつたことは前示第二の四、(三)以下に認定のとおりであつて、右の人員では到底不十分であつたことは前叙に照して明らかである。また三月十六日午前八時半以後の坐り込みについて局側が黙認したとの点についても、前示認定の坐り込み並びに話合いの経過、並びに証人岡内唯志の証言によつて認められる局側が退去命令を記載したビラ(前顕乙第三号証)を午前十時過ぎまで掲出していた事実を勘案すれば、局側が坐り込みを黙認したものとは到底認められない。

(3) さらに三月十六日午前六時三十分頃より主として部外支援団体の労働組合員らを中心として丸亀報話局玄関(公衆出入口)及び通用門前道路上にピケツトが張られ、その人数は百七、八十名にも達し、鉢巻をしめたり、腕章をつけたり、あるいは労働歌を高唱する等して気勢をあげ、午前九時五十分過ぎまで続けられたことは前示第二の四、(五)に認定のとおりであるが、右ピケツテイングも前示第二の三、(二)2(三)1(六)2認定の各事実や証人高井弘二の証言に照らすと応援管理者らの入局を阻止し、あるいは組合の指令に違反して就労しようとする組合員がある場合これを説得して職場大会に参加させる等の目的をもつて前記勤務時間内職場大会の実効性を確保しようとするものであつたことは明らかであり、従つて所謂補強的争議行為として、公労法第十七条第一項にいう業務の正常な運営を阻害する行為であるとの評価を免れない。しかしながら、被告公社の主張するように原告斉藤が自ら右ピケツテイングに参加したとの事実を確認するに足る証拠はない。

(4) さらに被告公社は、原告斉藤が三月十四日午後九時頃から丸亀報話局構内線路詰所において分会斗争委員会を開催した事実(前示第二の三、(四)4)、原告多田、同斉藤が三月十五日午後九時頃と午後十一時頃局側の動静等を調査するために丸亀報話局に入つた事実(前示第二の三、(六)の2及び3)及び三月十六日同原告らが前記線路詰所において所謂緊急戦術会議を開催した事実(前示第二の四、(一)1)等について、これらはいずれも局舎管理権者の許可なくして無断で局舎内に入り、あるいはこれを使用したものであつて、施設管理権の侵害であり、公労法第十七条第一項の業務の正常なる運営を阻害する行為に該当すると主張するようである。

前顕乙第二十一、第二十二号証と成立に争いのない甲第十六号証(六十七頁)と証人堀内善一、同山内昌孝の各証言並びに弁論の全趣旨を綜合すると、被告公社と原告組合との間には、原告組合が組合活動のために被告公社の局舎又は設備を使用する必要がある場合には予め被告公社に対しその使用願を提出して許可を受けなければならないこと等を取決めた覚書(「組合活動に伴う局舎および設備の利用ならびに組合専従休暇中の職員の身分給与等の取扱いに関する覚書」)がかわされ、丸亀報話局においても右趣旨に従い、従来組合側は局舎管理責任者である丸亀報話局長に対しその都度「組合活動に伴う局舎および設備の利用願」を提出して許可をうけていたのであるが、前記分会斗争委員会及び緊急戦術会議の開催については、右許可を受けなかつたこと、原告多田、同斉藤が局舎管理責任者である訴外堀内善一局長の許可なくして前記のように丸亀報話局内に入つたことを認めることができ、右各行為はなるほど被告公社の施設管理権を侵害する行為であり、また本件三・一六斗争に関連しその準備としての先行行為ということはできるが、その行為自体によつて特に被告公社の業務の正常な運営が妨げられたとの事実も認められないから、同原告らの右行為を特に争議行為として問責する程のこともない。したがつて被告公社の右主張は理由がない。

(5) 次に原告斉藤が三月十六日午前十一時頃から約三十分間にわたり、勤務時間中であるにも拘らず職場を離脱し、原告多田、中派遣地斗らと共に訴外堀内善一丸亀報話局長に対し、警官導入問題について抗議した事実(前示第二の四、(七))について、被告公社はこれをも公労法第十七条第一項の業務の正常な運営を阻害する行為であるとするが、同条項にいう争議行為は、労働組合あるいは争議団のような職員の団体がその主張を貫徹するため、集団的に行う労務不提供等の行為で、公共企業体等の業務の正常な運営を阻害するものを意味し、労働者個人の行う団体的統一意思に基かない労務提供拒否行為は含まないものと解すべきものであるから、原告斉藤がすでに勤務時間内職場大会の終了後、警官導入問題について丸亀報話局長に抗議するため、自己の意思に基いて個人的に職務を放棄した右行為それ自体は、公労法第十七条第一項前段の争議行為には該当しないものである。

よつてこの点に関する被告公社の主張は理由がない。

(6) 以上により丸亀報話局における本件三・一六斗争に関して実施されたところの、(イ)丸亀報話局局舎内への坐り込み、(ロ)局舎前におけるピケツテイング及び(ハ)勤務時間内職場大会の開催は、明らかに公労法第十七条第一項前段の規定の禁止する争議行為に該当するものであり、原告多田は右坐り込みについて、また原告斉藤は右坐り込み及び勤務時間内職場大会について、それぞれこれに参加した実行行為者として問責されるべきものである。

3 ところで被告公社は、原告多田、同斉藤について単に右の意味における実行行為者としての責任を問うのみでなく、さらに同原告らが原告組合の幹部として丸亀報話局における前記争議行為全般を指揮指導し、これを実行せしめた点において、同原告らの参加あるいは実行しなかつた部分についてもその責任(所謂幹部責任)があると主張するので考えるに、一般に違法な争議行為については、それに参加した組合員だけでなく、その争議行為を企画し、決議し、また執行し、指揮した組合役員、ことに争議行為の現場に臨んで自らその処置について指揮した斗争委員は、現実には自ら争議行為に参加し、あるいは実行しなかつたとしても、当該争議行為について組合幹部としての責任を負うべきものであり、しかも斗争委員は自己の傘下にある組合員の行動に限らず、自らその支援を求めたような密接な関係にある部外の応援団体(所謂共斗関係にある労働組合等)の行動についても責任があるといわなければならない。これを本件についてみるのに、原告多田は本件三・一六斗争について香川支部斗争委員長として、また原告斉藤は拠点局所である丸亀報話局分会長として、丸亀報話局における三・一六斗争の実施について、度重なる支部斗争委員会あるいは分会斗争委員会等を開催して、中央斗争委員会の指令その他上級機関の実力行使の実施方針についてこれを具体化し、実施方法の細目にわたつて協議決定し、あるいは支部斗争連絡、分会斗争連絡等によつてこれを一般組合員らに指令し、さらに争議行為の現場に臨んで、これを指揮したこと等は前示認定のとおりであるから、被告公社主張のとおり前記認定の争議行為全般について、幹部責任を免れないものといわなければならない。

この点について原告らは、本件三・一六斗争は直接的には原告組合中央斗争委員会の指令第十号に基いて全国統一斗争として行われたものであり、その斗争方法についても、組合員全員の民主的な討議検討を経て第十三回全国大会、第二十六回中央委員会等において組合自身の決議したものであり、さらに具体的には丸亀報話局における三・一六斗争実施の最高責任者は中派遣地斗であつて、同人のみが一切の権限と責任を有し、原告らは単に右指令や中派遣地斗の指示により原告組合員として当然なすべきことをなしたまでであつて、何ら本件三・一六斗争を企画指導し実行せしめたものではない旨反論するが、本件三・一六斗争の主要な実力行使として行われた勤務時間内職場大会が実質において同盟罷業であつて公労法第十七条第一項前段の禁止するものであることは前示のとおりであるから、中央斗争委員会の指令第十号が違法な争議行為の指令であつたことは明白というべく、従つて原告組合員としてはかかる指令に従う義務はなく、また従うべきでもないから、三・一六斗争が全国統一斗争として原告組合の決議に基き組合の意思として行われたとの一事をもつて、それに参加し、もしくは積極的にこれを推進し、指導し、あるいは各拠点局所において具体的な実力行使の細目について企画、立案した組合役員らが違法行為者としての個人責任を免れるものではなく、このことは上部機関の組合役員であると下部機関の組合役員とで別に変りはなく、ただその違法行為責任の程度の評価において差異を生ずるにすぎない。さらにまた、本件三・一六斗争の実施にあたり、訴外日置容正中央斗争委員が四国地方本部へ、また訴外中担忠四国地方本部斗争委員が香川県支部へ、それぞれ斗争の指導責任者として派遣せられ(前示第二の二、(三)3(2)及び第二の三、(二)2)、ことに右中派遣地斗が、香川県支部関係の三予備拠点局所の各局長に対し自分が斗争の最高責任者である旨の通告を行つたこと(前示第二の三、(四)1(五)1)は前示認定のとおりであるが、証人中担忠、同日置容正の各証言の一部及び前示第二の二、(一)、及び第二の三、(一)認定の原告組合の組織と運営方法、前示第二の三、(二)以下に認定の三・一六斗争の経過並びに弁論の全趣旨を綜合すると、なるほど中派遣地斗は香川県支部関係の三・一六斗争の実施についての最高責任者ということで派遣されたものではあるけれども、それによつて香川県支部斗争委員会あるいは丸亀分会斗争委員会の機能が一切停止され、原告多田ら組合役員が斗争委員としての資格を失い、中派遣地斗がいわば独裁的に斗争を指導したというが如きものではなく、むしろ中派遣地斗をも構成員に加えた臨時の支部斗争委員会(所謂戦術会議)を設置し、これに支部執行委員会の権限を移譲して、実力行使についての指導を行わせ、中派遣地斗はその戦術会議における最高責任者という形をとつたものと認めるのが相当であり、また右各資料によれば、中派遣地斗は元来愛媛県(松山電報局分会)の出身であつて、香川県支部関係については殆ど馴染がなく実情に暗かつたことから、中央斗争委員会等上部機関において決定され、あるいは指示した基本的斗争戦術を具体化して実施する(例えば各分会への動員割当数の決定、外部支援団体への共同斗争の依頼、動員組合員の移動、宿泊、ピケツテイングを張る場所の選定等)については、事実上すべて支部斗争委員、場合によつては分会三役等を加えて、協議決定され、中派遣地斗の承認を得たものであり、これら決定事項のうち必要なものは支部斗争連絡あるいは分会斗争連絡として発出されたこと、支部斗争委員、分会斗争委員らはその協議によつてそれぞれ争議行為の現場における指導責任を分担して活動したことが認められ、証人日置容正、同中担忠、同高井弘二の各証言及び原告多田已年、同斉藤照和各本人尋問の結果中、右認定に反する部分は俄かに措信し難い。

以上により原告らの前記主張は採用できない。

(二)  原告多田、同斉藤の前示行為と公労法第十七条第一項後段との関係

1 丸亀報話局において実施された本件三・一六斗争が公労法第十七条第一項前段に規定する同盟罷業、その他業務の正常な運営を阻害する行為に該当するものであることは前記(一)認定のとおりであるから、さらに右斗争に関与した原告多田、同斉藤の行動が同条項後段に該当するか否かについて判断する。

2 先ず公労法第十七条第一項後段にいう「共謀し」とは二人以上の職員が、公共企業体等の業務の正常な運営を阻害する意思をもつて、その実行方について共通の意思決定をするために謀議することをいうものと解すべきところ、以上の見地に立つて原告多田、同斉藤らの行為について考えてみるに、

原告多田は原告組合香川支部の執行委員長として、同斉藤は同支部丸亀分会の分会長として共に、前認定のとおり中央本部の指令、指示等に従い、本件三・一六斗争の一環としての拠点斗争を実行することを決意して、

(1) 三月十一日原告斉藤において、丸亀報話局構内線路詰所において分会斗争委員会を開催し、オルグとして出席した訴外猪谷敏昭支部書記長らから、指令第九号発出に伴う実力行使の大綱等について説明を受けてこれを確認し、総決起大会の開催等について謀議したこと(前示第二の三、(二)1)、

(2) 三月十三日午後一時過ぎ頃から原告多田において、支部斗争委員の外に中派遣地斗をも加えて支部斗争委員会(第一回戦術会議)を開催し、拠点斗争に伴う陽動作戦の実施方法や各分会への動員割当数の決定、動員された組合員の集結、移動方法、ピケツテイングによる管理者の入局阻止、各拠点候補局に対するオルグ責任者の選任等について謀議したこと(前示第二の三、(三)1)、

(3) 三月十四日午後七時頃から訴外大成繁方において支部斗争委員会(第二回戦術会議)が開催され、原告多田らは支部斗争委員の外中派遣地斗も出席して、共に、指令第十号の発出に伴い、さらに実力行使の具体的方法について細い検討を行い、外部支援団体への動員要請の問題、宿直宿明者対策、始業時の決定の問題等について謀議したこと(前示第二の三、(四)3)、

(4) 同日午後九時頃から丸亀報話局構内線路詰所において分会斗争委員会が開催され、原告斉藤はその他の分会役員の外、訴外猪谷敏昭支部書記長出席の下に、第二回戦術会議の結果に基いて、具体的な実力行使の方法について討議確認し、分会斗争連絡第二十一号の発出を共に協議決定したこと(前示第二の三、(四)4)、

(5) 三月十五日午後七時頃から七福旅館において支部斗争委員会(拡大戦術会議)が開催され、中派遣地斗や原告多田をはじめとする支部斗争委員の外に原告斉藤ら分会三役も参加して局側の動静の把握、ピケツテイングの配置、その指導責任者、勤務時間内職場大会を丸亀報話局中庭で開催すること、スキヤツブ対策等について謀議決定したこと(前示第二の三、(六)2)、

(6) 三月十六日午前二時頃から丸亀報話局構内線路詰所において支部斗争委員会(緊急戦術会議)が開催され、中派遣地斗、原告多田をはじめとする支部斗争委員、原告斉藤ら分会三役出席の下に、丸亀報話局局舎内への坐り込みを謀議決定したこと(前示第二の四、(一)1)、

は、いずれも丸亀報話局における三・一六斗争の実施方について、協議し、もつて前認定の本件争議行為を共謀したものといわなければならない。

3 次に公労法第十七条第一項後段は、公共企業体等の職員は、同項前段の禁止する所謂争議行為をそそのかし、若しくはあおる行為をしてはならない旨を規定する。ここにいう「そそのかす」行為及び「あおる」行為の概念について考えてみるに、先ず「そそのかす」行為とは右の争議行為を実行させる目的をもつて、他の特定又は不特定の職員に対し、その行為を実行する意思を新たに生じさせるに足りるような慫慂行為をすることを意味し(昭和二十七年(あ)第五七七九号昭和二十九年四月二十七日第三小法廷判決参照)、また「あおる」行為とは、右争議行為を実行させる目的で文書もしくは図画または言動によつて、他の特定又は不特定の職員に働きかけて、争議行為を実行する決意を生ぜしめるような、またはすでに生じている実行の決意を助長させるような勢のある刺戟を与えること、換言すれば相手方の感情に訴える方法により、その興奮、高揚を惹起させることを意味し(昭和三三年(あ)第一四一三号昭和三十七年二月十一日最高裁判所大法廷判決参照。)、いずれの場合においても右行為によつて相手方が現実に影響を受けることは必要としないが、客観的にみてその行為自体が職員の争議行為の実行に対して影響を及ぼす危険性があると認められるべきものであれば足りるものと解することができるが、その区分は必ずしも明確とは云い難く、むしろ公労法第十七条第一項後段の規定の趣旨は、公共企業等の社会公共的性格にかんがみ、その業務の正常な運営を確保するために、その職員及び組合の争議行為を単にその実行行為の段階において禁止するに止まらず、さらに予防的見地から、その実行行為の原動力となり、又これを誘発するおそれのある行為を直接禁止しようとするものであることからして、これを要するに、「そそのかし、若しくはあおつて」とは、公共企業体等の職員が、他の特定又は不特定の職員に働きかけて、公共企業体等の業務の正常な運営を阻害する行為をするようにしむける一切の行為を総称するものであり、従つて職員が右争議行為の実行を指令し、当該指令の実行を鼓舞若しくは要求する意図をもつてこれを伝達する行為、あるいは演説、説得、所謂アジビラの配付、貼付等手段の如何を問わず、争議行為の実行を鼓舞し、慫慂し、説得する行為等は、それが客観的にみて業務の正常な運営を阻害する行為の実行に現実に影響を及ぼすおそれがあると認められる限り、右の「そそのかし、若しくはあおる」行為に該当するものといわなければならない。

以下被告公社主張の原告多田、同斉藤の行為が、争議行為をそそのかし、若しくはあおる行為に該当するかどうかについて検討するに、先ず証人大成加津代、同須藤宏三の各証言を綜合すると、原告組合第二十六回中央委員会(前示第二の二、(三)1)の開催に先立つて、二月初旬頃丸亀分会職場委員会が開催され、昭和三十六年度春斗に際して拠点斗争方式をとるか否か等右中央委員会の議案について協議がなされたのであるが、当時丸亀分会としては必ずしも組合員全員が拠点斗争方式の実施について賛成していたわけではなく、電話運用課選出の職場委員らはこれに反対する態度を表明するものがあつたことが認められるのであつて、かかる事実を前提として考察を進めることとする。

(1) 三月十一日訴外猪谷敏昭支部書記長、同大成繁支部斗争委員が、所謂オルグ活動のために丸亀報話局に赴き、同人らを交えて開催された分会斗争委員会の席上、原告斉藤をはじめとする分会役員らに対し、指令第九号発出の事情や実力行使の方法等について説明し、分会としても一致団結して斗う体制を確立するよう努力して欲しい旨を要請し、そのために分会組合員らに中央情勢や実力行使の大綱等を周知徹底させるための機会を設けるよう慫慂したこと(前示第二の三、(二)1)はその行為自体をとつて考えれば争議行為の実行をそそのかしたものと云うことができる。そうして右猪谷らが支部役員であり、原告多田が支部斗争委員長であつたことと右認定の事実並に弁論の全趣旨によれば、右猪谷らのオルグ活動は原告多田らとの共謀の上でなされたものと認めるを相当とする。

次に原告斉藤については、同原告が訴外猪谷敏昭支部書記長の要請に基いて右分会斗争委員会を開いたことは前認定のとおりであるが、同原告がその席上自ら争議行為をあおり、若しくはそそのかすような言動をなしたとの事実を認めるに足る証拠はなく、むしろ同原告としては他の分会斗争委員らと共に右猪谷支部書記長らの情勢報告等を聞く立場にあつたことは前示第二の三、(二)1の事実から窺われるところであり、単に分会斗争委員会を開催したとの点を捉えて直ちに争議行為をあおり、そそのかしたものと云うことはできない。この点に関する被告公社の主張は理由がない。

(2) 次に三月十三日原告多田が丸亀分会関係のオルグ責任者として、丸亀報話局へオルグ活動に赴き、同日開催された丸亀分会職場委員会の席上において、予想される実力行使の態様や実力行使に突入する場合の原告組合員としての心構え等について説明し、一致団結して斗うよう強調したこと(前示第二の三、(三)2)は、その段階において、その限度において本件争議行為をあおり、そそのかしたことに該当する。

ところで被告公社は、原告斉藤についても丸亀分会長として右分会職場委員会を開催し、原告多田をしてオルグ活動を行わせたという点で争議行為をあおり、そそのかしたものであると主張するが、原告斉藤が特に原告多田を招いたという事実を認めるに足る証拠もなく、三月十一日の分会斗争委員会において開催方を決められていた右職場委員会に原告多田が同分会関係のオルグ責任者としての独自の立場で参加したものであることは前認定の事実に徴して明らかであり、また原告斉藤が右職場委員会において自ら争議行為をあおり、そそのかすような言動をしたとの事実も未だこれを認めるに足りないから、被告公社の該主張は採用できない。

(3) 三月十四日原告多田が自己名義で支部斗争連絡第十六号を発出し、香川支部傘下の各分会に対し、来るべき三月十六日の時間内職場大会の実施に備えて、拠点局所に対して動員すべき員数を割当指示したこと(前示第二の三、(四)1)は、前同様本件争議行為をあおり、そそのかしたことに該当する。

(4) 三月十四日午後五時過ぎ頃から、丸亀報話局に隣接する海徳寺において、原告斉藤、同多田、中派遣地斗らが共同して、原告斉藤司会の下に春斗総決起大会を開催し、原告多田、中派遣地斗らが交々立つて三・一六斗争の実施方について激励演説を行い、出席した約百名の丸亀分会組合員らを鼓舞したこと(前示第二の三、(四)2)は、前同様本件争議行為をあおり、そそのかしたことに該当する。

(5) 三月十四日原告斉藤が、分会斗争連絡第二十一号を発出し、丸亀分会組合員らに対し、勤務時間内職場大会への参加等を指令し、分会斗争委員ら組合役員の指揮下に入るよう要請したこと(前示第二の三、四4)は、前同様の趣旨において、本件争議行為をあおり、そそのかしたことに該当する。

この点について原告らは、右分会斗争連絡第二十一号は単に指令第十号の内容を具体的に明らかにし、これを丸亀分会組合員らに周知徹底させるために発出したものであつて、指令第十号の命ずる勤務時間内職場大会の実施に当然に随伴する事項を具体化して伝達したものにすぎず、斗争指令ではない旨主張するが、指令第十号と分会斗争連絡第二十一号の各内容を此我対照し、その発出に至つた事情を勘案すれば、右分会斗争連絡第二十一号が単に指令第十号の内容を分会組合員らに事務的に伝達するにすぎないものであつたとは認め難く、ことに右の如き分会斗争連絡を発出したのは丸亀分会のみであつたという事実を考え合わせると、右分会斗争連絡は、むしろ丸亀分会斗争委員会委員長としての立場において、組合員らを鼓舞激励して積極的に三・一六斗争への参加を命じ、その具体的な実施方法を示し、斗争委員の指揮に従うことを要請し、指令第十号をさらに強化し、具体化するために発出したものというべく、まさに争議行為への突入指令であつたといわざるを得ない。従つてこの点に関する原告らの主張は採用できない。

(6) 三月十五日原告斉藤が丸亀報話局構内中庭において、勤務を終えて退庁する丸亀分会組合員らに対し、勤務時間内職場大会への参加を呼びかけ、組合役員らの指揮下に入るように要請したこと(前示第二の三、(五)3)は、前同様の趣旨において本件争議行為をあおり、そそのかしたことに該当する。

(7) 三月十六日原告多田が、訴外高井弘二と手分けをして、緊急戦術会議において決定された坐り込みを敢行するために、丸亀市内に分宿していた原告組合員らに右坐り込みの決定を伝達してその実行を求め、さらに原告斉藤ら組合役員もこれに協力し、動員された組合員らを慫慂し、引率指揮して坐り込みを行わせた行為(前示第二の四、(一)2)は、原告多田、同斉藤において、前同様の趣旨において本件争議行為をあおり、そそのかしたことに該当する。

(8) 三月十六日の坐り込み以後、原告多田、同斉藤が坐り込みに参加し、修繕室での話合いや所謂専門家会議において局側との交渉にあたり、管理者らの電話交換室への入室を阻止し、あるいは勤務時間内職場大会を敢行せしめたこと等は前示認定のとおりであるところ、被告公社は右のような現に争議行為の行われている段階において、原告多田、同斉藤らが組合幹部としてこれに参加し、あるいは指揮していたことをも争議行為をそそのかし、あおつたものであると主張するようであるが、原告多田、同斉藤の如何なる行為があおり、若しくはそそのかす行為に該当するのかその具体性を欠き必ずしも明確ではないのみならず、本節3冒頭に記載したように公労法第十七条第一項後段の規定が争議行為を「そそのかし、若しくはあおる」ことを禁止しているのは、争議行為予防の見地から、争議行為の実行を誘発し、その原動力となるおそれのある行為を事前に直接抑制しようとするものであるから、原告多田、同斉藤が坐り込みの開始された後において組合員の前面に立つていたこと、原告多田が修繕室での話合いにおいて局側との交渉にあたつたこと、原告斉藤が一対一発言をしたこと、原告多田がピケツトを張つている部外の応援労働組合員らに所謂「挨拶」を行い、あるいは勤務時間内職場大会において演説をしたこと等の既に争議行為の始まつた後における原告多田、同斉藤らの所為は、被告公社主張のようにそれ自体争議行為をあおり、そそのかしたものというよりも、争議行為の実行行為として包括的評価を受け、若しくは幹部責任の問題として把握さるべきものである。従つてこの点に関する被告公社の主張はすべて理由がない。

4 ところで原告多田、同斉藤は、丸亀報話局における三・一六斗争の実施について、丸亀分会組合員らが職務を放棄して勤務時間内職場大会に参加したのは、同原告らが教唆煽動したがためではなく、原告組合中央斗争委員会の指令第十号の事実上の強い拘束力に基くものであり、丸亀分会組合員らが右指令に従つて自主的主体的に行動したがために外ならず、而して同原告らの行動は右指令第十号を確認して下級機関あるいは一般組合員へ伝達したにすぎないものであつて、所謂争議行為に通常不可分的に随伴するものにすぎず、香川支部斗争委員長もしくは丸亀分会長としての地位にあるものに当然期待ないし予想されるものであり、またその範囲を逸脱するものではなく、むしろそれ以外の行動に出ることは期待できなかつたものであつて、解雇という制裁に値するほどの違法性の強いものではないから公労法第十七条第一項後段に該当しない旨主張する。しかしながら、公労法第十七条第一項が合憲であると解すべきことは前記六に説示のとおりであるのみならず、公共企業体等の職員については右条項によつて争議行為が禁止され、争議権自体を否定されている以上、その正当性の限界如何を問題とする余地のないことは前記(一)1説示のとおりであり、従つて本来争議行為の認められている私企業の場合とは異り、そそのかし若しくはあおる行為等についても解雇に値するほどの違法性の強いものではなくてもよいし、またその手段方法の如何は問うところではなく、前節3冒頭に記載の如く、公労法第十七条第一項前段に所謂公社の業務の正常な運営を阻害する行為についての演説、説得、激励、指導、指令指示の発出もしくはその確認伝達等、それが所謂争議行為に通常随伴する方法によるものであるか否か等は同条項後段の該当性如何を左右するものではあり得ない。また原告組合もその団体の統制を維持し、その存続をはかるために、その組合員に対し一定の限度で所謂統制力を有し、従つて原告組合の規約、その他適法な決議等の組合全体としての意見ないし統一的意思が組合員を拘束するものと考えるべきことは原告ら主張のとおりであるけれども、本件三・一六斗争の実施についての右指令第十号の如きは、本来法によつて禁止されている争議行為の実行を命ずるものであるから、いかにそれが原告組合の統一的意思として第十三回全国大会、第二十六回中央委員会等においてなされた決議に基いて発せられたものであろうとも、右の決議自体が違法なものである以上、右指令第十号も違法であつて、原告組合員らに対して何ら拘束力を有せず、いな原告組合員としてこれに服従すべきでないことは前記(一)3に附言したとおりであり、従つて右指令第十号が拘束力を有することを前提とする原告らの主張も採るを得ない。もつとも右指令第十号もそれが組合指令であることの故に、原告組合員らに対して事実上相当の拘束力を有したであろうことは推認に難くないが、しかしそれはあくまでも事実上の拘束力を有したであろうというにすぎず、法的には何ら効力のないものであり、むしろ原告多田、同斉藤は組合幹部としてかかる違法な争議行為の実現を阻止すべき義務があつたといわなければならず、これに反して積極的に組合員らをあおり、そそのかし、あるいは具体的な実施方法について共謀した同原告らはその責任を免れるわけにはいかない。

(三)  原告多田、同斉藤の前示行為と公労法第十八条との関係

原告らは、公労法第十八条にいう「前条の規定に違反する行為」とは、同法第十七条第一項に違反する行為をすべて指称するものではなく、その中でも特に解雇という制裁に値するだけの違法性の強い争議行為等を行つた場合のみをいうものであると主張するが、かかる解釈の採り得ないことは前記(一)1説示のとおりである。

八、原告ら主張の再抗弁に対する判断

そこで進んで原告らの再抗弁について検討する。

(一)  本件解雇は不当労働行為であるとの主張について。

原告多田、同斉藤は、本件解雇は従前から同原告らが香川県支部役員あるいは丸亀分会役員として、所謂到達斗争等の職場斗争を積極的に行い、活発な組合活動家であつたことを決定的理由としてなされたものであつて、不当労働行為であると主張し、前顕乙第四十六号証乃至第四十八号証と原告多田已年本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第八十二号証乃至同第百一号証と原告多田已年、同斉藤照和各本人尋問の結果によると、原告多田は昭和二十九年八月高松電報局分会職場委員に選任されたのを始めとして、翌昭和三十年八月同分会執行委員、昭和三十三年八月同分会書記長、昭和三十四年五月香川支部書記長、昭和三十五年八月同支部執行委員長に選任され、また原告斉藤は昭和三十三年五月丸亀分会執行委員に選任されたのを始めとして、昭和三十四年五月同分会執行委員再選、昭和三十五年五月同分会分会長に選出されたのであるが、その間香川支部においては到達斗争、職場斗争として、高松電報局定員削減反対斗争(昭和三十四年九月から同年十一月)、公認サークル反対斗争(昭和三十三年十一月から昭和三十四年九月)、時間外労働覚書改正斗争(昭和三十五年九月から同年十二月)、丸亀報話局における団体交渉拒否に対する斗争(昭和三十五年十月から十二月)、組合活動に対する組合休暇、年次休暇の制限に対する斗争(昭和三十六年二月)等が活発に行われ、原告多田、同斉藤が組合幹部としてこれに参加指導したこと、被告公社がこれら職場斗争に対し、厳格な態度で臨む方針を打出していたこと等の事実が認められるけれども、原告多田、同斉藤に対する本件解雇は、前示認定のとおり、同原告らが公労法第十七条第一項の禁止する争議行為等を指導実行したことに対し、同法第十八条によつてなされたものであり、しかも同原告らが公労法第十七条第一項に違反したことは前示のとおりであるから、その限りにおいて本件解雇は何ら不当労働行為(労働組合法第七条第一号若しくは第三号)となるものではない。

(二)  本件解雇は解雇権を濫用したものであるとの主張について。

次に原告多田、同斉藤は、本件解雇は著しく公平を欠き、均衡を失した極めて苛酷な処分であつて、解雇権を濫用したものとして無効であると主張するので、更にこの点について考えてみるのに、公労法第十八条の規定の趣旨は、同法第十七条第一項の規定に違反して争議行為を行つた公共企業体等の職員は当然解雇される、あるいは必ず解雇しなければならないというのではなく、解雇することができるという意味であつて、具体的な場合に該当者を解雇するか否かは公共企業体等の自由な裁量にまかされているものと解すべきことは前記第二の七、(一)1のとおりであるが、しかし右解雇するか否かについての公共企業体の裁量権の行使も全く無制限、無制約のものではなく、ことに公労法第十七条第一項の禁止する争議行為の態様や程度は千差万別であり、極めて軽微であつて一般市民生活にも殆ど影響を与えないものもあり得るであろうし、またこれら争議行為に対する職員の参加の仕方も強弱様々であるのに対し、同法第十八条は争議行為を行つた職員について解雇という処分のみを規定し、解雇するかしないかの二者択一以外になく、しかも今日の労資関係よりすれば労働者が一旦解雇されると再就職が容易ではなく、仮に再就職の機会が与えられたとしても、年功序列型の賃金体系を主とする我国の現状においてはかなり不利な条件の下に再就職を強いられること必至であり、結局解雇された労働者は多く生活の基盤を失い、路頭に迷う結果とならざるを得ないことを考慮すれば、公労法第十八条によつて争議行為等を行つた職員を解雇するためには、単に公労法第十七条第一項に違反したというのみでは足らず、行われた争議行為等の態様、程度の外、当該職員の争議行為等への参加の仕方、争議行為の実行において果した役割、地位、解雇によつて当該職員の受ける打撃等を此我考量して、社会通念上妥当であると認められる場合でなければならず、比較的軽い違反行為をとらえて、解雇処分を行うことは、社会的妥当性を欠き、職員の生存権に対する不必要且つ苛酷な侵害であり、解雇権の濫用として無効になるものといわなければならない。そこで以下本件について考えてみるのに、

先ず原告多田についてみれば、上叙認定の諸事実、ことに同原告は組合専従役員であつて、しかも原告組合の組織統制上香川県下の各分会を直接指導統制する香川支部執行委員長の地位にあつたこと、本件三・一六斗争の具体的実施方法についてはすべて実質上支部斗争委員会である所謂戦術会議において協議決定され、しかも現地の実情に暗い中派遣地斗は形式上の責任者であつたにすぎず、実質上は香川支部役員の判断によつて斗争が実施されたこと、とりわけ原告多田は既に昭和三十四年から支部役員(書記長)に選任され、香川支部の内情にくわしく、成立に争いのない乙第十五号証と原告多田已年本人尋問の結果によれば、丸亀報話局における三・一六斗争の事実上の指揮者は原告多田であつたことは同原告自身も自認していたことが窺われること、而して本件三・一六斗争の実施については原告組合中央本部は始業時から午前十時までの勤務時間内職場大会の開催を指示したにとどまるのに対し、丸亀報話局においては原告多田をはじめとする支部役員をもつて構成された緊急戦術会議において深夜局舎内へ坐り込むことを決定しこれを実行したこと(証人土屋勇治の証言により真正に成立したものと認められる乙第三十八号証によれば、拠点局所の内、局舎内への坐り込みを敢行したのは丸亀分会を含めて三分会であつたことが認められる)、等を彼此綜合すれば、原告多田に対する本件解雇は処分の均衡を失した苛酷なものということはできず、従つて本件解雇が権利濫用であるとする原告多田の主張は理由がない。

次に、原告斉藤については、同原告はなるほど丸亀分会長として本件三・一六斗争に参加指導した点でその責任を免れないけれども、上叙認定の諸事実によると、原告組合の組織上も各分会は上部機関である支部の補助機関であつて、常に支部の直接の指導統制を受ける立場にあり、丸亀報話局における三・一六斗争の実施についても原告多田を斗争委員長とする戦術会議の指導の下に行われ、原告斉藤は分会長として、原告多田らと行動を共にし、あるいは分会斗争委員会、職場委員会等を度重ねて開催する等の行為をしたが、それは多く原告多田ら支部役員の指示に従つたものとみられるのであり、電話交換室前廊下への坐り込み、ピケツテイング等の具体的配置等違法行為の具体的計画を協議決定した各戦術会議にも主導的立場で出席したものとは認められず、戦術会議を構成する支部斗争委員らの諮問に応じて意見を述べる程度の立場で参加したものであつて、原告多田のように丸亀報話局における三・一六斗争の中心的な指導者としての役割を果たしたものとは認め難く、むしろ支部の強い統制指導の下にあつて分会長としての立場においてなすべきことを忠実に実行したものと考えられる点が多く、前顕乙第三十八号証と証人土屋勇治、同大塚裕司の各証言によつて認められる三・一六斗争における拠点局所における実力行使の態様と組合幹部の処分状況、を綜合して考えると、原告斉藤に対する本件解雇は処分の均衡を失した不当なものであり、解雇権の濫用であつて無効といわなければならない。

九、以上の理由により原告斉藤照和の本訴請求は理由があるからこれを認容し、原告多田已年の本訴請求は理由がないからこれを棄却すべきである。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 橘盛行 村上明雄 松永剛)

(別紙省略)

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